19.さようなら


 僕らが家に入っても雨音が途切れることはなかった。

 僕はリビングのテーブルで義母と向き合い、凜がどこで怪我をしたのか、そのとき僕らはなにをしていたのか詰問されている。

 説明を終えると義母さんは頷き、しばらく黙り込んだ。


「遥輝くん、歯をくいしばりなさい」


 命じられたとおりにすると頬に手が頬に添えられ、パンッと視界に星がとんだ。


「ちゃんと凛を見守ると言ったから許可したのに。あなたはその約束を破ったのよ?」


 涙が出るぼどの平手打ちだったが、それ以上に自分の浅はかさを痛感させられ、僕は何度も頭を下げたのだった。


「もういいわ。そもそも許可をした母親(わたし)に一番の責任があるんだから」


「いえ。悪いのは僕です。義母さんにも、九条さんにも責任はありません」


 そこへノックの音が聞こえ、脱衣所で身体を拭きおえた梨香さんたちが現れた。


「申し訳ありません理事長、お子さんに怪我をさせてしまって」


「どうして梨香ちゃんが謝るの? 転んだのは凜が走ったからなのに」


 梨香さんが頭を下げると、隣にいた凜が怪訝な顔をした。


「ママは凛のお友だちを叱るつもり? そんなことしたら二度と口きかないよ? 買ってきたお洋服も着ないよ?」


「そんなことしないわ。九条さんが悪くないってことは聞いたから……」


 凛に睨み付けられ、義母さんは狼狽える。

 自分が男勝りのキャリアタイプなせいか、義母さんは他の異性に自分の理想、可憐な乙女の姿を投影したがる。

 だから高校では可愛い制服を採用し、スクールアイドルを真面目に考え、育ち盛りの女子が不純な連中に穢されぬよう、交際を制限する校則を設けているのだ。


 そんな理想の最たる投影先が娘(りん)だ。自分好みの服を着せ、女児アニメのような可愛らしい趣味を全力で支え、保育園で男児をしばこうものならとてつもない雷を落とす。

 それ故、凛に嫌われることを何よりも恐れているのだ。


「引き止めてごめんなさい九条さん。自宅までお送りするわ」


「凜も着いていく。ママ、二人きりになったら怒るかもしれないもん」


「お気遣いなく。雨も弱まったので歩いて帰れます」


「そう……。それなら遥輝に送らせるわ」



 僕らは義母さんたちに見送られながら家を出た。

 雨の降るなかを並んで歩いたけれど、梨香さんと目を合わせることはできず、むしろ彼女は僕から逃げるように先を歩いていた。


「義母さんのことを黙っててごめんなさい。知られたら避けられると思ったんです……」


「うん。驚いたわ。どうりで凛ちゃんと歳が離れているわけだね」


 梨香さんはどこか空々しい声で言った。


「気にしなくてよかったのに。私、そんなことで友だちを避けたりしないわ。送ってくれてありがとう。家はもうすぐだし、傘も平気よ」


「あの、梨香さん……!」


「ごめんね。私、プレゼントを選ぶセンスがなくて……」


「違う、そんなことない! 僕は嬉しかったんだ、本当だよ!」


 一度は僕が受け取った手提げ袋が、今は彼女の鞄のなかにある。

 誤解を解きたい一心で歩み寄るも、彼女は僕を避けるように後ずさり、俯きながら首を振っていた。


「お願い、今は一人にさせて……!」


「梨香さん、話しを聞いてくれませんか?」


「お願いだから、来ないで!」


 どん、と僕は梨香さんに突き飛ばされた。


「根岸くんにプレゼントを渡したとき、神崎くんのことを思い出しちゃったの。だって、彼とそっくりな顔をするんだもん……」


 地面に落ちて逆さになった傘に雨が溜っていく。

 彼女の長い髪はずぶ濡れになり、頬からも数多の雫がつたい落ちていた。


「僕が、神崎さんと同じ?」


「彼に誕生日プレゼントを渡したことがあるの。一生懸命選んでみたけど、気に入ってもらえなかったみたいで。そのときに言われたの。子どものアニメばかり見ているからセンスがないんだよって。だから早く卒業した方がいいって。根岸くんも、本当はそう思っているの?」


「そんなわけないじゃないですか! だって、僕は――」


「――うん。わかってる。根岸くんが彼と同じわけがないって。でも。ごめんなさい。今は私、根岸くんのことが怖いの……」


 怖い?

 梨香さんは僕が怖いんですか?


「私、根岸くんのことが好きよ。私の趣味を理解してくれて、優しくて頼りになるし……」


 僕も彼女が好きだ。

 会長として職務をひたむきにこなす清純な姿も。ときおり見せる幼児のような膨れっ面も。

 そして今日の大人びた服装の彼女も。ぜんぶ。ぜんぶ好きだった。


「ごめんね根岸くん。さようなら……」


 梨香さんの靴音が遠ざかり、慌てて追おうとするも一人にしてほしいという言葉が僕の胸に楔のように打ち込まれていた。

 僕は地面に膝をつき、彼女の姿が雨中にきえるまで呆然と眺めていたのだった。



 □■□■□



 ――メッセージアプリからの通知。――

 ――鈴音さんが生徒会のグループにメッセージを投稿しました。――


 鈴音:トラブルが発生しました、皆さん助けて下さい (T_T)

 副長:What?


 鈴音:ラジオ局から収録を明日にスライドできないかと相談されました

 美音:火曜日では今週の放送に編集が間に合わないらしいのです

 鈴音:原稿は完成してますが、皆さんのスケジュールはいかがでしょう (>_<)

 副長:Oh、私は平気だけど会長たちはどうかしら?


 美音:あれ、なんだか既読がつきませんね?

 副長:本当ね、二人分足りないわ


 鈴音:どうしたんでしょう? メッセージを見てないのかな?

 副長:忙しいのかもしれないし待ちましょう。打ち合わせも月曜で間に合うのよね?


 鈴音:はい、原稿さえ添削して許可されれば、お昼休みにできると思います

 副長:そんなの簡単よ。理事長は女子の困り顔に弱いから、演技すれば楽勝なのよ


 美音:おおっ、さすが副会長! 熟練の技ですな!

 副長:建学祭も予算と部屋割りさえ決めればほぼ終わりよ。収録は羽目を外しましょう?


 鈴音:やったぁ! これって今日まで頑張った私へのご褒美ですよね?

 美音:は、どうだかな。収録直前にスクランブルが発生しなければいいが……


 鈴音:不吉なこと言わないで、っていうか隣にいるのにわざわざ文字で会話しないでよ!

 副長:それはyouもでしょ? とにかく、明日は忙しくなるけど、よろしくね?

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