ソルティ・レモネードと白い夏

John B. Rabitan

第一章・恋

ソルティ・キャット

 吹き過ぎる風も青く感じる

 鎌倉七里ガ浜サンシャイン湘南


 波の音も聞こえるような

 そんな白い壁の店


  忘れてないよ夏だったね

  水しぶきあげてはしゃいでた

  サンオイル匂いかげばふとよみがえる

  遠い夏休み


 サーファーたちと入れ替わりに

 濡れた髪の毛そのままに


 [Ice Tea]ストロー二本揺れてた

 二人でお茶を飲んだ店


  忘れてないよ宵闇の

  渚でかわしたくちづけを

  ただ波と空だけが見つめていた

  遠い愛の日々


=====================


――大吉


 かけるの顔は一瞬ほころんだ。


――このみくじの当たる人は、今まで何ごとも思うようにすすまず苦労の連続であったが、これからは、すべての願いがすらすらとかなえられる時。思わず口笛を吹きたくなるような、素晴らしい朝の訪れ


 ふらっと立ち寄った小高い丘の上の小さな神社だ。

 だが、縁結びのパワースポットとしてかなり有名らしく、社殿の小ささの割には参拝客も多い。

 だからなのか、ほとんどが若い女性かあるいはカップルだ。翔のような男子大学生のおひとり様はまずいない。

 それでも、好奇の目を向けられるようなことはない。他人にとっても自分も自分にとって他人も、互いに風景の一部でしかないからだ。


――恋愛……相手のいない人は、素晴らしい恋人に巡り合い、……


 一瞬だけ顔を崩した翔だったが、すぐに真顔に戻った。そのおみくじをみくじ掛けに結ぼうとはせず、無造作にポケットにねじ込んだ。


 そのまま細い参道を来た方に戻り、鳥居からは少し離れたところにある駐車場に入った。

 車が七台も停まると満車になるような小さな駐車場だ。だが今は車は白いミニバンが一台、ほかにはバイクが一台だけ停まっている。

 翔はそのキャンディカーディナルレッドのスズキGSR250CCのハンドルバーの、ホルダーにかけていた赤いヘルメットをかぶり、そのネイキッドバイクにまたがってキーを差し込み始動させた。排気音が水冷並列二気筒のマフラーから響き、バイクは一気に参道へと躍り出た。


 しばらくは自然の中という感じで、道の両側をこんもりとした木立が続いた。道も細い。だから、スピードを上げるわけにもいかない。それにやたらとカーブが多く、最徐行で進むしかなかった。

 道は下り坂だ。それほど急ではない。すぐに小高い丘を下りきったようで、道は住宅街に入った。

 観光地として有名なこの町だが、この辺りは全く観光客などいない。観光客どころか、住民の姿もたまにしか見ない簡素な住宅街だ。

 この同じ町のメインストリートは今ごろは、観光客とりわけ外国人であふれているだろう。だが住所表示上は同じ町だということが信じられないくらい、この辺りは閑散としている。

 翔はそのままスピードを抑えて、住宅街の中の細い道を進んだ。道は決してまっすぐではなかったけれど、ほとんど右折も左折もせず道なりだ。

 進んで行く道は一方通行の部分が多かったが、ここでは標識にはっきりと「二輪を除く」と明記されていた。

 

 こうして住宅街を体感二十分も走っただろうか、ようやく潮の香りがして海が見えてきた。

 その海岸沿いに横たわる国道134号に出ると翔は右折した。海を左にして、国道を右手の方向に一気に加速する。

 徐行している間はあまりの猛暑ににじみ出ていた汗も、全身にぶつかる潮風に吹き飛ばされていく。

 排気音ももう遠慮はいらない。

 海岸は海水浴場になっており、いくつもの海の家の屋根が後ろに飛んでいった。海水浴客の姿はそこそこという感じで、それほどひしめき合っているようでもない。


 やがて国道は砂浜に突き出た岬の麓に沿って、左へと緩くカーブした。

 そして岬の先端に近づくにつれ、右へと旋回する。

 岬の先端部分では緑の丘を切り開いた崖の間を国道は進み、すぐに軽い下り坂になった。

 このあたりで少し車が詰まっていたけれど、動かない渋滞というほどでもない。また片側1車線で路肩走行をして無理に車を追い越す必要もないので、彼は流れに任せた。ただ、対向車線はずっとつながる大渋滞だった。

 軽い渋滞が解消するとぱっと視界も開け、前方にははるか遠くまでほぼ直線に延びる長い砂浜が見渡せた。

 国道はその砂浜に寄り添うように延々と続く。

 はるか遠くには江の島がはっきりと見えるが、まだ小さい。

 空はよく晴れている。その分だけ、陽光が熱波を風景全体に容赦のなく降り注ぐ。


 風景の開放感から翔はアクセルを開けて一気に加速し、さらにシフトアップして3速に入れた。

 道の右側は民家のほかに、時々しゃれたレストランの看板なども見える。

 不思議とこんな長い砂浜なのに海水浴場にはなっていないようで、海の家など一軒もない。当然、海水浴客もいない。

 代わりにいるのは波と群がる大勢のサーファーたちだ。 

 やがて右後方からでんの線路が国道に合流する。ちょうど向こうから二両編成の草色の電車が走ってきてすれ違った。

 そうして国道134号の景色を楽しんでいた翔だが、すぐに徐行を始めた。

 江ノ電が少しだけ国道から離れて海から遠のいたあたりに、レストランやカフェ、バーガーショップなどが密集しているエリアがある。

 サーフショップもあって、サーフィンボードを抱えて歩いているサーファーたちの姿も目につく。

 そんなエリアの一軒のカフェの前に、翔はスズキGSRを停めた。

 二階建ての一階部分が店のようで、錨のマークの入ったドアには「Salty Cat」という店名が英文字で入っている。

 翔はバイクのエンジンはそのままで、そのドアを引いた。今どき自動ドアではないらしい。


 「いらっしゃい!」


 店内は海の見える大きなガラス窓沿いにテーブル席が四つあり、右手にはカウンターもある。

 そのカウンターの中から威勢のいい男の声が響いた。


 「あのう、寺島ですけど、アルバイトの」


 「おお、寺島君、待ってたよ」


 一度だけスマホの画面越しに見たマスターの顔がそこにあった。にこにこ笑っている。


 「あのう、バイク停めるとこないですか?」


 「バイク!? バイクで来たの?」


 「はい」


 「じゃあ、裏手に僕の車を停めてるとこあるけど、バイクくらいなら停るスペースあるからそこに」


 「はい」


 「白いピクセスバンね、軽の。そこに勝手口があるから、そっから入ってきて」


 「わかりました」


 翔は言う通りにバイクを裏に回した。

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