第1章 オーディション
第15話 退職届
「おい、どの面下げて戻って来たんだ?シトラス!!」
ライブの二日後。私は組織に戻ってボスに会いに行った。すぐに組織に戻らなかったのは単純に自分の中での頭の整理をしたかった、というのと、すぐに私を始末しようとは動かない、と踏んでいたからだ。
私の命を狙うのならばそれ相応の準備期間が必要なはずだからね。
案の定組織は私のことを全く歓迎していなかったし、それどころか私の周りには臨戦態勢の殺し屋たちがざっと百人ほど身を潜めていた。おそらくボスがの合図で一斉に私に襲いかかってくる算段だろう。
「おかげさまで組織の信頼はガタ落ちだよ」
ボスはポケットに右手を入れたまま淡々と話す。
それは本当に申し訳ない。方向性の違いで敵対しただけであって、組織を恨む理由はどこにもない。親のいない私に居場所をくれたのは紛れもなくこの組織だ。
「申し訳ないです。そして、これを受け取って欲しいのですが」
敵意を一切出さずにボスに接近して茶封筒を手渡しする。これは私が昨日「会社を辞める方法」と調べた結果の秘策。
「お前……舐めてるのか」
不満を漏らしながらもボスは『退職届』と書かれた茶封筒を器用に左手だけで開封して中を読み始める。
「一身上の都合で本日付で辞めさせていただきます???」
「はい。民法六二七条に退職の二週間前に退職告知を行えば退職をすることが出来る、と示されています」
ボスは
「そういう話じゃないんだよ。ケジメの問題だ。お前は任務を放棄した上ナットに敵対した。それで辞めます、はいそうですかじゃ済まないんだよ。それに」
「……それに?」
「なんで殺しを平気で行う俺たちが民法を律儀に守るんだよ」
「……確かに」
それを言われては何も言い返せない。
『殺し屋、辞め方』と調べても全くヒットしなかったから『会社辞め方』と調べてわざわざ民放まで覚えたのだけど。
これで丸く収まるならそれが一番ベストだったけど、まぁ、もちろん最初からそう上手くいくとは思ってない。
「……分かりました。なら私を始末しますか?」
「ふ、覚悟は出来ているようだな」
先程から頑なにポケットから外さない右手。きっとポケットから右手を出すのが私を襲う合図なのだろう。だからその前に先手を打つ。
「でも……いいんですか?」
「……何が?」
「確かに今いる人たち全員で私に襲いかかってくれば私のことは殺せるかもしれませんが、私だって無抵抗なわけないじゃないですか」
「……」
「私が殺される前にここにいる人たち七割……いや八割は道連れにできる自信はありますよ。それはボスがいちばん分かってますよね」
半分本音で半分ハッタリだった。ここにいる殺し屋は全員、鍛え抜かれた精鋭達だ。さすがに百人を相手に勝てる自信は無い。上手く連携を取られたら五割も倒せないかもしれない。ただ即席のチームのため、上手く連携をすることは難しいはず。
「私に敵対する意思はありません。ここにいる八割……八十人が機能不全になるのは組織からしたら避けたいはずですよね?」
一人一人が捨て駒にはなり得ない実力を持ってるための駆け引きだ。
「そんなことボスもわかってるとは思いますけどね……そこにいるナットちゃんも」
ボスの後方に身を潜めていたナットはやれやれ、と立ち上がる。
「久しぶりですね」
「二日ぶりは久しぶりじゃないでしょ」
ここ最近に起きた出来事が多すぎて久しぶりに感じた、というのは嘘じゃない。
「ボス。私からも。ここでシトラスと敵対するのは合理的とは言えません」
ナイス!ナットちゃん!
私と戦ったナットならそう言ってくれると信じてた!
「……今後シトラスが我々の驚異になる可能性は?」
「それは……」
「有り得ません。私は裏社会から手を引きます」
言いよどんだナットにすかさず割り込む。
一瞬、周りから動揺が伝わってきた。裏社会から手を引く、口で言うほど簡単なことじゃない。
組織側の懸念点は私が裏切って組織の敵になること。無駄な争いは避けたいはずだし、その線を潰せば和解の道は出てくる。
「それを信じろと?」
「一ヶ月待ってくれればそれは証明できます」
Forceのオーディション結果が出れば「裏社会から手を引く」という私の言葉が嘘じゃない、と分かるはずだ。もっとも、世間に合否が発表されるのはもっと後にはなるけど、その程度の情報ならば組織ならすぐに入手するはずだ。ターゲットだった黒川さんがいるグループだ。新三期生、という一大イベントを調べないわけが無い。
ボスは少しだけ目をつぶって考える
「……いいだろう」
「!」
「しかし条件がある」
「……なんでしょうか?」
ここまでは上手くいってる。やめる代わりに条件がある、というのも想定内だ。
「『民法六二七条に退職の二週間前に退職告知を行えば退職をすることが出来る』んだよな?それならあと二週間は働いてもらう」
「……」
「お前が言ったことだろ?元々シトラスあての任務は山積みなんだ。それを消化してからやめてもらわないと困る」
私の言ったことを逆手に取られた返しだった。だけど。
「……わかり、ました」
全部上手くいった。
納得のいかない表情と態度をとってるけど内心ではホッと笑っていた。
元々たくさんの任務が残っていたため、それを消化するのは最低限すべきことだと思っていた。
「じゃあ任務に向かいますね」
「おい、待て」
そそくさと退散しようとする私をボスは呼び止める。
「最後にひとつ」
「?」
「黒川殺しの依頼者について。お前が喉から手が出るほど欲している情報なはずだ」
「!」
「当然、その名前を教える訳にはいかない。だが、これだけは言っておこう」
分かっている。それは依頼者と殺し屋の信頼の問題だ。だから名前を言うことが出来ないボスを責めることは出来ない。
「黒川崇を恨んでいるから娘の彩乃を狙っている。その考えからは抜け出した方がいい」
「……なっ」
どういう、事……?
いや、言いたいことは分かる。つまり、裏社会の人間である親のせいで狙われている訳じゃなくて、黒川さん本人に狙われる理由があるってこと……?
でも、あの人は誰かに恨まれるような、それこそ殺したいほど恨まれるような人柄ではない。だからこそ思いつくのは最悪なイメージばかりだった。
例えば……こっそり誰かと付き合っていてそれをどこかで知ったファンの逆恨み。
でも、黒川さんはそんなことをする人間とは思えない。まぁ感情論なんだけど。
他には、Forthメンバーのエースに対する妬みとか。
今やForthはトップアイドルだけど、エース級メンバーとバックメンバーの格差は激しい。私だって黒川さんや優花ちゃんの名前くらいは知っていたけれど、正直バックのメンバーは一人も知らなかった。そこに妬みがあってもおかしくは無い……けど。考えたくは無い。
「以上だ。じゃあ、依頼をこなせ」
「分かり、ました。ありがとうございました」
もう、来ることの無いであろう組織のアジトに軽くお辞儀をする。さて、やることは沢山だ。
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