見えざる帝国

Roaring 28. エンジェル教授の急死




 エンジェル教授の突然の死はラブクラフトに衝撃をもたらした。数日間、体調不良で寝床に伏せていたが、妹の献身的な看病で回復し、同僚のフランシスに電話口で頼まれた教授の遺品整理に向かった。

 恩師ジョージ・ガムメル・エンジェル教授はブラウン大学の名誉教授であり、考古学の分野では古代碑文字の権威者として広く名が知られていた。八十九歳と高齢だったために、そう遠くない時期にこの世を去るとは思っていたが、本人は至って健康そのもので、つい数日前にも研究室で会って話をしたため、ラブクラフトには教授の死がとても信じられなかった。


 むしろ、問題なのはその死因にあった。


 老教授の死は帰宅中に起きたが、その原因が曖昧だったのである。

 目撃者の話によると、飛行馬車を降りて自宅に向けて歩き出したところに、薄暗い路地から出てきた工場労働者らしいつなぎを着た白人とすれ違った後、その場で気を失って倒れ込んでしまったらしい。すぐに帰宅途中の通行人に介抱されたが、そのまま意識が戻ることはなく、数時間後に息を引き取ったのだという。

 外傷は皆無で、即死呪文などの魔術痕跡もなかったために、担当の医師も死因が特定できず、高齢による心臓発作だろうということで片付けられた。

 教授には妻子がいない一人暮らしだったため、孫にあたるフランシスが遺言執行人だったが、生憎、当人は採掘旅行でアメリカにいなかったため、取り急ぎ、ラブクラフトが教授室の研究資料を整理することになったのである。


「お兄様、こちらの資料はどうしましょうか?」

「ドリームランド関連は、こっちかな。セム語の講義関連は、こっちの箱に入れよう」


 ラブクラフトとルルイエは、昼過ぎにブラウン大学に到着し、一休みしてからすぐに遺品の仕分けを開始した。

 研究室はまるで魔窟のような有様だった。積み重なったファイルや書類、草稿、新聞記事の切り抜きの海を掻き分けるようにして作業を続ける内に日が暮れ、チカチカと点滅する電球が書類の山を通して不気味な影を落とすようになった。


「お兄様、これはどうしましょう?」

「アブドゥル・アルハザードの『死霊秘法ネクロノミコン』についてか。アラビアの無名都市についての記述もある……。手広くやってたんだな……」


 付箋紙まみれの古びた研究ノートをペラペラとめくっている内に、ふととあるページに目が止まった。ページの一番上に『H・P・ラブクラフトへ』と書かれ、その間に一枚の茶封筒が挟まっていたのである。


「こ、これは……」


 ラブクラフトははっと息を呑み、一瞬迷った末に開封した。中には自分に宛てた手紙と、ニューヨーク・マーティンズ銀行の貸金庫の鍵が入っていた。手紙の一番上には、『見えざる帝国――〈Kの教団〉について』とある。



「見えざる、帝国……」



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