ホイ邪剣

@redhelmet

第1話

「あいつ、邪剣、使ってるらしいよ」

「ほんとか?」

 やつの使っているのは邪剣だ。そんな噂が世間で流れた。

 邪剣とは文字通り邪(よこしま)な剣、すなわち武士にあるまじき剣法を使っているということだ。過去、この国で邪剣に認定されてお城を追い出されたサムライは二人しかいない。

 一人は鞘に眠り薬を込め、刀身を抜いた瞬間に相手を眠らせるという邪剣を用いた。しかしこれは眠り薬があちこちに散らかり、刀を抜いた自分のほうも眠ってしまうし、周りで見ている連中も眠るし、何が何だかわけのわからぬまま一騎打ちが終わったという。

 もう一人は刀身に自動制御装置をつけ、勝ちをおさめるようプログラムされた邪剣を使った。武士道もここまで廃れたかと瓦版は書き立て部数を伸ばし、辻説法は隣国の陰謀だとはやし立て大いに人気を博した。

 最近、この国の石高は字面以上に下落し、民も武士も生活は疲弊している。おまけに隣国の若殿の気性が荒く、いつ攻め込まれるかわからない状況下、弓矢、鉄砲を量産せよとの大号令がかかった。大砲(おおづつ)まで配備しろなどという物騒な連中が声を荒げ始めた。

 そんな中、やつの使っているのは邪剣だという噂が同僚のサムライから流されたのだ。

あんな風采の上がらぬ中年男に、誰もかなわない。なんで強いのか、きっと邪剣に違いない。お城勤めの同僚たちのやっかみは半端ではなかった。男どうしの嫉妬は怖い。しかも今の世の中は不安だらけだ。噂が伝播する環境はおそろしく整えられていた。

 さらに噂がこんなにも早く広がったのにはもう一つわけがある。

この国の人たちの方言では「だからさあ」とか「それだからね」という語を「ほいじゃけん」と言う。それが関係したに違いない。

 始まりはこうだ。彼がある日、ふらりと町に出たところ、四人の不良に絡まれた。

「おっちゃん、サムライじゃないんか?」

 無視したがしつこくついてくる。

「刀、どうしたん? サムライの命じゃないんか? 刀は」

 彼は素手で歩いていた。

刀などあくまで象徴にすぎない。サムライという抽象概念を刀という具体で示す。それだけのことだ。

「刀持っとらんで、ええんかの~、サムライの癖によ~」

 変な節回しで揶揄してくる。

なんの意識もなく彼はホイと呟いた。

「ホイ? なんじゃ、そりゃ。おっちゃん、今、何言うたん?」 

 彼は立ち止まった。

「おお、おっちゃん、やるんか」

 そう言って不良の一人がヌンチャクを取り出した。それをきっかけにほかの三人も色違いのヌンチャクを出した。

ヌンチャク? なんて古臭いアイテムだ。

 不良は、いかにも俺たちは不良だぜみたいな不敵な笑みを浮かべ、ヌンチャクをビュンビュン振り回し始めた。

「ホイ」

「なんや、おっちゃん、やる気ねえのかよ」

「ホイ」

「ざけんな、このクソじじい」

「ホイ」

 するとどうしたことか、不良は四人ともヌンチャクをそそくさと仕舞いはじめた。まるで今まで神聖視していた美人画の看板娘が、妊娠して婚約したという情報を瓦版で知り、何もかも空しくなったという顔つきだった。

 彼は試しにもう一度呟いた。

「ホイ」

 四人がこちらを同時に見た。膝を屈し両手を地面につき「まいりました」と頭を下げた。 

 それ以来、彼は素手で戦い「ホイ」の語を囁き、相手のやる気を喪失させた。

ホイが使うから邪剣。すなわち、こちらの方言では「ほいじゃけん」。こんなばかばかしいことで噂が広まるとでも言うのか。広まるのである。噂とはそういうものだ。つい先日も流行病(はやりやまい)の折り、マスク窮乏の噂が流れ、何の関係も無いのに庶民は落とし紙を買い漁るという無茶に走ったではないか。

かくしてホイの使っているのは邪剣と認定され、ホイはお城から退去させられた。しかし彼はそのことを意に介さず、浪人となった後も素手のまま「ホイ」で勝負し続けた。

なにしろ「ホイ」を聞いた瞬間、相手は白けてやる気をなくすのだ。いつしか、たくさんの武士が刀を捨てホイに弟子入りした。この国はいつでも隣国に大砲(おおづつ)を発射できる準備をしたが、そんなものは不要であった。ホイの噂は隣国にまで広まり、気の荒い若殿は大砲よりむしろ「ホイ」を畏れた。

結果、ホイ邪剣によって長い間この地域は平和を維持し続けたという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホイ邪剣 @redhelmet

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る