つづまるところ「親が恋しい子供」と知る  幼な児の頃も そして現在(いま)でも

(2023-08-13)



母が亡くなった時には、こんな風に「楽に」涙なんか出ませんでした。

何だか、自分の感情の全部に蓋をされたみたいに、母が亡くなってから、少なくとも一年以上、笑いも泣きも出来なかったのです。

しまいには、「こういう時にはどんな感情を持てばいいのか」さえ分からなくなり、まるで、自分が魂のない絡繰り仕掛けの自動人形になったような日々でした。

(拙作の別の作品の中にもちらりと出しておりますが、『オズの魔法使い』のブリキマンの心持ちとは、恐らくこんなものじゃなかったのかな…と)

今、自分が生きて生活しているので、恐らくあの頃も同じように生きて生活していたのだろうとは思いますが、

「アナタ、本当は、あの頃はずっと生死の境を彷徨ってて、長いこと病院の集中治療室で、チューブに繋がれて生かされてたんだよ…?」と誰かに言われても、うっかり丸ごと信じてしまうかも判りません。

それくらい、自分が現在この世に生きているのだという実感が希薄でした。


今、たとえ拙くとも、文章表現という感情の吐出口を持っていて良かったな、と思います。

(もっとも、「文章表現」でないと感情の吐き出し方がわからない…というのも、大概捻くれているとは思いますが)


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