Roaring 17. フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ケベドス・ウガ=ナグル・フタグン




「んで、依頼ってのはなんだ?」


 ダーティは欠伸交じりに頭を掻いて、テーブルの向かい側に座る依頼人に目をやった。


「ぼ、僕、本業は研究者をしているんだ。ブラウン大学の教授に師事していて……専攻は古代闇魔術。ふふ、普段はアトランティスとか、ヒュペルボレオスとか、あとはドリームランドの魔法儀式について研究している」

「へぇ、闇魔術関連ということは、魔法省の〈闇狩り〉志望なのか?」

「ざ、残念だけど、違う。……くく、悔しいけど、大戦の時の兵役検査で引っ掛かって資格をなくしちゃったんだ」

「ああ、そうか。……まあ、気にすんな。そんなことはよくあることだ」


 ばつがわるように俯いてしまうラブクラフトに、ダーティは欠伸交じりに軽く言った。

 少し間をおいて、ラブクラフトは鞄から木箱を取り出した。


「それで……ここ、これが僕の悩みの種。〈鍵の書〉と呼ばれている。きき、君に、この封印を解いて欲しいんだ」


 木箱から取り出されたのは、厚さ一インチで縦五インチ横六インチほどの奇妙な薄肉彫りの粘土板だった。象形文字らしい線の羅列はあるが、それらは明らかに古代文字の一種であり、現存するどの言語にも当てはまらない意匠が組まれていた。

 その文字の上には、ある種の怪物の姿が描かれている。それもよほど病的な空想をした者でなければ思いもよらないような醜悪な怪物で、うろこに覆われたグロテスクな胴体の上に、ぶよぶよとした蛸のような触手が生えた顔が乗っていた。


「うへ、なんだこりゃ。気持ち悪いな」

「〈古の悪魔〉、邪神イービル・ゴッド旧支配者グレート・オールド・ワン、外なる神々、古き一族により祀られし者たち……せ、世界各地で様々な呼び名があるけど、僕は総じてこう呼んでいる――〈クトゥルフ〉の神々と」

「〈クトゥルフ〉ね……」

「い、古の時代に封じられし神々、あるいは途方もない力をもった怪物で、じ、人類に魔法をもたらした者たちのことだよ」


 ラブクラフトは言って、神経質そうに爪を噛んだ。


「ぼぼ、僕は今、仲間たちと、『神話』の体系化を行っている。僕は恐怖作家だけど、すべてが虚構フィクションってわけじゃない。世界各地に散らばっている物語を、ああ、集めて、編纂したり、筋が通るように語り直したりしている。ぐ、グリム童話みたいにね」

「昔の魔法文明の名残りってことか」

「そ、そう。この〈鍵の書〉の中には、ナコト写本の一部が封じられているらしいんだ。ひ、氷河時代以前の北極圏に住むロマールの民が所持していた魔導書で、人類以前に繁栄していたとされるイースの大いなる種族が旅立った後の記録がまとめられている……で、でも、あっ、悪魔契約みたいな強力なまじないで封じられている。これを……」


「――無理だな」


 粘土板を裏返したり軽く振ったりした後で、ダーティはきっぱりと言った。


「大体、なんで俺に頼むんだ? 確かに俺は超一流の魔法探偵だが、〈解術師ディスペラー〉じゃない。これは完全に専門外だ。悪魔契約だったらバチカンの〈祓魔師エクソシスト〉にでも頼めばいいじゃないか」

「そ、そんな、表立ってはできないよ。いい、異端審問にかけられるかもしれないし……ば、場合によっては、呪物取扱法違反でバミューダ送りになるかもしれないじゃないか!」

「ああ、なるほど、〈魔法使い三原則ノブレス・オブリージュ〉に反するかもしれないと、そういうことか」


 知らずに受けることがほとんどであるとはいえ、呪いの規模によっては、世界に多大なる影響を及ぼすことがある。一九〇六年には、海岸に漂着した巨大なマッコウクジラの死骸にいたずらした少年が〈モビィーディックの呪い〉を発動してしまい、サンフランシスコを丸ごと壊滅させてしまったことは記憶に新しい。

 このサンフランシスコ大厄災以降、呪物の取り扱いは世界的に厳格化され、なにが起こるかわからない呪物の類は、〈闇狩り〉や〈祓魔師エクソシスト〉、それでも手に負えない場合は、上位組織の〈滅却官エクスターミネーター〉による破棄が原則となった。


「こ、これは破棄するわけにはいかないんだ。じゅじゅ、十五世紀に五冊の写本が作られたとされているけど、もうほとんど現存していない。……そ、それに君はせ、〈西部戦線の名もなき英雄〉じゃないか。こういうことにも長けているって、ドリアンも言って……」

「昔の話だ。それに、今はちょっとやる気が出ない。禁煙中でな」

「ちょっと、ダーティさん!」

「そうよ、せっかくここまで来たんだから、誰か紹介するぐらいはやってもいいじゃないの!」

「あー、うるせー、うるせー」


 二人の非難に耳を塞いで、ダーティはぐにゃりと横になった。


「あ、あの、これ、少ないですけど……」

「むっ?」


 依頼人が鞄から茶封筒を取り出すのを見た途端、探偵は目ざとく身を起こした。臆面もなくその場で中身を改めると、ふっと笑って手を差し出す。


「引き受けよう。任せろ」

「あ、ありがとうございます!」

「現金……」

「家賃の滞納分、ちゃんと差し引きますからね!」


 エミリーはダーティから封筒を奪って、ハンドバックの中に収めた。


「そんな、殺生な……」

「殺生じゃありません!」


 しばらくして、ダーティは依頼品に取りかかった。確かに魔力を帯びているようで、試しにハンマーを振り下ろしてみるが、見事に弾かれてしまった。


「う~ん、これは分析魔法が必要かな。……とはいえ、完全に錬金術師の領域だけども」


 ダーティは散らかった机の上をがさごそとあさって、『魔素法典』第二巻の間に挟んだ羊皮紙を取り出した。学生時代に期末考査を突破するために、クラス一の秀才が組んだ魔法式を複製したカンニング・ペーパーだが、使い勝手がいいので常用しているのだ。


「アメリア、この魔法式に沿って分析魔法をかけてみろ。素材とか、年代とか、諸々な」

「わ、わかりました」


 アメリアが杖を構えて呪文を唱えると、石板がにわかに光を帯び出した。石板から剥離した魔法文字が空中に浮かび上がる。その多くは粘土板の物質の含有率とか、作られた年代などの詳細情報だが、その中の一節を見て、思わず呪文が口をついてでていた。


「フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ケベドス・ウガ=ナグル・フタグン……はっ、私、今、なんて……?」

「馬鹿、唱えるな! どれがトリガーになってるか――くっ!」


 その瞬間、石板がひとりでに浮かび上がって激しく輝きだした。目がくらむような眩い閃光に、四人は思わず顔を覆う。

 呪物はその場の全員を飲み込むと、ゆっくりとテーブルの上に降りてきた。分析魔法に組み込まれたミスカトニック大学標準の古代翻訳魔法が、おおよその意味を空中に投影する。


 曰く――『死せるクトゥルフが、ケベドスの屋敷で、夢見ながら待っている』



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