第一章-5

 駅前のロータリーというのは、定期的に選挙活動の場となる。

 事実、駅周辺は人が集まりやすく、よほど急ぎの用がない限り、人だかりがあれば足を止めるのが人間というものだ。

 ロータリーの中央に選挙カーが一台留められている。上では中年を過ぎたくらいの男が、メガホンを片手に演説をしている。車体には赤い文字で大きく『ののした まこと』と書いてあった。

『――ですから、この不安定な情勢の中、我々一人ひとりが立ち上がらなければならないからこそ、我々一人ひとりが立ち上がるべきなのです!』

「まともに聞いたら全く中身がないこと言ってるよね、あれ」

「私は気にならないです。というかどうでもいいです」

 男――野々下――から少し離れた場所で、義充とフィアは演説の様子を見ていた。自分の住む選挙区であんな候補者がいることに義充は辟易としたが、フィアは外国人だからか、話の内容どころか選挙そのものに興味がないようだった。

「それより、車の上のあの男。あれが《ザミエルの悪意》の所有者です」

「見た感じ普通の人だけど?」

「そりゃあ義充さん、そんな恰好していたらあまり悪意感じられないですし」

「君がアドバイスしたんじゃないかっ」

 今の義充は、マスクとサングラスを装備した不審者スタイルだった。春先ゆえ、花粉症対策と言えないこともないが、怪しい見た目であることに変わりはない。

「《ザミエルの悪意》は存在するだけで強力な悪意を発します。使用されれば尚のことです。義充さんの知覚はかなり優れていますから、まともに感知すれば気絶は免れないでしょう」

 それを防ぐために、五感をある程度抑制しておこうというのが、フィアからの提案だった。

「とはいえ、これだけ距離があれば気絶の恐れもないです。慣らしも兼ねて、サングラスを外してみてください」

 彼我の距離は二十メートル以上ある。確かに、今まではこれだけ離れていれば、体調に影響が出ることはなかった。その経験から義充はフィアの言葉を信じ、サングラスだけを外した。

「! ……これは、思っていたより強烈だな」

 車上に立つ男から発せられる悪意は、これまで見たどんなものより強力だった。普通、視覚で感じられる悪意は黒い靄が不規則に揺らめいている程度だが、野々下から出ているのは、どす黒い靄が生物のように蠢いていた。靄は周囲の聴衆に向かって触手のように伸び、彼らにまとわりついている。

「なんだあれ。生きているみたいに悪意が動いているなんて」

 サングラスをかけ直しながら義充はフィアに説明を求めた。

「逆に質問ですが、義充さんは今まで積極的に悪意を視ることをしてこなかったのですか?」

「仕事には便利だから使うこともあったけど、基本的に危険は避けるようにしてきたから」

「では《ザミエルの悪意》に触れるのはこれが初めてということですか」

 それなら納得の反応ですねー、と頷いてから、フィアは言葉を続けた。

「まず《ザミエルの悪意》はその全てが『銃のような形をしたもの』です」

 言いながらフィアは野々下の持つメガホンを右手で指差す。

「そして銃を使うことから、《ザミエルの悪意》の所有者は《射手》と呼ばれます」

「銃……かなあ。言うほど似てない気がするけど……」

「持ち手とトリガーがあるから銃ってことになるんですっ」

 義充が首を傾げると、フィアが腕を上下に振りながら言い切る。言い争っても仕方がないので、義充はそういうものだと納得することにした。

「――どうやら、メガホンを介して人々を操り人形にしているようですね」

 見ると、聴衆たちは一様に野々下を見つめている。姿勢は微動だにせず、見開かれた瞳は虚ろだ。精巧な人形を並べていると言われても信じてしまいそうなほどである。

「今は恐らく自分の話を強制的に聴かせているのでしょう。意味があるか分かりませんが」

「……あれ、俺たちさっきあの人の声を聞かなかった?」

「さすがに有効範囲は決まっているのでしょう。私たちくらい離れていれば問題ないみたいです。ここいらの人は何ともないようですし」

 確かに、自分たちを含めた通行人たちには、特に何の異常も見られない。

「……あの話の内容であれだけ聴衆がいる上に、皆様子がおかしいね」

 これだけの光景を見せられると信じざるを得ない。改めて義充はフィアに依頼内容を確認することにした。

「《ザミエルの悪意》だっけ? 『野々下氏が持っているあのメガホンを回収してほしい』というのが、今回の君の依頼だよね?」

「そうですね。でも、急に『《射手》と対峙して《ザミエルの悪意》を奪ってほしい』なんて無茶は言いません。そのお手伝いをお願いしたいだけです」

 扱いについては私の方が心得ていますから! と自信げに胸を張るフィア。義充は彼女のかしましさに苦笑した。

「分かった。俺が荒事をするわけではなさそうだし、依頼を受けよう」

 義充の返答を聞いたフィアは、今度こそ喜びのバンザイをした。

「ありがとうございます! あ、報酬は前払いです?」

「いや、後払いでいいよ。細かい内容と請求はこっちから提示させてもらうけど、いいかな?」

 そういう状況でもないしね、と街宣車に視線を向ける義充。相変わらず野々下は独特の演説を続けている。聴衆も先ほどより増え、二百名は超えている。

「それで大丈夫です。確かに、早く行動した方が良さそうですしね」

 有効範囲が限られているとはいえ、このまま放置すれば野々下が洗脳した聴衆に何をさせるか分からない。二人は早速相談に入った。

「それで、『扱いは心得ている』ってことは、何かプランがあるのかな?」

「もちろんです! 義充さんにやって頂くことは非常に簡単ですので安心してください!」

 まずですね……と、フィアは“プラン”の説明を始める。義充はメモ帳とペンを取り出して聴く姿勢を取った。

 が、話が進むにつれ、義充の表情から余裕が消え、冷や汗が浮かび始めた。

「……フィアさん。それは、本気?」

「はい。何か問題あります?」

 首を傾げるフィア。全く悪びれる様子のない彼女に、義充は軽く絶望を覚えた。

「…………いや……ない……」

 自分が「荒事でない」と思い込んでいたことに後悔した。苦い感情は隠し切れず表情に浮かんだが、それでも義充はフィアの提案を受け入れた。可能であれば全力で拒否したかったが、対案が浮かばなかったのだ。

「善は急げ、です。早速準備しましょう」

 ふんす、と鼻息荒くフィアは気合を入れている。そんな彼女と対照的に、義充は空を仰いで軽くため息をひとつ吐いた。

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