異世界帰還した女子大生のNOスローライフ

うた

第1話 葛藤

 咲州伊織さきしまいおり、十九歳。読書が好きで、大学では図書館司書になる為の勉強をしている。一見いっけん、どこにでもいる普通の年頃の娘なのだが――



 彼女は、幼い頃から普通ではない所があった。




「明日は、伊織の誕生日ねー」

「そうだよ。二十歳♪」

 母親が七月のカレンダーを見ながら日付をチェックしている。伊織も読んでいた本から視線を上げて、嬉しそうに笑った。

 二十歳はたち、という響きがやっと大人を自覚できるようでわくわくする。十八歳から成人と見なされるようになったが、高校生ではやはり、まだ親を頼りにするし、子供と大人の間でフラフラしている感覚があった。

「姉ちゃん、明日でおばさんになんのかー」

「うっさいよ真博まさひろ。大人の女性になるの!」

 十五歳の弟の真博が茶化す。姉弟で口喧嘩をするのはいつもの光景だ。


「明日……か……」


 ふと、母親の表情が暗くなった。

「どうしたの?」

「あ、ううん。明日はたくさんご馳走、作らなくちゃね!」

「やったね。ちらし寿司と、お母さんのポテサラ、それからイチゴがいっぱい乗ってるケーキがいいな」

「ふふ。了解」






「懐かしいな。伊織が生まれた時の」

 夜。伊織と真博が自分の部屋に行ってから、リビングのソファで母親はアルバムを引っ張り出して見ていた。風呂から出た父親がそれに気付き、隣に座る。

「ええ。もう二十年経つんだなぁって」

「そうだな……」

 父親も写真に目を落とす。

「別の世界の人間て……信じられないな。伊織は周りと何も変わらないのに」

外見がいけんはね」

 ページをめくると、幼稚園の時の写真になった。小さい体で、一生懸命遊んでいる。笑顔がキラキラしていた。

「この時、変わった言葉を話してたじゃない。英語でも、他の国とも違う言葉。確か、トマトの事を”トゥナージェス”とかって」

 何度言葉を教えても、変な言葉で返してくる時期があった。普段は日本語なのだが、時々違う言葉がポロっと出る。寝言が日本語じゃない時もあった。

「幼児のごっこ遊びかと思ったけど、遊びの域を超えてたような。あの言葉が、伊織の元の世界の言葉だったのかな」

 幼稚園の年長になる頃には、日本語をしっかり話すようになり、それから変わった言葉を話す事はなくなったが、両親は一抹いちまつの不安を抱いていた。

「よく不思議な夢を見るって言ってたわね。それは今もあるみたい」

「夢?」

「広い大空を飛んでるんだけど、見かける人が日本人じゃないって。中世のヨーロッパにありそうな、豪華なお城や建物もあるけど、本には載ってないから不思議だって言ってたわ」

「そうか……」

 二人は黙ってしまった。

「……ねぇ、やっぱり……来るのかしら……迎えが」

「……」

 父親は母親の顔を見て、視線を落とした。

「あれは夢じゃ、ないんだよな」

「ええ。確かに私達は、約束したのよ」



 ――子供が欲しいか? 望むなら、我が世界の魂を一つ、預けたい。二十年の月日が経った時、迎えをよこす――



「子供ができなくて、諦めかけてた時に夢の中で聞こえた声。時が来るまで大切に育てて欲しいって……」


 二人が同時にこの夢を見た奇妙な体験。明るい光の中に浮いていて、突然、目の前にオーロラのような光のカーテンが現れた。そこから声がしたのだ。母親は元々体が弱く、いろいろな検査をして、結果、妊娠ができない体なのだと医師から告げられ、絶望の中にいた時。わらにもすがる思いで、不思議な声の申し出を受けた。すると、目が覚めてから体の調子が良くなり、力もついた。医師が奇跡だと声を上げた事を覚えている。そして、伊織だけでなく真博も授かったのだ。


「真博を生む力もくれたんだよな」

「夫婦二人きりに戻るよりは、いいからって」

 母親は、ぎゅっと手を握りしめた。

「約束なのは分かってるけど、でも……あの子は間違いなく私達の娘よ。手放すなんて、できない……」

 二十年経った時、別れが待っていると初めから分かっていた。あの声が神様のものだとしたら、約束を破る事は許されない。全てを受け入れた上で、伊織を授かったのだから。それでも、ずっと育ててきた愛情がある。親なのだ。情が生まれて当たり前。だからこそ、心の葛藤かっとうに苦しんでいた。涙がにじむ。父親は、母親の肩を抱き寄せた。

「明日来るとは限らないだろう。そもそも、迎えだって来るか確証がないんだ。俺達は、いつも通り子供達を大事にすればいい」

「……そうね。私、あの子に手紙を書くわ」

「いつでも渡せるようにか。良いと思うよ」


 涙をぬぐい、母親は少し笑顔になった。それから二人で便箋を取り出し、文字をつづる。アルバムのページは開きっぱなしだ。二人が見て来た伊織のたくさんの表情が、そこにはあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る