Roaring 29. 一八七一年の事件




 これを読んでいるということは、わしはもうこの世にいないのだろう。

 ラブクラフト君……君とルルイエちゃんの秘密は墓場まで持っていくつもりだが、自白薬や催眠術が使われないとも限らない。はっきり言って、君たちには危険が迫っている。

 おそらくだが、奴らは『見えざる帝国』を標榜する秘密結社〈Kの教団〉――かつて、南部で恐れられた〈闇の魔法使い〉の一派、〈クー・クラックス・クラン〉の生き残りだ。

 わしと彼らには因縁がある。ここから先、覚えている限りのことを記す。


 ――七年間の長きに及んだ南北魔法戦争が終結した少し後、一八七一年のことだ。


 その頃、南部の各州では、連邦主導の下で再建リコンストラクションが始まっていた。

 戦争で灰になった町が蘇り、南部の古い町にも魔導産業革命の波が押し寄せていた。お前さんも〈大砲クラブ〉の話は聞いたことがあるだろう。ちょうど、インピー・バービーケーンなどが月に行くための巨大魔導砲をフロリダに建造していた頃だ。まあ、計画は失敗だったが。

 当時、わしは考古学会の一員として、アトランタ大会に赴いていた。大会はつつがなく終了し、宿を引き上げてニューヨークに戻ろうと準備をしていた時に、一人の男が訪ねてきた。

 ウィリアム・チャニング・ウェッブという同じ古代魔法儀式の研究者で、アトランタで商会を営むレット・バトラーという富豪から、面白い石像を入手したということだった。彼は興味本位で土地の魔術結社が崇拝する石像を入手したが、あまりに気味が悪いので手放したらしい。

 それは見れば見るほどに醜悪な石像だった。七、八インチほどの大きさで、まるで蛸のように触手が伸びている。まさに闇の狭間に潜んでいるかのような『力の渦動』の結露。君が論文の中で〈クトゥルフ〉と名付けた、古代魔法文明の邪神を象った儀式用の立像の一体だったのだ。

 その材質も謎だった。黒緑色の表面のあちこちに斑点と筋目が金色に光っていたが、地質学者や鉱物学者も初めて見る物質であり、刻み込まれている象形文字一つにしても、会合に参加した誰一人として、石像が作られた言語圏を指摘することすらできなかったのだ。

 わしも気味が悪かったので、なるべく近づきたくはなかったのだが、学者の性でな、この謎の石像の研究に次第にのめり込んでいった。


 そんな中、スプラッシュ・マウンテン周辺の森の奥で、ある事件が起こった。


 その頃、ちょうど今と同じで、各地で獣人やエルフなどの亜人たちの開拓民の集落が襲われ、誘拐されるという事件が起きていた。夜中に不気味な反乱の叫びレベル・イェールとともに馬に乗った不気味な白装束の男たちが現れ、女や子どもたちを森の奥にさらっていくらしい。

 その地の住人たちは正体不明の恐怖に怯えていた。夜な夜な風に乗って流れてくるこの世のものではない叫びとけたたましい悲鳴、魂を凍らすような恐ろしい呪文には、これ以上、耐えることができないと警官隊の出動を懇願した。

 最初は亜人たちの頼みなど聞き入れなかった警察だが、こうなっては仕方ないということで、警官隊の出動を約束し、その謎の儀式集団〈クー・クラックス・クラン〉を逮捕することが決定された。その頃には、わしも謎の石像がクランのものであることを調べていたので、警察所長に賄賂を出して儀式の検挙に同行することにした。

 その日の午後、二台の馬車に分乗した十人の警官隊とわしは、問題の地に赴いた。道は次第に狭くなって、ぬかるんだ泥に覆われて馬車では進めなくなった。太陽が遮られるほど深い密林の中を、小銃を持って隊列を組む警官の後に続いていった。まったくの未開拓の山奥で、とても人が住めるような環境ではないと話していたが、やがてみすぼらしい開拓民たちの村が見えた。

 そこから先は、スプラッシュ山脈の麓、白人たちが踏み入れたこともないような、まったくの未開拓の土地だった。古来より、この辺りには妖精たちの『笑いの国』があり、一度足を踏み入れて迷い込めば、二度と出てくることができないという伝承があると、獣人集落から案内役として同行したブレア・ラビットという若いウサギ獣人は言った。

 エルフの住処とも言われているが、こんなところにはエルフやインディアンだって近づきたくはないだろう。どちらかと言えば、魔物の住処だ。

 日が暮れてくると、森の中に例の儀式集団の不気味な呪文が聞こえてきた。我々は息を殺して、冷や汗をかきながら前進を続けた。やがて樹林が開けて、森の奥に炎の明かりがチラチラと見えた。そこは拓けた空き地になっていた。そこにあったのは、じつに奇怪な光景だった。燃え盛る巨大な十字架の周りで、不気味な白装束に身を包んだ者たちが踊り狂っていたのだ。

 腐敗した獣人の死体が至るところに吊り下げられており、中心の炎に照らされた影が、まるで化物のようにゆらゆらと揺れている。それは魔導書の挿絵で見た、古代の悪魔召喚の儀式にも似ているが、これはそれよりももっと醜悪だった。儀式の中心には、例の不気味な石像があった。我々はみな、それを見て戦慄し、中にはあまりの恐ろしさに気を失ってしまった者もいた。

 しばらくして、太鼓の音が止まると、一人の男――団員たちは口々に〈大魔導士グランド・ウィザード〉と呼んでいた――が石像の前に進み出てきて、「見えざる帝国に忠誠を! 大いなる邪神に供物を捧げよ!」と叫んだ。

 その命令に応じて、縛られた獣人の娘が引き出された。どうやら村からさらわれた一人らしい。さるぐつわを噛まされ、恐怖に歪んだ顔をした娘は必死に抵抗しようとしたが、側近の魔術師らしき男が杖を振ると、その身体が硬直してゆっくりと浮き上がり、男の前で静止した。


「諸君、いよいよすべてを白に染め上げる時がきた! 偉大なる南部のリーダーにして結社の創始者であるベンジャミン・キャメロン大佐は、この時のために〈クー・クラックス・クラン〉を組織したのだ! 本日は前夜祭だ。明日の夜、星辰は満ち、いよいよ邪神は目覚める!」


 その瞬間、おおーっと白装束の男たちから歓喜の声が上がった。わしらは声を潜めて見つめているしかなかった。


「この世界は、誕生からそもそもが間違っている! 忌々しい黄色人種だけでなく、毛だらけの獣人や気色の悪い魚人たちが存在するなど……じつに嘆かわしい限りだ! 気味の悪い亜人や忌々しい有色人種を消し去り、すべてを白に染め上げることこそ、人類を、そして文明を守るための唯一の方法だ! よりよい世界にするために、我々は供物を捧げよう!」

「ホワイト・パワー!」「ホワイト・パワー!」「ホワイト・パワー!」

「誤った連邦政府の道を正し、真の『国民の創生バース・オブ・ザ・ネイション』はこれより始まる!」


 男は懐から取り出したナイフを少女の胸に突き刺し、その血を石像に振りかけた。その瞬間、十字架の炎がより強く燃え上がった。その中に、わしは見た。巨大な悪魔の眼球が覗いているのを。ああ、そうさ、恐怖に目を見開いたまま、わしらは何をすることもできなかった。相手には数人の魔術師がいたから、明らかに多勢に無勢だった。わしらは『祭壇』から離れ、逃げるようにしてその場を去ることしかできなかった……。



 その夜の内に、この事件はアメリカ魔法省に報告され、危機が差し迫っていると判断した連邦議会は、魔法令第六十六条オーダー・シックスティシックスを可決した。第一の〈クー・クラックス・クラン〉は、『闇の魔法使い組織』に認定された後、すぐに出動した〈滅却官エクスターミネーター〉によって撲滅された。

しかし、最近になってマサチューセッツのダンウィッチという小さな村で「外なる神々のお告げを聞いた」という伝道師の男が現れた。第二の〈クー・クラックス・クラン〉と言うべき組織は、〈Kの教団〉と名を変えて復活し、反移民主義を掲げて密かに勢力を拡大している。現在、その会員数は一万とも数万とも言われているが、すでに魔法省やニューヨーク議会にも手を伸ばし始めているのだろう。

 わしらのこともすでに知られている。最近になって七十一年のあの宴の摘発に加わった警官が、次々と不審死を遂げているそうだ。結社は秘密を知る部外者の存在を許さない。

 次はわしの番かもしれない。だが、見えざる帝国の一番の狙いは――君たちだ。気をつけなさい、ラブクラフト君。今、ニューヨークでなにか大変な事態が進行している。


 追伸:これを君に託すのは心苦しいが、もしもの時のために貸金庫のスペア・キーを同封しておく。わしが死んだ時にだけ出現する魔法の鍵だ。金庫の中身は、〈Kの教団〉に関する資料。公にするなり、闇に葬るなり、君にすべて任せる。



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