第一章-4

 《悪魔ザミエル》。およそ日常的には聞くことのない単語に、義充は首を大きく捻った。

「あー……フィアさん? もう一度言うけど、俺は探偵だ。ちょっとだけ人より勘が優れているくらいで、そういう話は専門外なんだ」

「《悪魔ザミエル》とは、純粋な悪意が具現化したものです」

 あら無視ですか、と苦笑する義充。しかしこれ以上突っ込む気もない。依頼人と称して宗教勧誘やマルチ商材を売り込みに来られたことは何度かあった。この手の人間は一度全て話させた上で突っぱねる方が楽なのである。

「今は封印されていますが、奴は自らの力を人形と呪具という形で分離させました。人形は《ザミエルの娘(ザミエルズマリス)》、呪具は《ザミエルの悪意(ザミエルズオーガン)》と呼ばれ、親たるザミエルの復活を狙っています」

「悪魔っていうけど、どういう奴なんだい? やっぱり角とか翼とか持ってるの?」

 相槌や話を進めるための質問は義充も入れる。仕事柄、黙っているのが性に合わないのだ。

「いいえ、ザミエルは特定の形を持ちません。以前は人間に宿っていましたが」

 そんなキャラクターが出てくる映画があったな、と義充はぼんやり考えた。タイトルは覚えていないが、有名な俳優が主演だった。

「《ザミエルの悪意》は人間に使われる度にザミエル復活のための力――悪意――を集めます。そしてそれを人間に渡すのが《ザミエルの娘》です」

 義充が他愛ないことを考えていると、フィアは話を進めていた。

「《ザミエルの悪意》は程度の差こそあれ、そのどれもが埒外の力を持っています。そして当然、それを欲する強い悪意を持った人間もいる」

 手にしていた湯飲みを置き、フィアが真摯な眼差しを向けてくる。

「あなたには、この《ザミエルの悪意》を探し出して、回収する手伝いをしてほしいのです」

 その視線に嘘をついている素振りはなく、微塵の悪意も感じられない。つまり――“重症”なのだろう。

「なるほど、面白かったよ。フィアさんは小説家に向いてるんじゃないかな」

 義充はフィアの語った内容をやんわりと全否定した。恐らく、この少女は極度の妄想に取りつかれているか、どこぞの団体に『教えられて』いるのだろう。

「作り話なんかじゃないですよう。だって義充さんは悪意を感じられますよね」

 むす、と頬を膨らませてフィアは先ほど義充が披露した能力について言及した。

「うん? その通りだけど、それと何が関係して――」

「――四ツ川大火災」

 不意にフィアはひとつの単語を口にした。それを聞いた瞬間、義充は全身の肌がぞわりと粟立つのを感じた。

「この街の隣にあった四ツ川市が、一夜にして全焼した未曽有の大災害。約三十万の人口のうち、生存者はわずか二名。それが、あなたと妹さんですよね」

 静かに、淡々とフィアは言葉を放つ。辞書に書いてある内容を読み上げるアプリケーションかのように。単調にリズムを刻む彼女の言葉に、義充の動悸が早まっていった。

「……確かにそうだけど、そのことが依頼と何の関係があるんだい?」

「あの災害は、ザミエルによるものです」

「まだそんなことを……」

「ザミエルは復活した際、無差別に、無尽蔵に、暴力と悪意を周囲に撒き散らしました。そんな悪意の海の中、尚生き残った人間には、一種の後遺症が残ります」

 それが、と一拍置き、フィアは己の顔を指差す。

「視覚、嗅覚などで悪意を感じ取ることができる能力。あなたが言う“勘”です」

 心当たりがあるのでは? という彼女の言葉に、義充は己の“能力”について記憶を辿った。

 最初にこの力を自覚したのは、災害が起こり、避難してからのことだった。搬送された先の病院で、親戚たちが面会に来た。見舞いという建前の、引き取り先を決める話し合いだった。両親は実業家だったため、その遺産を狙っていたのだ。

 そのことに確信を持てたのは、この“能力”によってだった。こちらを心配した様子で話しかけてくる親戚たちからは、今まで嗅いだことのない異臭と、黒い靄が発せられていた。

「……確かに、この“能力”はあの日以降使えるようになった」

 言いながら義充は改めて少女に意識を傾ける。通り魔が放っていたような“臭い”はフィアからは感じられなかった。

 仮にフィアの話が真実だとすれば、因果関係には納得できる。悪意をバラ撒くザミエルと、その影響を受けたことで悪意を感じることができるようになった自分。

「じゃあ、信じてくれるんですね!」

 義充が呟いた言葉に、フィアは花が咲くように表情を明るく変えた。

「いや、そうでもないよ」

 義充の言葉に、フィアはバンザイしようと挙げかけていた両腕を胸前で空しく止めた。袖が長いからキョンシーみたいだな、とその様に義充はコミカルな感想を抱いた。

「今の話で分かったのは俺の能力と“四ツ川大火災”に何らかの関連があることだけ。ザミエルやらの存在の証明にはなっていない」

「物腰は柔らかいのに頭は固いですね……」

「探偵をやっていると慎重になるんだよ」

 頬を膨らましてフィアは皮肉を言うが、湯飲みに口をつけながら義充はそれを躱した。

 どうしたものか、フィアは思考を巡らせる。現状提示できる情報だけで、この青年を説得することはできない。

『――野々下、野々下 誠をよろしくお願いいたします!』

 にわかに外から拡声器越しの女声が聞こえた。選挙活動のために走り回っている街宣車だ。

 その声を聞いた瞬間、先まで困惑していたフィアの表情が一転した。なぜか見下ろすような角度に顎を上向け、口元には笑みを浮かべている。

「仕方ないですねえ、もっと分かりやすい証拠をお出ししますよ」

「何かな、ぜひ聞いてみたい」

 ドヤ顔でも画になるなぁ、と思いながら義充は湯飲みを置き、淵を指先で撫でた。

義充の促しを受け、フィアは立ち上がり、窓の外に視線を向けた。

「ここ最近、近所で強い悪意を感じることはありませんでしたか?」

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