第5話「嵐の去った後」
(あ、あれ? 視界が、ぼやける……)
ぼやけた視界で、華は辺りを見渡した。
(ここ、どこ)
頭が回らない。あれ私何してたんだっけと、華は暫くボーとしていだが、机に突っ伏して寝ている翔太が目に入ると、次第に見る見る覚醒していった。
(ここ、翔ちゃんの部屋だっ。私、ゲームしながら寝落ちちゃったんだ)
少し睡眠を取った事で、自分がいかに常識外れな事をしたかが、華にも徐々に理解出来てきた。
(私、とんでもない事、したんじゃない?)
華は血の気が引いていき、背中に悪寒が走るのを感じた。おもむろにベッドの横を見やると、すぐ側のチェストの上に、自分の眼鏡とゲーム機が置いてあった。眼鏡を取ろうと手を伸ばした時、自分に掛かっていた毛布に気が付いた。
翔太が掛けてくれたのかと、華はその優しさに何かが込み上げて来た。思えば昔から翔太は、凄く優しかった。自分がどんな無茶をしても、変わらず傍で見守ってくれる、そんな優しい子だった。
(昔とちっとも、変わってないな)
華は嬉しいのに、涙が溢れそうになった。
***
翔太はスマホのアラーム音で目を覚ますと、いつもの様にアラームをスヌーズする。
(もう、六時かあ)
部屋はもう朝日が入ってきて、明るかった。ハッとベッドの方を見やった。誰もいない。
(帰ったのか)
いや、もしかして昨日の事は、夢だったんじゃないかと、翔太がゆっくりと立ち上がった時、するりと自分に掛かっていた、毛布が床に落ちた。
(……あ)
華が掛けていったのだと、すぐ分かった。
――やっぱり夢じゃなかった。
ベッド横のチェストの上の、眼鏡とゲーム機がなくなっていた。代わりに一枚のメモが残されていた。翔太はそれを拾い上げる。
『翔ちゃんへ
昨日は、本当に迷惑掛けてごめんなさい』
一応悪かったとは思ってたんだと翔太は、フッとおかしくなった。しかしその後に続く文章に、心が押し潰されそうになった。
『でも、久々に翔ちゃんと遊べて楽しかった』
翔太は、自然と目の奥が熱くなった。
本当は違うのだ。
辛くて、忘れたかったのだ。
華と疎遠になったきっかけを、作ったのは自分だった。周りの連中に揶揄われて、恥ずかしくなったのだ。男女の幼馴染間には、よくある事かもしれない。でも華は、そんな周りの連中の、冷やかしにも全く動じず、自分に接してきた。その強さと潔良さが、更に自分を惨めにした。
その上、彼女を異性として意識してしまった自分が嫌で、恥ずかしくて、華と同じ気持ちでいられない自分は、彼女の傍にいる資格がないと翔太は思い至った。
要は華から逃げたのだ。
酷い事を言って傷つけた。
あの時の華の悲しそうな顔を、今でも忘れられない。嫌われても、憎まれてても当然だと思ってた。
――なのに
「ごめん、華。本当に、ごめん……」
翔太は、今はもうそこにいない華に、何度も謝った。
***
翔太が家を出た時、昨日の天気が嘘の様に晴れ渡っていた。雨に洗い流されて、いつもより空気が、澄んでいる様な気がした。
少し前方に、欠伸を噛み殺しながら、トコトコ歩いている制服姿の女子がいた。
今までなら、絶対話しかけなかった。
でも――
「おはよう」
華はその声に、ギョッと振り向いた。
虚をつかれた様で、華の返しはぎこちなかった。
「お、おはよう……」
華は、いつもはしていない眼鏡を掛けていた。気になって、翔太が聞いてみようとすると、それを華は遮ってすまなそうに続けた。
「翔……浅川君、昨日は本当にごめんね」
華があまりに項垂れているので、翔太はそれが少し気の毒になった。
「いいよ、もう。それに名前も、呼び辛かったら、言い直さなくていいよ」
翔太は少し照れくさくなったが、せめてこれが、華への贖罪になるならと頭を掻いた。
華は見る見る顔を明るくさせ、いいの、どうしたのっ? と迫ってきた。さっきまでしょぼくれてたのに、厳禁なやつ。
それから取り留めのない会話をしながら、二人は学校へ向かった。
「そうだ、ちょっと気になってたんだけど、お前、目悪かったの? 普段、眼鏡掛けてないじゃん」
「外出る時は、基本コンタクトだから。でも家にいる時は眼鏡だよ。ゲームする時は疲れるから特にね。今日は目が疲れすぎてて、ちょっとコンタクト辛くて」
それを聞いて、翔太は少し嫌な予感がした。
「お前、家に帰ってちゃんと寝た?」
「寝たよ、三十分くらい」
全然寝てねーじゃんっ。お前、いい加減にしろよ! という翔太の声が、朝の爽やかな通学路に響いた。
つづく
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