VALKYRIA ー始祖の乙女と七つの国ー
となりのOL
第一章 目覚め
1 選別の儀
――その魂は求めていた。
自らの存在意義、などではない。何かを為さなければという奥底から湧き出る責務にも似た情動。
――何を?
輪廻転生を繰り返し、その度に得た知識や経験で魂の
――何か救うべきものがある?
求めるものが明確になるにつれ軌道修正をしていった。が、まだ届かない。探しても探しても答えに辿り着かない。この旅を、私はあといくら繰り返すのだろう……
⚜ ⚜ ⚜
水の国・アクアンキューテ
『水の乙女』が守護するこの国では年に一度、その年に十歳となる全ての女子から、選別の儀にて『水の乙女候補』を洗い出すという風習があった。選ばれた候補たちは王都の宮殿、その奥にある離宮で修行を受け、『水の乙女』を目指という。
『水の乙女』は国の象徴であり、その候補に選ばれるだけでも大変な栄誉だった。
候補に選ばれた時点で貴族と同等の身分が保証され、将来的には上位貴族や王族へ嫁ぐことが約束されている。そのため、平民の女子たちにとっては、選別の儀で乙女候補に選ばれることが一種の夢物語であり憧れでもあった。
もっとも、その夢が実現することはほとんどない。
候補に選ばれるのはほぼ例外なく貴族の娘であるということを、この国の誰もが知っていた。
ほとんど形だけの選別の儀。
村の誰もが、そして儀式の責任者として村に来ていた領主の使者までもがそう思っていた。
今年、選別の儀を受けたのは私を含めて四人いた。
他の女子たちは、
「選ばれたらどうしよう!」
「そんなことあるわけないでしょ!」
「それより、今日は晩御飯が豪華なの!楽しみ!」
などと、他人事のように話を弾ませている。
しかし、彼女たちが醸し出す空気とは裏腹に、私は少しだけ彼女たちと距離を取って、儀式の様子をぼんやりと眺めていた。
何故だか、今日はいつもとは違う。そんな予感がしていた。
九年と少しを過ごした村の見慣れた広場、いつもと変わらぬ景色、自分というものの存在感……。
そのすべてが、いつもより遠くに感じる。
「やっぱりねー」と言い、選別の儀式を行っている広場から離れていく女子たちを背中で見送りながら、いざ自分の番を迎えた私は、普通とは違うらしいその水に視線を落とした。
(なんて、綺麗なんだろう……)
田舎で貧しいこの村にはおよそ似つかわしくない、豪華な装飾が施された水瓶に満たされた水。王都の宮殿、さらにその奥の奥で、『水の乙女』自らが汲んだという特別なその水に、血をほんの一滴垂らすだけで『水の乙女』候補を割り出せるという。
私の前に、既に三人の血が落とされているはずにもかかわらず、その水は未だ清らかさを保っていた。
「右手をこちらへ」
そう言われて、流れ作業のように右手を差し出し、これまた儀式用の装飾が施された細い銀の針を人差し指に刺される。溢れて出てきた血を一滴、水瓶の中に落とす。
ただそれだけのことだった。水瓶の中にポトリと落ちた一滴の血は、このまますうっと水に溶け、何事もなかったかのように透明へと戻るはず。
だが……。
「え?」
これは私の声だったろうか。それとも、目の前の使者の声だっただろうか。
先程までただの透明だった水が、突然、光りだした。
その眩しさに思わず目を細める。異様さに気付いた周囲の人々も、同じように時が止まったかのように息を飲んだ。
「な……水が……水が、光っておる!!」
静まり返っていた場を切り裂いたのは、使者の声だった。
使者は震える手で水瓶を抱え、何度も中を覗き込む。そして、おもむろに顔を上げ、興奮に震える声で私に言った。
「そ、そなた! 名をなんと申す!」
「あ、ニコラ……です」
気圧されて、声が裏返りそうになった。
そして強張る私の両手を強く握りしめた使者は、目を見開き、徐々に頬を赤く染めていきながら興奮気味に捲し立てた。
「ニコラだな!? 良いか! 某はこれから早馬にて領主様にこのことを報告しに行く!」
使者は、興奮を抑え切れず息をつきながら続けた。
「明日の朝迎えに来るから、王都へ参る準備をしておくのだぞ! ああああ……選別の儀の使者を務めて早三十年余り。初の……初の! 乙女候補だ!! そこら辺の適当な水なのではと少し、いや、ほんのすこーしだけ思っておったが、この水の力はまこと本物であった! ニコラよ家で待っておれ! 明日の朝迎えに参る!」
使者はそう言い残し、事態がまだ理解できずに呆ける私たちを置いて、嵐のように去っていった。
残された人々は互いに目線を交わし、一斉にワアッ!! と歓声を上げた。
それから先は、村はお祭り状態だった。
広場にまだ残っていた私と共に選別の儀を受けた女子たちや、その親たちの口を通じて、初の『水の乙女』候補誕生の知らせは瞬く間に村全体へ広がった。
人口八百人ほどの小さな村が、驚きと祝福に沸き立つ。
「ニコラ、ニコラ! おめでとう!」
「水の乙女候補だなんて、すごいことだよ!」
「こりゃ、この村始まって以来の大ニュースだ! 隣の村にも知らせなきゃ!」
周囲の人々は口々に祝いの言葉をかけてくる。
その熱気と喧騒の中、私はまだ事態を受け止めきれず、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。
両親も同じだったようで、誰もが何を言うべきか分からず、ただ押し寄せる人々の波に飲み込まれていた。
なんとか家に帰り着いても、お祝いに訪れる人々は途切れなかった。午前中にあった選別の儀から半日が過ぎ、夜になっても、村の熱狂は冷めやらない。
随分と夜も暮れてきて、ようやく人々が去り始めたころ、私の前に選別の儀を受け、家族と共にお祝いに訪れていた同い年の女の子が、ぽつりとつぶやいた。
「明日の朝で、ニコラとはもうお別れなんだね……」
そう言って寂しそうな様子を見せる姿に、ふと先ほど家を訪れた村長の言葉が甦る。
「乙女候補を輩出した村とその家族には、領主より多額の報奨金が出るのだ」と言っていた。
それは、乙女候補を今日の今日まで無事に育んだ両親と、一家が所属する村への報奨金という名の手切金だった。
一緒に村長の話を聞いていた両親の顔が曇ったのは、その事実を察したからだろう。
その時は遠い他人事のように聞いていた話が、先ほどの言葉を受けて「そうか、明日からはもうここに自分の居場所はないのか」と突然現実味を帯びてきた。
この村の、ただのニコラでいられるのも、両親の娘のニコラでいられるのも、今日が最後なのだ。そう気付いてしまったら、途端に家族が恋しくなってきた。
この村の一般的な例に漏れず、漁師兼農民の父に、子ども達の面倒を見つつ父の仕事を手伝う母、そしてみっつ年の離れたやんちゃで憎めない弟。妙に落ち着いていて同世代の子ども達とあまり馴染めなかった私を、受け入れ愛し育ててくれた大切な家族。
自分の報奨金が出たら、程々に貧乏なこの家も少しは潤うだろう。仕事と日焼けで、年相応というよりかは多少老けて見える両親も、少しは休む暇ができるだろうか。日々のご飯が少し豪華になれば、育ち盛りの弟にはいいかもしれないし、学校に行く足しにでもなれば、弟の将来が少しいい方向に変わるかもしれない。
でも、その時、そこに私はいない……。
ギュッと胸が締め付けられるようだった。
痛む心を持て余しつつ、自分以上に世話しなく人々の相手をしている両親の姿を目に焼き付けていた。
夜もさらに更けて、やっと最後の訪問客を見送った両親と思わず目が合った。
選別の儀からかれこれ半日以上。その間、ゆっくり話す暇もなかったのだが、視線の先の両親はいつもよりもさらに疲れて見える。
呆然と見つめる私に気付いた両親は、互いに目を合わせた後、こちらを向いて優しく呼んだ。
「ニコラ……」
その声には、私を、そして残されたこの瞬間を惜しむような気持ちが込められている気がした。
堪らず顔を歪めながら、両親のもとに駆け寄り強く抱き着く。これまで家族と共に過ごした思い出が、走馬灯のように一気に蘇ってくる。
平凡な日々だと思っていたけれど、そのどれもが今となっては大切な思い出だった。
目頭からじんわりと熱くなってくるのを感じる。久しぶりに触れた両親の温かさに、このまま顔を埋めて、いつまでも浸っていたいと思う。
けれど、それが許されないということもまた、頭の隅で理解していた。
十分に感傷に浸ったあと、弟は疲れてとっくに疲れて寝てしまっていたので、両親と三人で遅めの夕食を取った。
何か感動的なものでも、絶望的なものでもない。ただ、淡々と食事を取り、ゆっくりと語らい合う。最後の晩餐というのは、こういうものなのだろう。
私は目の前に座る両親の姿と、どれもが自分の好物である母の手料理と、十年近くを過ごした家の雰囲気を噛みしめながら、この家での最後の夜を過ごした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます