30.遙輝の告白


「なぜ軽音部が請求を取り下げられたのか気になっていたが、まさかお前が払ったのか?」


「違います。これは財布に入れたまま換金するのを忘れちゃったんです」


「本当か? 私の目を見てもう一度答えろ」


「もちろんです。渡していません」


 そう言い切ったものの、僕の目は泳いでしまう。

 たしかに渡してはいないが私財で解決しようとしたのは事実だった。



「そうだよな。連中は部内で集金していたはずだ。お前が払ったわけがない」


 副会長が顔をほころばせるも、その目は決して笑っていなかった。


「いいか根岸。会計であるお前に忠告しておく。ぜったいに公私混同はするな? どんな理由があろうと、自分の懐から金を出すのはその場しのぎにしかならない。そんなことを続ければ自分の身を滅ぼすことになる。それに、もし生徒会がそんなことをしたとわかれば、部外者どもはますます図にのるぞ。他のメンバーにも牙をむく可能性もある」


 先輩の言葉が身に染みて、僕はろくに返事もできなかった。

 泉の前で財布を出したとき、実母に打ち勝ったつもりになったけど、僕は本当に、本当に間違っていた。

 梨香さんを救うことに酔うあまり、後先のことを考えずに暴走して生徒会(みんな)を破滅の道に引きずりこもうとしていたのだ。


 僕は自分の愚かさを呪い、意味もなく固めた拳で自分の大腿を殴りつけていた。

 泉には秘密にさせるつもりだったが、彼女がそんな約束を守るとはかぎらない。

 仮に守ったところで一度でもそんな手段に頼れば似たような問題に直面したときに同じ手段で解決しようとしただろう。



「Hey。そんなに落ち込むな。お前の真意はどうあれ、結果的に渡さずに済んだのだろう? どうやって説得したのか気になるが、次の予定もあるし別の機会に教えてもらおう」


「次の予定って、球技大会は七月ですよ? まだ早くないですか?」


「Say what? 打ち上げのことだ。さっさと生徒会室に戻るぞ」


「あの、ちょっと……!」



 副会長に肩を組まれて生徒会室に戻ると、そこには反省会を終えた梨香さんの姿もあった。


「根岸の財布は戻ってきたわよ。たんまり入っているから、これで今から打ち上げができるわ」


「え、今からですか?」


 僕の戸惑いをよそに室内は歓声に包まれ、学校近くの焼肉店に行くことが決定する。

 梨香さんも乗り気だし、立花姉妹にいたっては鞄を抱えて準備万端だった。


「そうと決まれば急ぎましょう、他の部の人たちも使うかもしれませんよ!」


「その通り、私たちが先発して席を確保しておこう!」


 ビシッと敬礼して姉妹が駆け出していく。

 僕は密かに財布の中身を確認していたが、わびしいことに五人分の焼肉代を払えるほど現金はなかった。


「すみません、僕だけじゃ払えそうにないです」


「冗談に決まっているでしょ? ここは最年長者が一肌脱いでやろうじゃないの」


「いいんですか先輩、私も出しますよ?」


「そうです、副会長だけで負担なんてダメですよ」


「Oh。私はなんて幸せ者なんだ。こんなに優しい後輩に恵まれるなんて。お言葉にあまえるわけではないが、少し負担してくれると嬉しい……」


 わざとらしく目尻を拭う姿に苦笑いが出るも、正直なほうが気兼ねしなくていい。

 僕らは各々の財布の中身をふまえて食べ放題のランクを決めてから教室を出るのだった。


 昇降口で靴を履き替えている最中、梨香さんが僕のところまでやって来た。


「今日は凛ちゃんのお迎えは大丈夫なの?」


「義母さんも早めに帰宅するみたいなので平気ですよ」


「それならよかった。せっかくの機会なのに根岸くんがいないとつまらないし」


「ありがとうございます。僕も、皆や梨香さんと打ち上げができて幸せです」


 よく考えたら打ち上げなんてしたことがなかった。

 これまで部活に所属したことはなかったし、一緒に行事をやり遂げた友だちと食事に行けることが無性に嬉しかった。


「『幸せ』だなんて大袈裟だね?」


 梨香さんが吹きだし、僕もつられて笑ってしまう。


「ねぇ。私が点てたお茶、美味しかった? また味見してもらってもいいかな?」


「もちろんです。またご馳走になりたいくらいです」


「え、そんなによかったかな? あまり自信なかったんだけど……」


「あと、着物姿もとても似合っていましたよ」


「あ、また軽々しくそういうことを言う」


「そんなことないです。梨香さんが、一番綺麗でした」


「……バカ」



 梨香さんが頬を染めながら顔をそらした。

 外の景色が夕陽にそまりつつあるなか、彼女の顔も、いや、僕の顔も同じ色に染まっている。

 なにか自分の気持ちをもっと伝えられる言葉はないのかと悩んでいると、賑やかな声が近づいてきた。


 この声は、軽音部員の声だ!

 女子たちが桑原の傷跡を揶揄している!


「梨香さん、隠れましょう!」


 僕は彼女の手を引き、下駄箱の陰に身を隠した。

 狭かったので吐息が混じり合うほどに密着することになり、少し顔を向ければ唇が触れてしまうほどの距離感だった。


「ごめんなさい、苦しいですよね?」


「ううん、平気よ」と、梨香さんが指を立てたので、僕も口を閉ざした。


 僕らから少し離れた処で桑原が会長に仕返しすると豪語していたが、泉にもうトラブルを起こすなと激怒されて肩を落としている様子だった。

 部員たちは別の店に打ち上げに行くらしく、僕らに気付くことなく昇降口を出て行くのだった。


「仕返し、されちゃうかな。当然だよね。私が暴力をふるったんだもん……」


 隣で不安げな声を出され、僕は思わず彼女へ振り返っていた。


「そんなことはさせません、僕が必ず梨香さんを守ります……!」


 つい感情的になってしまい、梨香さんが驚いたように横目を向けてくる。


「だから安心して下さい! 会長としての姿も素敵ですけど、僕は梨香さんの笑顔が、梨香さんのことが好きなんです!」


「根岸くん……!」


「それを守る為なら、どんなことでもしますから!」



 恥ずかしがることはない。

 これは偽らざる本心じゃないか。

 梨香さんはしばらく僕を見つめた後ゆっくりと目を閉じ「ありがとう」と僕の胸のなかに顔を埋めてきた。

 ここでハグしたかったけれど、残念ながら場所が狭くて腕を回せなかった。


「私も大好きだよ!」


 彼女は僕の胸で涙を拭っていたが、不意に顔を上げて意地の悪い笑みを浮かべた。


「でも、玄関で告白されるなんて、ちょっと変だね……」


「それについては、申し訳ないと思っています……」


 と、そこへ副会長の声が聞こえてきた。


「Hey。二人ともどこにいる? 早くしないと立花たちが先に始めてしまうぞ~~?」


 物陰から出て僕が手を差し出すと、彼女はゆっくりと握り返してくれた。

 汗ばんだ彼女の指が絡みついて鼓動がはやまってしまう。

 恋人に触れられることが、その温もりを感じられることが、こんなにも嬉しいことだなんて、僕は知らなかった。


「行きましょうか?」と訊くと「うん」と梨香さんが僕の肩に寄り添ってくる。

 その体勢のまま副会長のもとへ歩いていくと「そこまで進んでいたのか」と口笛を吹かれてしまった。


 冷やかされながらも、それをまんざらでもないと思う僕がいた。

 僕が彼女のことを好きなのは事実なのだから。


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