96.猫は隠れて見てました(3)

「いま君は、精神攻撃を受けています」


 その言葉に、背筋が冷たくなった。精神攻撃というのは、魔力を取り込んだ後で仕掛けられるものだと思っていたのだ。でもいま僕は、そんなことをしていない。ただ、この家に入っただけだ――あれ? 入った……だけ?


「分かったみたいだな。さっき俺らは、君の言う『雑味』って奴をとりこんで、そこに『圧』をかけた。じゃあ逆に考えてみよう。いま俺らは、この家の中にいる。つまり、この家に取り込まれたわけだ――つまり?」


「僕らが……『雑味』?」


「その通り。今度は俺らが『雑味』になって『圧』をかけられている……憶えておけよ、この空気を。緩く、しかし十分な『圧』で幻覚ビジョンを浸透させられている。配信者のお兄ちゃんたちが感じた寒気っていうのも、これだ。ただしあいつらにはそれを受容する感性――ぶっちゃけ霊感ってやつがまるで無かった。だから、見ることが出来なかった……忘れるなよ。こういう攻撃を、普通にしてくる奴らがいるんだ」


「はい」


「ちなみに、さっきの電柱の女がやってたのも基本的には同じだ。家の代わりに、事故が起こった場所って噂を使って、あそこをそういう場所に仕立ててたってわけ。ま、レベルが低すぎて俺らには通じてなかったけどな――というわけでぴかりん。やっちゃって」


 その言葉を合図としたのは、僕ではなかった。


「ぎだぁあああいぃいいいいいいいい…………」


 女――浅田透子が、灰皿を振りかぶると殴りかかってきた。


 がつん。


 女の攻撃を、手で受け止める。

 灰皿ではなく、それを持った相手の前腕を。


「うぁ”っ!」


 焦った――受け止めた女の前腕がぐにゃりと曲がり、灰皿が僕の額をかすめたのだ。

 こっちもカウンターで、鼻筋にストレートを叩き付けたのだが……


「ぎだぁあああぎだぁああああああ…………」


 パンチは女の顔面をへこませたものの、まったく効いてない様だった。


「ぎだぁあだぁあだぁああああああ…………」


 変わらぬスピードで、女が灰皿を振り下ろしてくる。

 今度は受けずに全部避けたけど、女の顔のへこみは、もう元に戻っていた。


「悪い! 忘れてた! ぴかりん来て!」


 呼ばれたので、前蹴りで女と距離を取った。大きなスポンジみたいに歪んで、女が壁際に吹き飛ぶ。リビングの入り口に退避してた大塚太郎のところに行くと、拳を何かで包まれた。


「使い方は分かるな? さっきのアレと同じだから!」


 アレ――結界あれか。


「しっ!」


 立ち上がってきた女の顔にフックを入れると、今度は。


「ぎだぁあ”ああ”あああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」


 明らかに痛みを訴えるニュアンスが、女の顔と声に現れた。


 僕は、拳を見た。

 お札に包まれた、自分の拳を。

 さっき結界を張った時のように、拳を包むお札を、魔力で強化して殴ったのだ。


「ふん! ふん! ふん!」


 ボディアッパーを3連打すると、女は頭を灰皿で庇いながら後ずさる。


「そろそろ仕上げだ――吸っちまえ」


 その声に、僕は問い返した。


「こういう人には、どんなワードを思い浮かべればいいんですか?」


「無いな。6又かけられた挙げ句に殴り殺された女を、慰める言葉なんてあると思うか? 何を言ったって心は開かない……逆恨みされるのがオチだ。問答無用で潰してやれ。燃えカスは残るだろうが大丈夫――クッキーはアホほど買ってある!」


「…………はい」

 

 女に手の平を向け、吸い上げる。

 僕の中で、声が響く。


『どうしてどうしてどうして。あたし、あなたのしたいこと全部させてあげたよね。お酒も飲ませてあげたよね。車も買ってあげたよね。旅行にだって行かせてあげたよね。あの女と一緒だって知ってても、お金、出してあげたよね。どうしてどうしてどうして。どうして浮気したのはあの女なのに、あたしが殴られてるの?あの女じゃなくてあたしが殴られてるの?どうしてどうしてどうしてどうして。いたいいたいいたいいたい。どうしてどうしてどうしてどうして。どうしてあの女に、あたしが殴られてるの?いたいいたいいたいいたい。たすけて。いたいいたいいたいいたい。たすけて。いたいいたいいたいいたい。まーくんたすけて。いたいいたいいたいいたい。まーくん。まーくん。いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい』

 

 その声に僕は。


「終わりです」


 とだけ答えて、魔力の『圧』をかける。


『ほんとうに?』


 聞かれて、もう一度。


「終わりです」


 と答えて、更に『圧』を。


『ほんとうに?』


 大塚太郎が言った。


「問答無用だ」


『圧』を――女の『雑味』は、驚くほど手応え無く、あっさり砕けて消えた。

 同時に、女の姿も消える。


「次、いけるか?」

「はい」

 

 それから――


 リビングの隣の部屋で、上田洋子に刺し殺された伊藤康子を。

 洗面場で、江藤祐子に絞め殺された上田洋子を。

 浴場で、大石昌子に殴り殺された江藤祐子を。

 キッチンで、煮えたぎった油を加藤栄子に浴びせられた大石昌子を。


 僕は、魔力の『圧』で潰して消した。


「この人は、餓死したんですよね?」

「ああ……最後まで生き残り、その後もこの家から出ることなくな」

「それって――この人も?」

「ああ。彼女も、この家に閉じ込められたんだ――ごめんよ、どいてくれ。もうすぐ終わるからな」


 大塚太郎が進むと、階段の前に立つ加藤栄子が道をあけた。

 僕らは、2階に上る。


 そこは、道路に面したのとは反対側の部屋だった。


 5歳くらいの、子供がいた。

 男の子と、女の子だった。


「すまんが、ここは俺がやる」


 大塚太郎が、手の平を向ける。

 部屋の隅で蹲り、子供たちは、何も訴えてないような目で僕らを見てた。


「………………………………………………………セイッ!」


 子供たちが消えた。

 子供たちが消えた後も、大塚太郎は、手の平を部屋の隅に向けたまま動かなかった。

 やがて言った。


「そこの押し入れな。浅田透子たちの件で警察が捜査に入るまでは、壁だったんだよ。間取りがおかしいってことで調べてみたら、元は押し入れだったのが分かって、壁を崩してみたら……あるだろ? 布団を入れる真空パック。あれに、入ってたってさ。女たちの彼氏――木山正人が引っ越してくる何年も前から、ずっとそこに居たらしい。ここの近所に住んでるのは、みんな何十年も前からの住人だそうでな。でもこの家に子供が住んでたことなんて、無かったって言ってたそうだ。知らなかったと。この家から子供が出てくるところなんて、1度も見たことが無かったってな」


 1階に戻ると、加藤栄子の姿も消えていた。

 

 木佐さんに電話して、そこから先は彼の仕事だった。配信者たちは木佐さんの手配した車でどこかに送られ、霊的な洗浄というのを受けるのだそうだ。入れ替わりに家には木佐さんと同じようなスーツを着た男女が乗り込み、メーターとボタンのいっぱい付いた機械を運び込んだ。それから最後に御神輿みたいな台に乗せられた着物のお婆さんが入ってくのを見届けて、僕らは『人食い屋敷』を去る。


「あの家に関しては、ずいぶん前から話が来ててな。段取りは立ててたんだが、人手が足りなくてさ。助かったよ――ささやかながら、これは今日のお礼だ。しばらく燃えカスが残ってるだろうからこまめに食ってくれ。じゃあな。これで猫ちゃんにも信用してもらえると嬉しいんだが――次は、姿を見せてくれることを願うよ」


 車中で大塚太郎は、僕のいろんな質問に答えてくれた。


「電柱の女がやってたこと?――やってたって、俺の言い方自体が間違ってたかもな。まず『交通場所があった場所』っていう噂があって、そこに『幽霊がいるかもしれない場所』という認識が生まれる。言い方を変えると『幽霊がいてもいい』という許可が出されたわけだ。そして許可を出されることで被害者の想念――まあ大概は怨念なんだけど――は、拡散して消えること無く幽霊としてその場に留まり続ける」


「そこへいわゆる霊感のある奴が通るとな。まず幽霊の存在に気付き、嫌な感じを受け、それと違和感――事故の跡を洗浄してそこだけ綺麗になってたりって視覚的違和感とか、ごくわずかに残った洗剤の匂いなんかも捉えて、自ら『場』を作ってしまうわけだ。幽霊に取り込まれる『場』をな。いわゆる魔が差すっていうのはこういう状態だ。文字通り差し込まれるわけだ。幽霊が浸透させてくる幻覚ビジョンを」


「もっともここまでなら寒気がするくらいで済むんだが、もうちょっと霊感が強い奴だと、幻覚ビジョンの中身を理解して映像や触感として受け取ることになる。だから幽霊っていうのは、それ単体じゃなく、それがいる場所も含めた一種の『装置』なんだ。だからやってたっていうより、そういう『装置』としてあった――ありかたをしていたというのが正しい言い方だ」


「つまり霊感っていうのは『装置』から幻覚ビジョンを受け取り解読する能力だと言える――もっとも、更に霊感の強い俺やぴかりんのレベルだと『装置』そのものを『淀み』って形で認識して『場』に取り込むのを許さない。ああ『人食い屋敷』はな。あれはもう、物理的に取り込まれてたんだから逃げようが無いさ」


「え? ほう……いいところに気が付くねえ。『人食い屋敷』で女をぶん殴った時、効いてなかった。しかし殴った感触はあったし、相手からの攻撃も物理的に感じていた――そうなんだよ。それも幻覚ビジョンなんだ。幽霊は物理的な身体を持たない。だから、殴ったって効いちゃあいない。でも幽霊も生きてた頃があったから、ぶん殴られたら吹っ飛ぶって認識はある。だからついつい吹っ飛ぶ幻覚ビジョンをぴかりんに見せたんだな。ぴかりんが感じた殴った感触も幻覚ビジョンだ。でも痛みを感じないのは……悲しいところだよな」


「ああ、霊感が無ければそんな幻覚ビジョンを見ずに済むんじゃ無いかと……確かにそうだが、結果はもっと悲惨だ。あの家に取り込まれてる以上、幻覚ビジョンは流し込まれ続ける。解読出来ない幻覚ビジョンを流し込まれた結果、脳は過負荷で働かなくなり、いずれは自己認識も破壊され、その影響は細胞、やがては分子のレベルにまで及び、素粒子レベルまで分解されてただろう。だからあの配信者の兄ちゃん達が幻覚ビジョンの影響の少ないあの部屋に留まってたのは、大正解だったわけだ。そうだよ。逆にぴかりんが幽霊に殴られたりしたら幻覚ビジョンの影響で身体に傷が出来てただろうな」


「うん。幽霊に魔法は通じない。この世にある全ては『言葉』で作られている。存在レベルで通じ合う『言葉』だ。無機物有機物関係なく、魔法もその『言葉』での会話の結果として、相手に威力を伝えている……その『言葉』が、あの世の存在である幽霊には通じないのさ。人間としての『言葉』は通じてもな。ああ、その通りだ。お札ってのは、一種の翻訳機だ。この世の『言葉』をあの世の『言葉』に翻訳する。だから、お札を巻いた手で殴ったら、この世の『言葉』で定義された暴力があの世の『言葉』で定義された暴力に翻訳されて、存在レベルで幽霊にダメージを与える」


「じゃあ相手に暴力の幻覚ビジョンを送り込んだら?――悲しむべきことだが、幽霊には幻覚ビジョンが影響する身体が無いのさ。暴力の幻覚ビジョンを受け取ったところで――彼らがどう想ったところで、彼らにはそれで影響を受ける……幻覚ビジョンを実現してくれる身体が無い。例えば自分を人間だと思ってる石があるとして。そいつが関節技をかけられた幻覚ビジョンを受け取ったとして――じゃあその関節はどこにある?って話だ。だから、存在のレベルの『言葉』で叩いてやるしか無いのさ」


「うん……そうなんだ。単純に潰してるのさ。俺たちがやった、彼らを取り込んで魔力の『圧』をかける……あの行為に『言葉』は介在しない。魔力は、あの世もこの世も関係なく働く力だ。『言葉』なんて関係なく、単純な力で握りつぶしてるのさ。ああ『燃えカス』――すまん。あれだけはな、定義できてないんだ……俺にも、誰にも」


 別れ際の駅前で渡されたのは、件のクッキーと薄い封筒だった。

 車が去るのを待って、開けてみると――


「……免許証?」


 しかも全ての種類の欄が埋まった、いわゆるフルビットというやつだ。

 そして生年月日を見てみると、僕は、今年24歳ということになっていた。


「無理がありすぎる……」


 呆れる僕に、姿を現したさんごが言った。


「散歩して帰ろうか」


 そうして僕らは、2時間ほど海を見て帰ったのだった。


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お読みいただきありがとうございます。


ぴかりんの心霊修行、第1弾の終わりです。

第6章中でもう1回心霊修行して、その後またこういうのをやるかは未定です。


面白い!続きが気になる!と思っていただけたら、

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