第9話 ゆいの推理

「さっき、ここで、いちかとですね。逆バーナム効果というのを教えてもらったんですよ」

 とゆいが言った。

「逆バーナム効果というのは?」

「バーナム効果というのはご存じですか?」

「聞いたことはあるけど、具体的には」

 と刑事がいうので、いちかが、もう一度説明した。

「バーナム効果というのは、当たり前のことを、あたかもその人にしか当てはまらないことのように話して、自分を信用させるという、一種の洗脳です。逆というのは、こっちが相手に対して容赦なく加える攻撃をいかに交わすか、あるいは、受け止めるかと考えた時に、人が自分と同じ考えであることがどれだけ安心かと思うはずなんですよ。だから、誰にでも当てはまるようなことを口走ってしまうのですが、その中で生まれた安心感から、気持ちに余裕が生まれてきて、その余裕が油断となって、うっかり本音を言葉に出してしまう。そこにこそ真実があるのではないかと思うんですよ。相手の本心を引き出すための方法として使うバーナム効果なので、私は、逆バーナムだと思っているんですよね」

 というと、

「なるほどですね。これは、私たち刑事が容疑者を自白させるために用いる方法の中にもあることですね。ただ、明文化することも難しく、人によって、微妙に違っていることから、マニュアルとしては存在しないんですよ。でも、刑事としての経験が、次第に育まれていくうちに、この逆バーナムという発想が生まれてきたのは。間違いのないことなんです」

 と、いうではないか。

「警察の取り調べを受けたことがないので。ハッキリとは言えないんですが、たぶん、相手との話の中で強弱をつけたり。相手が話しやすい状況を生んだり、時には、恫喝することで、相手を不安にさせたりするんでしょうね。一種のマインドコントロールですよね。特に、相手は、何とかごまかそうとすると、心情として、ウソをつく時の特徴に入ることがある。よく言われるじゃないですか。木を隠すなら森の中ってですね。それと同じで、人はウソをつかなければいけない時というのは、えてして、カモフラージュを考えるものなんです。それは、きっと自分に自信がないからなんでしょうね。それは無理もないことかも知れません。どんな人間であっても、警察に捕まって、朝から晩まで自由を奪われて、事件のことを言われ続ければ、次第に感覚がマヒしてきて、気の弱い人であれば、やってもいないことを白状することもある。いわゆる冤罪ですよね。でも、今の世の中というのは、実際に冤罪も多いし、それが分かると、ネットで拡散されてしまう。そうなると、刑事も昔のような恫喝での自白教養はできないですよね。かしこい弁護士に当たれば、依頼人に対して、わざと白状させ、白状という決定的な証拠を持っているので、ロクに裏付けも取らずに起訴して、裁判に入ると、警察に自白を強要されたなどと言って、どんでん返しをすることになる。特に冤罪が問題になっている時代なので、世間は警察に対して、厳しい目で見る。特に昔の刑事ドラマのように、ライトを目の前に充てたり、胸倉を掴んで恫喝の自白強要などを見せられると、世間は黙ってはいないですよね。そうなってしまうと、容疑者側が強くなります。弁護士というのは、言い方は悪いですが、弁護人が犯人だということが分かっていても、何としてでも、無罪、もしくは、情状酌量を得ようと動きます。その理由は、弁護士の仕事が勧善懲悪ではなく、依頼人の利益を守ることですからね。いくら凶悪犯であっても、弁護士は仕事上、容疑者を助ける義務があるということになるんですよね」

 と少し本筋から逸れたようだが、ゆいの話が次第に事件の核心部分に入ってきているのではないかと、刑事もいちかも感じていた。

「松本さんのおっしゃる通りなんですよね、今までにも何度もありました。容疑者が自白した瞬間に起訴したんですが、法廷で容疑者が自白を否定し、それは警察側の陰謀だなどと言い出したこともありました。そうなってくると、冤罪という言葉が頭をもたげてくるので、裁判官も少し、及び腰になってくるんですよね」

 と刑事は言った。

「だからと言って、真犯人が無罪になるなどありえないですよね。被害者の家族からすれば、その心情は計り知れない。とにかく、理由が何であれ、犯罪というのは、悲劇しか生まないんですよ。裁判は犯人に制裁を加えるだけではなく、少しでもまわりの不幸になりかけている人を救うようなものでなければいけない。なぜなら、裁判で決定したことが、この件の最終判断なのですからね」

 と、言ったのはいちかだった。

「そこで、私は、この暗号が、この犯人を無罪にしないようにしてほしいという被害者側からの暗示のようなものではないかと思ったんです。さっき、ちょっとスマホで調べてみたんですけど、スズランは五月の誕生花で、バラは六月お誕生花なんですよ。ひょっとすると、誕生日と犯人側で何かあるのではないかとも感じたんですね。そして、私が知っている限り、袴田さんは誕生日が六月なんですよ」

 とゆいは言った。

「確か、山内は五月だったと思います。ということは、この二人がやっぱり今回の事件に何か関係があるということなのかな?」

 と刑事が言うと、

「私は、よく分からないままに、実はここに来るまでに、バラとスズランについて調べてみたんですよ。ネットで公開されている程度のことですけどね、バラには、さっきいちかさんとも話をしたんですが、どうやら、男色という意味の隠語だということを聞きました。ひょっとすると、犯人が男色だったのかな? とも思ったんです」

 とゆいがいうと、

「確かに我々もバラというのが暗号に関係があると言われると、そこに男色が絡んでいるということは、一番最初に考えることでしょうね。じゃあ、スズランはどう考えますか?」

 と聞かれたゆいは、

「スズランというのは、植物自体にも毒牙含まれています。そして、生けている花瓶の水を飲んだだけでも、十分死に至ると言われているものです。たまに、ミステリーなどの犯罪に使われているんですよね。それを考えると、ひょっとして犯人たちは、強盗に入る前に、その毒を使おうとしていたのではないかと思ったんです」

 と言った。

「じゃあ、誰かを殺そうとしたということ?」

 といちかが聞いた。

「それも考えられないわけでもないけど、強盗傷害未遂などという、犯罪としては、物足りないようなことしか起こせない人間が、人殺しなどできないとは思いませんか? そう考えると、山内は借金で首が回らなくなったことで、自殺を考えたのかも知れない。でも、自殺をするには、毒を手に入れないといけないでしょう? 普通の毒はそう簡単に手に入るわけもない。睡眠薬くらいしか考えにくいですよね。でも、睡眠薬だと死にきれなかった時が問題になる。きっと、彼は自分の殻だが汚れるような死に方は考えなかった。誰も傷つけたくないという思いがあり、それは自分に対してでも同じことではないかと思うんです。だから、睡眠薬を飲んでリストカットもできない。そもそも、度胸がない人に、できることではないですよね。この二つの花を置いた人の気持ちの中に、山内が花のようにきれいなままでいたいという気持ちがあるという暗示も含まれていたと思うんですよ。それだけ山内のことをよく分かっていて、山内に罪を認めてもらいたいんだけど、自分が彼のことを告発すると裏切ることになる。それはできないと思ったんじゃないでしょうか?」

 とゆいはいう。

「どうしたの? なんか急に冴えてきたわね」

 と、いちかがいうと、

「ええ、何か急に降りてきた気がしたの、刑事さんの話を伺っていたり、刑事さんと話をしていると、次第にあれを置いたのが袴田さんではないかと思うと、よく分かってきたのよ、それにね、さっきいちかと話した時、私がバラと男色の意味が分からないと言ったでしょう? 本当はちゃんと分かっていたのよ」

 とゆいの意外な告白に、

「というと?」

 と、いちかは冷静に返事をした。

「それはね。分からないふりをして。いちかに話をさせることで、私が考えていることと、どこまで接点があるのかを聞いてみたかったの。私が知っているということであれば、男色はスルーするでしょう? きっと、袴田さんにとって、山内さんは大切な人だったのね。そして、今回の事件も罪を償って、そして何とか立ち直ってほしいという思いと、自殺など考えないようにしてほしいということを、それぞれの関係者に知らせたいという思いがあったのかも知れないわね」

 というゆいに対して、

「じゃあ、ゆいは、ある程度のことを推理して、論理を組み立てたうえで、私のところに来たということなの?」

「ええ、そう。そして、山内という人が、いちかと知り合いだということも袴田さんは知っていて。ひょっとすると、刑事さんにいちかのところに聞き込みに行くように仕向けたのかも知れない。もちろん、ハッキリと言わなかったとは思うんだけど、警察がちょっと捜査すれば、いちかに辿り着くということも分かったんじゃないかしら? それを思うと、袴田さんが結構頭がいい人なんだって分かる気がするわ」

 というと、

「そして、袴田さんは、ゆいなら、きっとその謎を解き明かしてくれるという思いがあったのかも知れないわね」

 といちかがいうのを聞いた刑事は、

「じゃあ、どうして、松下さんストーカーまがいのことまでする必要があったんでしょうね?」

 と聞いた。

 それに答えたのは、いちかだった。

「ゆいはね。頭がいいのは誰もが認めるところなんだけど、それは本当に親しい人にだけ分かっていることで、中途半端な知り合い程度の人なら、天真爛漫な天然の女の子というイメージがまとわりついているように思われているの。というのは、彼女が切羽詰まったり、よほどの知り合いを助けるとかいう時でないと、頭が働かないのよ。それは私が一番知っているわ」

 というのだった。

 それを聞いたゆいは、軽くほくそ笑んだが、

「実はね。それもまわりを安心させる私のテクニックなのよ」

 とゆいは言った。

「えっ? じゃあ、私も欺いていたの?」

 とこれにはいちかもビックリしたようで、

「ごめんね。でもね、さっきも言ったように、私が何も知らないという様子で接する方が、いちかのようなタイプの女性は、しっかりしていることを強調しようとして、そういう時には、普段見せない力や発想を与えてくれるのよ。それは私が一番よく分かっている。そのおかげで今までどれほど助けられたか。そして今回もいちかの意見があったから、私のこの考えに至ったと思っているのよ。今まで自分が発想したことで、いちかがそれを補填してくれた内容で、間違っていたことは一度もなかった。私の進路にしても、将来のことにしても、いちかの助言が本当に役に立ったのよ。そして、私たちのような関係が、実は山内さんと袴田さんの間にはあるんじゃないかと思うの。袴田さんは私と同じ性格をしているということなのよ。だから、私は彼と婚約したのよ」

 というのだった。

「じゃあ、袴田さんは、松下さんが、自分の目論んだ通りに動いてくれると考えたということでしょうか?」

 と刑事が言うと、

「そうだと思います。そして、いちかのことも口にしたということは、私がいちかに今回のことを相談すると分かってのことでしょうね。だから、そこまでする必要はないと思われるようなストーカー行為をしたんでしょうね。それに関しては、生活安全課の人や、交番勤務の巡査さんには、ご苦労をおかけしたとは思っていますが、でも、これも防犯の一環だと思えば、少しは気が楽な気がします。実際、私の家の近くでは、痴漢や、ストーカー事件が頻繁に起こっているということでしたからね」

 とゆいがいうと、

「なるほど、でも、どうしてそんなまどろっこしいことを袴田さんはしたんでしょうか?」

 と刑事が訊くと、

「私といちかのこと、そして自分と山内さんのことを考えたんでしょうね。でも、そうすると、自分が山内さんと同性愛であることを知らせなければならない。袴田さんにとって、これは苦肉の策ではなかったのか? 今回のことをいちかに相談させるためのものではなかったかと思うんです」

 と言って、ゆいはいちかを見つめた。

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