第16話 偽りの金色1
ぱりん、と乾いた音がして、足元で試験官が砕け散った。菊の花から取り出していた、夏の果実を思わせる鮮やかな黄色が、白衣の裾に弾けて滲む。力の抜けた指先を眺め、慣れたため息をついた。
「彩人、大丈夫?」
研究室の奥から、花村が心配そうに駆け寄ってきてくれた。彼女の手には、現在取り組んでいる、植物の持つ香り成分の貯蔵システム解明のための資料や器材が見える。ちょうど、実験の途中だったのだろう。
「大丈夫、大丈夫。ごめんな、作業の邪魔して」
屈んで試験官の破片を拾いながらそう言うと、花村はホッとしたように表情を緩めた。
「もう、心配するじゃない。この間からの夏バテが悪化して、遂に倒れたのかと思った」
「あはは、ご心配おかけしました。優秀な後輩に夏バテ解消法教わったからさ、むしろ前より元気なくらい」
そう言って、にっと笑ってみせる。実際、蘇芳に「ごちそう」してもらったあの日から、暑さによる不調はずいぶんマシになっていた。これでやっと、研究にも集中できると思っていたのに。
「それならいいけど……。あ、その破片、危ないから掃除機使いなよ。教授のとこにあるから」
花村はおれの手元を眺めてそう言うと、研究室の奥のスペースに戻っていった。とりあえず目につく範囲の破片を集め、薬品を拭きとってから、おれは研究室に共用で設置されているパソコンを起動し、今日の暦を調べてみた。
7月中旬。おれがいつも確認する暦表は、少し特殊だ。有名人の誕生日とか、歴代のニュースとか、そんな情報はなにも載っていない暦表。その代わりに、日付の欄には黄色い円がひとつずつ描かれている。黄色と、黒で彩られた丸い図形は、2週間ほど前には綺麗に黄色一色で塗りつぶされており、そこから徐々に陰るように、2日後の欄で一度真っ黒に染められていた。
「……いつもより元気だったから、見落としてたな」
思わず苦笑して、検索履歴をいつものように消してから、パソコンの電源を落とす。蘇芳がくれたエネルギーは、思った以上におれの身体に沁み渡っていたらしい。これほど「近く」なるまで感覚的に気づかなかったことは今までにもほとんどない。力の入らない指先を何度も握り直し、なるべく音を立てないように片づけを終えたおれは、花村が研究室の奥で熱中しているらしい実験の音、微かな器具のぶつかり合う音にもう一度耳を澄ませる。無機質なはずの音が、少し身体を温めてくれる気がした。さっき見た花村の表情を、もう一度頭の中で思い浮かべてからそっと研究室を出た。
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