Ø6 SUDDEN DEATH(上)


 高良縊想星はどこにでもいる普通の高校生になりたかった。

(仕事さえなければ……)

 午後八時前、標的が職場のビルから出てきた。

「姉さん、標的が退社――」

 想星は通りを挟んだ斜向かいのビル付近で見張っていた。

 黒縁の眼鏡をかけてリュックサックを背負った標的が、駅のほうへ歩いてゆく。

 想星も歩きだした。

「移動します」

『了解』

 イヤホン越しに姉が答えた。

(仕事がなければなぁ……)

 想星はため息をついた。

(白森さんと放課後、イオンに……)

『想星?』

「はいっ?」

『今、どうしてため息を?』

「……つきました? ため息? 僕が? ため息を? 本当に?」

『ついたわ。確実に』

「ええ? そうですか? ため息? へえ? 気づかなかったな……」

『私が聞き違えたとでも?』

「すみません。ため息つきました。仕事が立てつづけで、疲れてるのかな……」

『気を引き締めなさい』

「はい、姉さん。ごめんなさい」

 想星は小声で姉に謝罪しながら、通りの向こうの標的を尾行する。

(……つらかったなぁ。断ったとき。白森さん、がっかりしてた。それなのに、こっちこそいきなりだったしごめん、とか、逆に謝らせちゃって。どれだけ性格いいんだよ。聖人か? 聖女かな? 外見も中身も完璧か? くそぅ。僕は最低だ……)

 標的の名は、恩藤おんどう伊玖雄いくお

 三十七歳だが、こざっぱりとしたマウンテンパーカーにチノパン、トレッキングシューズ、街中でも浮かないリュックサックという出で立ちもあってか、もっと若く見える。

 身長は百六十八センチ。小柄ではあるものの、日本人の中ではとりわけ背が低いというわけでもない。

 勤務先は主にシステム開発を請け負う会社で、恩藤はシステムエンジニアらしい。いわゆるSEだ。

(SEって何してる人って訊かれたら、僕には説明できないけど……)

 高給取りでも、困窮するほどの低収入でもない。

 姉の調査によると、恩藤は投資に手を出しているが、預金代わりのようだ。

 アウトドアや飲み歩いたりするような趣味もなければ、パチンコや競馬などのギャンブルもしない。

 結婚歴はなく、独身だ。誰かと交際しているような気配もない。

 高層マンションに住む両親と同居しており、孤独ではない。

 恩藤は玉町の駅に入っていった。恩藤が通勤でいつも利用している地下鉄の駅だ。

 想星も十メートルほど距離をあけて恩藤に続いた。

『想星、どう?』

「駅に入りました。どうって言われても……」

『変わったことはない?』

「今のところは。……普通なんだよな」

『めずらしいタイプね』

 恩藤はエスカレーターではなく階段を使う。

 想星も階段を選んだ。

 標的の後ろ姿を追いかけて階段を下りてゆく。

「……?」

 途中で何か気になった。

 しかし、今は標的を尾行中だ。想星は足を止めなかった。

 恩藤はとくに急ぐでもなく階段を下りている。

 異変はない。

(何だ……?)

 想星は恩藤を視界に収めたまま、あたりに目を配った。

(――あの制服……)

 エスカレーターはそこそこ混みあっている。

 列の中に、制服姿の女子生徒がいた。

 制服からすると、想星と同じ学校の生徒らしい。

 マフラーを巻いている。

 その女子生徒は、想星から見て下のほうにいる。

 このまま想星が階段を下りていったら、追い抜く形になりそうだ。

(玉町ってオフィス街だし、うちの学校の生徒が――って、微妙に変だな)

 変装というほどではないが、想星は私服で伊達眼鏡を着用している。

(高校生はこの駅でも何人か見かけた。絶対ないとは言いきれないけど……)

 標的の恩藤は間もなく階段を下りきる。

(ていうか――なんか、見たことある、ような……)

 あの髪型。

 体型。

 見覚えがある。

 エスカレーターに乗っている女子生徒を追い越す瞬間、素早く横顔を確認した。

 想星は心拍数が急激に上昇するのを感じた。

 仕事中なので、どうにか平静を装った。

(……羊本さん)

 想星は階段を下りきった。

 振り返って、女子生徒の顔をもう一度、確かめたい衝動に駆られた。

 抑えるのに苦労した。

『想星? どうかしたの?』

「……どうもしませんけど。なんでですか?」

『なんだか集中していない気がするわ』

「してるつもりですけど……」

 恩藤が改札を通過しようとしている。

 スマホを出して、自動改札機にかざした。

 想星もスマホを取りだして改札を通り抜けた。

 恩藤はホームで列車が来るのを待っている。

 恩藤だけではない。

 羊本も次の列車に乗ろうとしているようだ。

(恩藤は――羊本さんも、僕には気づいてないみたいだ)

 やがて列車が来た。

 想星は恩藤と同じ車両に、別の乗車口から乗った。

 羊本は恩藤と同じ乗車口から、だいぶ遅れて乗りこんだ。

(……気が散る)

 どうしても羊本が気になってしまう。

 羊本はこの車両の端っこあたりに立っている。

 いつも嵌めている手袋。

 ストッキング。

 間違いない。

 どこからどう見ても、羊本だ。

 恩藤は乗車口の近くで吊革に掴まり、スマホを見ている。

 想星は恩藤から五メートルくらい離れ、吊革に掴まらずに立っていた。

 スマホを見るふりをしつつ、恩藤の、そして羊本の様子をうかがっている。

『どう?』

 姉がまたイヤホン越しに訊いてきた。

「……とくには、何も」

『恩藤はわかっているだけで、二十六件もの自殺現場に居合わせているのよ。偶然なんてありえないわ』

「僕もそう思いますけど」

 恩藤伊玖雄は特殊な標的だ。

 依頼の内容も、ただ抹殺すればいいという通常のものとは違う。

 姉が言ったように、恩藤は異様なほど多くの自殺者を目撃している。

 監視カメラの映像や、相当数の証言者がいるので、その事実は間違いない。

 しかし、裏を返せば、それだけなのだ。

 恩藤の目の前で、少なくとも二十六人の老若男女が、飛び降り、飛びこみ等々の方法で命を絶った。

 それ以上、それ以外の事実は認められていない。

 ただし、二十六人すべてが、遺書のようなものを残すでもなく、動機不明で、突発的な自殺と見なされている。

 また、恩藤は何度か目撃者として警察の事情聴取を受けている。

 その中には、たまたま同じ警察官が調書をとった例も含まれる。

 実は、自殺ではなく、他殺なのではないか。

 二十六人は自殺者ではなくて、恩藤に殺された被害者なのではないか。

 遺族の一人が、金と時間を費やし、執念深い調査と推理の果てに、そんな疑いを抱くに至った。

 恩藤が殺した証拠は何一つとしてない。

 もっとも、想星のような仕事をしている者ならよくわかっているが、証拠を残さずに人を殺すのは決して不可能ではない。

 ある種の人間にとっては、造作もないことだ。

 仮に恩藤が犯人だとしても、司法で裁くことはできないだろう。

 だからといって許されるものではないし、野放しにはしておけない。

 想星の仕事は、恩藤が犯人であると確認すること。

 そして、確認でき次第、恩藤に報いを受けさせる。

 もし自殺に偽装して二十六人、それ以上の人命を奪っているのなら、恩藤にはせめて死んでもらわなければならない。

(……でも、こういうのは苦手だ。正直、めんどくさい……)

 車掌が次の駅名をアナウンスした。

 列車は減速している。

(やるならさっさとやっちゃいたいっていうか。べつに殺したいわけじゃないけど……)

 恩藤はスマホをしまった。

 降車する準備をしている。

 羊本のほうはよくわからない。

 スマホも出していなかった。

 どこを見ているということもなく、ぼんやりしているようだ。

 目つきは悪い。

(なんとなく、恩藤ヤツがやってるんだろうなとは思うし。さくっと殺しちゃえばいいんだよな。けど、姉さんがこうしろって言うから……)

 列車が停まった。恩藤が降りる。

 想星も別の降り口から出た。

(羊本さんは……って、気にしてる場合じゃ――)

 恩藤がホームできょろきょろしている。

「姉さん」

 想星はイヤホンの向こうの姉に呼びかける。

『ええ。何?』

「降りたんですけど、標的がホームから動きません」

『目を離さないで』

「了解」

 想星はスマホをいじるふりをしながら恩藤を観察しつづけた。

 想星と恩藤の間には自動販売機がある。

 列車の乗降客も多少いる。

 恩藤は想星に注意を払っていない。

 ホームには次の列車を待つ列ができはじめている。

 恩藤が自動販売機に近づいてきた。

 想星はさりげないふうを装ってそっぽを向いた。

(……こっちに来る?)

 そういうわけでもなさそうだ。

 恩藤が自動販売機の前に立った。

 飲み物を物色しているのだろうか。

 結局、何も買わなかった。

 恩藤は自動販売機から離れた。

 電車を待つ列のほうへ歩いてゆく。

 列の最後尾に並んでいる三十歳前後の女性が、恩藤に目をやった。

(知り合い?)

 違うのか。

 女性はすぐ前に向きなおった。

 でも、恩藤は女性に歩みよってゆく。

 想星は緊張した。

(――ひょっとして……)

 恩藤が女性の真横で足を止めた。

 女性がまた恩藤のほうに顔を向ける。

 眉をひそめて、怪訝そうだ。

 恩藤が何か言った。

 何を言ったのか。

 そこまではわからない。

 想星には聞きとれなかった。

 何にせよ、一言二言だ。

 恩藤はその場を離れた。

 女性は恩藤を目で追うでもない。

 何か考えこんでいるようにも見える。

「姉さん」

『ええ』

「今、恩藤が女の人に声をかけて――」

『それで?』

 列車がホームに入ってくる。

 例の女性も電車のほうを見ている。

 恩藤は階段もしくはエスカレーターでホームから離れるつもりらしい。

 一瞬、迷ったが、想星は女性の動向に留意しつつ、恩藤を追いかけようとした。

『想星?』

「ちょっと待ってくださっ――」

 想星は思わず大きな声を出しそうになった。

 すんでのところでのみこんだ。

 いきなり女性が駆けだしたのだ。

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