Ø6 [light_my_way](4)
「グランマ……!」
標的に従うNG系の男が叫んだ。
NG系の中で、標的はそう呼ばれている。
グランマといったら、祖母、お祖母ちゃんのことだが、どうやら、グランドマスターの意味合いも込められているらしい。
「
標的がそう返すと、中身が――刀剣を手にした全身タイツ姿の痩せた男が、浮き上がりはじめた。
「うぉっ……!?」
中身は目を剥いて、足掻こうとしたのかもしれないが、体が言うことを聞かないようだ。
標的がやっているのか。
だとしたら、何をしているのだろう。
情報によれば、
少なくとも、NG系はそう公言しているようだ。
NG系の表の顔であるニューグランドストレージズの系列会社、ネオエナジーアソシエーションは、気功と武術を教える道場を全米展開している。
さすがに道場生が皆、気功使いになれるという話ではないようだが、道場の師範クラスが壁走りのような技を実演する動画は、ネットで探せばいくつか見つかるらしい。
標的のユーリン・グレイが右手を中身の男に向け、軽く手首を曲げた。
それだけで、中身の男は急降下して床にひれ伏すどころか、うつ伏せになる羽目になった。
違う。
うつ伏せではすまなかった。
「――もぎゅぁ……」
中身の男は顔を横に向けていた。
その目から、鼻から、耳の穴からも、血が噴きだした。
さながら、とんでもなく重量のある物体に押し潰されているかのようだ。
中身の男は、ただ一人で到着ロビーの床に伏せているだけなのに。
彼は死のうとしている。
あれが気功だというのか。
何にせよ、ユーリン・グレイの力だ。
到着ロビーが騒がしくなりかけた。
そのとき、騒がしい、などという言葉では足りない、大きな音が轟いた。
これは、銃声だ。
くちなはすぐにそれとわかって、反射的に頭を低くした。
ユーリン・グレイは、脚を曲げて支えることなく体を三十度ほどに傾ける、えらく不自然な体勢をとっていた。
あれで転倒しないのも、気功、NG系の技なのか。
さっき、グランマ、と叫んだNG系の男が、アウッ、と悲鳴を発した。
銃撃か。
何者かがユーリン・グレイを狙撃した。
でも、彼女は躱した。
流れ弾がNG系の男に当たったのだろう。
銃声は一度では終わらなかった。
二度、三度と続いた。
明らかにユーリン・グレイを狙っている。
狙撃手の腕は悪くない。
ところが、当たらない。
ユーリン・グレイは、走ってはいない。
歩いている。
すっと足を前に出すと、そちらにひゅっと進む。
いや、足を進行方向に出しているのかどうかすら定かではない。
跳ばずに跳んでいる。
進行方向も前後左右、まちまちだ。
ユーリン・グレイが彼女の意思で移動しているというよりも、何か大いなるものが彼女を導いているかのようだ。
ユーリン・グレイは柱を登った、とは言えないだろう。
柱の上を移動した。
銃弾がユーリン・グレイではなく到着出口の案内表示板を直撃し、男女の声がこだまして、逃げ惑う者たちもいれば、その場に伏せる者たちもいた。
ユーリン・グレイの部下なのだろうNG系の男たちは、散開しつつ、遮蔽物で身を守ろうとしている。
さっき銃弾を食らった男は血だまりの中に倒れていた。
あたりどころがよくなかったのか。
そうとうな出血だ。
もう死んでいるかもしれない。
「
ユーリン・グレイがたぶん英語で何か呟いて、天井に右手をついた。
くちなは立っていられなくなった。
一瞬、地震かと思った。
しかし、まったく違う。
空間全体がねじ曲げられたようで、その結果、知覚に異常を来たし、平衡感覚がおかしくなったのだろうか。
息が詰まった感じもするし、耳も聞こえづらくなった。
気がつくと、くちなはしゃがみこんでいた。
「
ユーリン・グレイが指示すると、銃撃をさけようと回避行動をとっていた彼女の部下たちは、一転して搭乗ロビーを駆け巡りはじめた。
彼女のような、見ていて頭がこんがらかるような身のこなしではないが、彼らも速いし、尋常ではない。
障害物も、柱も、彼らは物ともしない。
くちなはうずくまったまま、瑠鸞を捜した。
瑠鸞は見あたらない。
どこかに身を隠しているのか。
たしかに、これは大きな仕事だ。
イルミネーションの惨劇がくちなの脳裏をよぎった。
死者は今のところ、ユーリン・グレイを襲撃して失敗した男と、NG系の男、どちらも人殺しか、その同類に違いない。
本当にそうなのか。
狙撃手は何発もぶっ放した。
一発か二発、無関係の者に当たっているかもしれない。
それに、まだ始まったばかりだ。
ユーリン・グレイが死ぬか、襲撃者が全滅するか、撤退するまで、被害は拡大しつづけるだろう。
天井にぶら下がっているのではなく、天井で中腰になっているユーリン・グレイの真下に、いつの間にか人がいた。
高良縊想星ではない。
黒っぽい服装で、身長も百七十センチ程度だが、髪が肩くらいまである。
女性だろうか。
「っっっ――……」
くちなは両耳を押さえた。
これは、声なのか。
女性がユーリン・グレイを振り仰いで口を開け、音を発した。
脳髄にまで響く、どんな音とは認識できないような音だった。
天井が破裂した。
そこには、寸前までユーリン・グレイがいた。
消えたのではない。
ユーリン・グレイは、頭から女性めがけて落下した。
すれ違いざまに、女性の顎が二百七十度回転した。
ユーリン・グレイが事もなげに床に降り立つと、頭部がありえない方向に曲がった女性は、崩れ落ちるように倒れた。
あれもCOAか。
COAだった。
あの女性も死んだ。
ユーリン・グレイは、謎めいた力を使うCOAの暗殺者を、赤子の手をひねるように始末してしまった。
自分の縄張りではない土地に意気揚々乗りこんでくるだけあって、とんでもない八十二歳だ。
本当に八十二歳なのか。
人間なら年をとる。
衰えているはずだ。
いくらなんでも、全盛期ではないだろう。
八十二歳でこれか。
何かの間違いではないのか。
くちなは避難することも、右往左往することもできず、ただただその場にとどまっている。
そんな被害者のふりをしているのだが、実際、手も足も出ない。
もし、今、くちなが立ち上がったら、ユーリン・グレイは敵だと見なすだろう。
十代の、米国人にしたら子供にしか見えない娘だからと言って、容赦はしないはずだ。
ユーリン・グレイはくちなを排除するとき、ふれるだろうか。
ふれなければならないのであれば、勝機がある。
というか、くちなにふれた瞬間、ユーリン・グレイは死ぬ。
正確には、ふれる直前、ユーリン・グレイは頓死するだろう。
しかし、ユーリン・グレイの力が、ふれずにくちなを殺せるものなのであれば、おそらく勝ち目はない。
「ハイ」
ユーリン・グレイが誰かに声をかけた。
誰か、というか、たぶん、くちなだ。
ユーリングの顔はくちなのほうに向けられている。
「メアイヘルプユー?」
手助けが必要か、と、ユーリン・グレイはくちなに訊いている。
言葉としては、大丈夫ですか、くらいの意味合いだろう。
ただ、この場合、くちなを巻きこまれた被害者だと見なし、気遣っている、とは考えないほうがいい。
反応をうかがっているのではないか。
ユーリン・グレイは、くちなもまた、敵かもしれないと疑っている。
現時点では、確信までは持っていない。
少しでも怪しまれたら、殺される。
そう考えるべきだ。
くちなは顔をしかめて首を左右に振った。
英語はわからない。
ユーリン・グレイが何を言っているのか、わからない。
何が起こっているのかも、理解できない。
そういう演技をしているつもりだが、相手はどう受けとるか。
不意にユーリン・グレイが別の方向に目をやった。
煙い。
きな臭い。
燃えている。
ロビーに置かれているソファーだ。
炎を上げている。
ソファーの近くの、観葉植物が植えられたプランターも。
瑠鸞か。
焔帝の仕業だ。
ソファーやプランターは手始めだろう。
壁が燃えはじめている。
あちこちから煙が立ちのぼりだした。
火災報知器が煙や炎を感知して、けたたましい警報音が鳴り響いた。
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