素晴らしき哉、魔法契約!

Roaring 06. 魔法探偵事務所の一日




 魔法探偵事務所の一日は早い。本来、事務所の主は昼過ぎまで寝ているのだが、しっかり者の弟子がやってきたために、毎朝八時にはベッドから叩き起こされることになったのである。


「起きて下さい! 朝食できてますよ!」

「うっ……」


 突然、掛け布団を剥がされ、ダーティは子どものように身を縮めた。


「おいおい、今何時だと思ってんだよ。まだ八時じゃねぇかよ……」

「もう起きる時間です! 朝食ですから、早く顔を洗ってキッチンにきてください!」

「ふぁ~、早いわ。めんどうだな」


 ダーティが歯を磨いてキッチンに入ると、油と食べかすまみれで薄汚れたキッチンで、エプロンを着けた少女が朝食を作っていた。卵とベーコンがフライパンの上で焼ける美味しそうな音が響く中、ダーティは食卓に座って『ワールド・ウィザーズ』の朝刊を開いた。

 最近、新聞の見出しを騒がせているのはロシア情勢だ。内戦中に白軍の魔術師にかけられた〈クォデネンツの呪い〉が原因で、今年の初めに『建国の父』レーニンが死亡したことに伴い、国内で再び大規模な内戦に陥る可能性があるというものだ。


「ロシア人は相変わらずだな。百年経っても同じように戦争してるんじゃないか」


 アメリカ人からすれば、ソ連のニュースなどまったくどうでもいい国のどうでもいい話だ。

 ダーティは呑気に言って紙面をめくった。第二面には、マンハッタンに新設される魔術アカデミーをめぐる、ニューヨーク市長デイビッド・カーティス・スティーブンソンの一連の発言が物議を醸していた。


「『亜人や移民を受け入れるべきではない』か……反移民主義で保守派筆頭とは聞いていたが、今度のニューヨーク市長はそうとうきてるな。亜人差別をここまで掲げるなんて、タマニー・ホール(1)はどうしちまったんだか……」


 首を振って、ジュウジュウと音を立てるフライ返しを操る獣人の娘に目をやる。


「なんだ、わざわざ料理してんのか。魔法使えるなら、さっと一瞬で作ればいいじゃないか」

「わかってないですね。学校でも習いましたが、なんでも魔法に頼るのはよくないんですよ」

「はあ、さすがはダンバース卒でござい」

「ちょっと、馬鹿にしないでくださいよ。今、世界的な魔力不足は深刻な社会問題になりつつあるんですよ? 数十年後には地中の魔石も空気中の魔力も枯渇して、いずれ魔法が使えなくなるという話もあるぐらいです」

「なんだその突拍子もない話は。誰が言ってんだよ」

「H・G・ウェルズですよ。『魔法戦争』の中で言ってました」

「SF作家じゃねぇか。なんでも手を使ってやりましょうって、消費者に家庭用品を売りつけたい会社の嘘っぱちだよ、そんなの。魔法が使えなくなるとか、そんなのあるわけないだろ。そうなったら魔法文明はおしまいだ」


 そう言って馬鹿にしたように鼻を鳴らすダーティに、アメリアは日が経って固くなったバケットをナイフで切りながら応じる。


「いや、わかりませんよ。実際、中東とかアジアの植民地でも魔石の獲得競争が起きているじゃないですか。魔石が原因で、またあんな魔法大戦が起こるかも……」

「二度と起きてたまるか。一体、あの戦争で何千万人が死んだと思ってるんだ。戦争が起こるなんて、そんなこと簡単に言うんじゃない」

「……は、はい。すみません」

「…………」


 どうやら、自分で思うよりも、かなり厳しい口調になってしまったらしい。少女の耳は伏せて、その尻尾は小さく丸くなってしまった。

 必然的に生まれた沈黙の後、ダーティは「あー、おほん!」とわざと大きな咳払いをして、取り直すように言った。


「まあ、でも、魔力を節約するのはいいことだ。自分で料理をするのはいい心がけだと思う。てか、俺だってそうしてるしな」

「あ、ありがとうございます……。その、どうぞ」

「ありがとう。さあ、食べよう」


 散らかっている食卓の上をどかし、皿を並べて朝食を食べ始める。ぎこちない空気感でしばらく食事を続けた後、弟子は会話の糸口を探るように口を開いた。


「……そういえば、なんでダーティさんは自分で料理を? 好きなんですか?」

「まさか! そうせざるを得ないといったところだ。だって俺、魔法使えないしな」

「えっ? 今、なんて……」

「なにが?」

「いや、魔法が使えないとかなんとか……」


 アメリアが聞き返すと、ダーティはハムと卵をもぐもぐしながら答えた。


「ああ。俺、魔法は使えないぞ。戦争で魔力を失っちまったからな」

「えっ、でも、あの〈美女ホイホイビューティフル・キャッチャー〉は……」

「あれを作ったのはギャツビーだ。魔法式自体は俺が書いたけどな」

「…………」

「なんだよ、意外か?」

「そ、それじゃ……魔法探偵じゃなくて、普通の探偵事務所じゃないですか!」

「あー、そういや、そうかもな」


 フォークとナイフを置いて頭を抱える魔女に、魔法の使えない師匠はケロリとして言う。

 ギリッと歯を噛み締め、アメリアは目の前の男を睨みつけた。


汚い奴ダーディ! それじゃ、まるで詐欺じゃないですか! 魔法が使えない師匠から、一体、私はなにを学べと!?」

「別に嘘はついてねぇよ。それに、なにを学ぶかはお前が決めることだ。ほら、色々あるだろうが、生き様とか、そういう感じの」

「…………」


 弟子になって数日が経つが、未だに目の前の男が働いているところを見たことがない。

 平日にも関わらず依頼人は一人として来ず、かといって外出もせず、ただ日がな一日、ごろごろとソファーに寝そべっているだけだ。これでは生き様もあったものではない。

 今日も今日とて怠惰に過ごすのは目に見えているので、見かねたアメリアは懐から復元魔法で再生した師弟契約書をドンと机の上に叩きつけた。


「ダーティさん、生き様云々、今日からはちゃーんと働いてもらいますからね! 『働かざる者、食うべからず』ですよ!」

「うるせーな。なんだよ、こんな朝っぱらから……」

「ここを見てください、ダーティさん。師匠側の努力義務についてです。『乙(師)は甲(弟子)の見本となるように努めなければならない。また、乙が怠惰でこの義務を怠っている場合は、甲は乙を真っ当な社会人にするために指導することができる』……ほらね!」

「ほらねって……。くそっ、なんだこれ。ちゃんと読めばよかった。ギャツビーの奴め……。師匠を弟子が指導する項目を付け足すとか、そんなのありかよ……。あっ、でも努力義務ってことは、罰則規定はないんだろ?」

「ありますよ、罰則」

「えっ?」


 アメリアが指差した項目には、『これらの努力義務を怠り、アメリアちゃんに糾弾される度に、ダーティ・H・ポッターは大家に叱られてケツをぶっ叩かれ、ついでに〈裁きの雷〉によって判決、地獄行き』と書かれていた。


「判決、地獄行き、じゃねーよ! ついでの罰則が重すぎる! てか、乙とか甲とかどうしたんだよ……完全に俺に向けて書かれてるな、これ」


 ダーティは汚れたテーブルに突っ伏し、ぶつぶつと呟いた。


「大体よー、戦争中にあれだけ働いたのに、どうして今さら労働せにゃならんのだ。俺は国の英雄だってんのに、毎年のように減らされて年金も雀の涙だし、これじゃー、なんでわざわざヨーロッパまで行ってドイツ軍と戦ったのか……なあ、アメリア」

「はい?」

「俺はな、働きたくないんだ」

「いや、働いてくださいよ」

「いやだ。労働は健康に悪い。いいか、アメリア……俺は働きたくないんだ!」

「そんな真っ直ぐに言われても……。働いてください!」


 拳を握り、「いやだいやだ」と大人げなく駄々をこねる師匠に弟子が叫んだ瞬間、どこからともなく、狭い部屋の天井に黒い雲がもくもくと広がっていった。


「んあー? ……おいっ! お前、これ、例の〈裁きの雷〉じゃないか! ちょ、なんかバチバチ言ってるぞ、とめろとめろ」

「……働きますか?」

「わかった! わかったよ! 働くって! ……自分のできる範囲で


 ダーティが叫ぶと、黒雲はふっと姿を消した。


「ふーん。この感じだと、どうやら〈裁きの雷〉の発動は私に裁量があるみたいですね。師匠を罰するのも弟子の役目ってことみたいです」

「弟子が師匠を罰するのかよ……。もうわけがわからんな」

「魔法探偵として、ちゃんと普通に働けばいいんですよ」

「ちぇ、まだガキのくせに、しっかりしてやがるな……」


 胸を張って言う齢十二の弟子に、もうすぐ三十路に差し掛かるダーティはトーストを牛乳に浸して食べながらぼやいた。

 それを聞いて、アメリアもベーコンを負けじと噛み千切りながら応じる。


「私は成長期が遅いのでガキに見えるかもしれませんが……獣人は人間より成長が早いので、同い年の友達はもう立派なレディです! 私もすぐに追いつきますよ!」

「へぇ、そうかい。そりゃあ、楽しみだ」

「あ、信じてないですね? 大体、私はこんなところで足踏みをしている場合じゃないんです。こう見えても二等国家魔術師の資格があるんですからね。魔法省に入って出世して、政財界とパイプを作って、いずれはこの国の大統領になるんです!」

「大統領?」


 その突拍子もない夢に、ダーティは思わず噴き出した。


「女で、獣人なのに、大統領とはな。ガキだな。いくら若くて才能があろうが、天才も二十過ぎればなんとやらだ。本当になれると思ってるのか?」

「なれますよ! 今は二十世紀! なんでもできる進歩の時代です! ジャネット・ランキン(2)に続いて、私が初の女性大統領になるんです! それで、南部の人種差別法案ジム・クロウを全部葬り去ってやるんです!」

「へぇ~」


 それを聞いて、ダーティはニヤリと笑った。


「いいな、それ。面白そうだから、乗ったぜ。イアハート大統領」

「えっ?」


 虚を突かれたように反応に困るアメリアに、ダーティは軍隊式に敬礼した。


「俺はな、基本的に面白そうな方に賭けることにしている。今お前が言ったそれは、まさしく『偉大なる夢アメリカン・ドリーム』だ。生活は質素でも、どうせ夢を見るなら、なるべく豪華なものに越したことはない。いいじゃねぇか、女性初の大統領ってのは。俺は今日からお前の支持者だよ。できればでいいんだが、退役軍人向けの年金を増や……」

「あ、あっ……」

「ん?」


 頭をポンポンと撫でる師匠に、弟子は顔を真っ赤にして応じた。



「――あ、頭をポンポンしないでください!」



「ちょ、〈裁きの雷〉やめろ!」





1) タマニー・ホール(Tammany Hall) ニューヨーク市議会における民主党の一大勢力。もともとは移民家庭を票田にして成長を遂げ、ニューヨークの政治を独占するようになった。魔法大戦後、移民問題を発端として保守派が台頭、一転して反移民政策に舵を切る。


2)ジャネット・ランキン(一八八〇‐一九七八年) 二十世紀初頭に女性参政権運動で活躍した活動家。一九一七年にアメリカ合衆国連邦議会初の女性議員となる。

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