13話 白はまっしろ、目立つ色

 コースに侵入したトラックは速度を緩める気配もなく、誰もいない道路を進んでいる。一方茜ちゃんはまもなく公園から出ようとしているのにトラックの接近に気づいていない。たぶん走っているところだと高台でさえぎられて見えていないんだ。


「茜ちゃん! 止まって。トラックが」


 肺がつぶれかけるほどの大声を出したけど、茜ちゃんに届いてない気づかない。そうだ先輩の筆でまた翼を描いてもらえれば茜ちゃんの前に追い付けるかも。

 さっそくさっきと同じく黒色を呼び出してカラスの翼を描ける準備をする。


「先輩カラスの翼を」


 けど、先輩の筆の動きが遅い。フラフラと手がブレ、パレットにある黒色に届いていない。


「どうしたんですか」

「すまん、さっきの色虫の体液が左目にも入ってしまった。目が開けられない


 そんな。私がうまく逃げなかったばかりに。

 先輩の手から『幻筆』が落ちるとある考えを思いつく。この筆を使えば、先輩のように文字が現実化すれば茜ちゃんに知らせることができるかも。地面に落ちた『幻筆』を取り上げて、大きく振り上げて空中に文字を描く。

 ……何も浮かび上がってこない?


「ふ、筆。もしかして白居さん描いている。だめだ、その筆はおれの一族でしか使えない」


 そんな!

 その間にもトラックが運動公園の出口に接近してくる。どうしよう。ここから走っても私の体力だと間に合わないし。


「とまって、止まって!!」


 もう一度叫んでも、茜ちゃんは止まる気配がない。

 何もできないの。せっかく色虫を倒して色を戻したのに。全部意味がないなんて。



 ぱたりと落ちた私の手に、少し大きな手が下から無理くり重ねられた。


「何を描けばいい。おれは筆を持つから、白居さんが手を動かしてくれ」

「は、はい」


 書く文字を伝え、先輩が目をつむったままうなずく。


「なら、もう一つの『巨』と刻まれた筆をおれの手の中にはさんでくれ。それから色は白の方がいい」

「白ですか」


 白なんてコントラストを薄めるだけなのに……

 でも先輩の言うことを信じよう。持たされた最後の一筆、『巨筆』に白色を浸して握らせる。


「しっかり持ってて」


 パソコンのマウスのように先輩の手を動かすと、急にずっしりと重量がのしかかる。お、重い。でも、早く、描かないと。間に合わない。

 たった八文字。いつも描いているのと比べても少ないのに、完成までが遠い。ひたいや腕からどんどん汗がふきでて、先輩の手を落としてしまいそうだ。


「がんばって、おれが支えるから」


 先輩の指が筆を持ち続けている。

 縦、斜め、はらい。縦、丸、縦、丸。

 重たい筆を二人三脚で描きながら、ついに最後の文字を描き上げた。


「筆で文字を上に投げ飛ばして」


 ぐっと人生の中で出したことのない力で持ち上げる。

 そして八文字のそれは上に飛んでいき、空のキャンバスに描かれた。


『 ア カ ネ ト マ レ ! !』


 雲一つない青空の下、背景にある七色の常盤虹を背景にしたカタカナの白文字は目立つぐらいに映えていた。


 その文字に茜ちゃんはさすがに気づき、運動公園の出口の手前で止まってくれた。


「何が起こって……うわっ」


 茜ちゃんが足を止めたちょうどのタイミングでトラックが公園の前を通り過ぎた。後ろにはもうなにも来ない。どっと疲れが一気に来て、ひざがくずれおちた。


「助かった。よかった。先輩。顔」

「この程度なら水をかければ取れる。友達のところに行ってよ。たしか近くにあったはず」


 先輩が一人で水道のある場所を探そうとするけど、目が見えてないのに一人で行けるわけない。近くにあった水道水のじゃぐちをひねり、出てきた水を手ですくった。


「水です。顔につけてください」

「いや、それぐらい自分で」

「そんな状態で置いていけないです。早く顔の液体を落とさないと」


 先輩の汚れた顔に水をつけると、べったりとついていたマーブル模様が溶けて落ちていった。


「やっぱりいた」


 聞き覚えのある声が高台の下から聞こえた。振り返ると茜ちゃんが登ってきた。


「なんでここに」

「白文字が急に出たから、探してきたんだよ。あの白文字描いたのみうでしょ」

「ど、どうして」


 しまった。茜ちゃん私の下書きいつも見られていたからバレてしまっちゃっていた。どうしようと先輩の方を向くといつの間にか隠れてしまっていた。「おれがいると話がややこしくなる」って私一人でどうやってごまかせば。


「ごめん。せっかく作った応援ボードをつぶしてまで知らせて」


 応援ボード……もしかして私が応援ボード作っていると思って、その裏に描いたと思っているんだ。本当は途中でやめてもってきていなんだけど、筆のことを知られなくて済んだからいいかな。


「そんなのいいよ。茜ちゃんがひかれないように必死だったから。それより私の方こそ、怒ってごめん」

「いや、私が秘密にしておくなんてしたから。みうはちゃんと実力があるのに、先生やクラスのみんなに使い勝手のいい便利屋みたいな扱いでむかついてさ。みうは手柄を取られても、遠慮ばっかして。そしたら灰原先輩が応援ボードをつくろうって話を聞いて、みうの自信を持たせるために考えたんだ。でも先輩もみんな、みうの絵を見て心打たれたのは本当だよ」


 先輩の言うとおり、茜ちゃんは私のために考えてくれていたんだ。

 大騒動になったけど、やっぱり大会に来てよかった。 


「でもよく私のだってわかったね」

「だってあの下手な字の書き方。みうしかいないもん」

「下手は余計だよ」


***


 結局大会はトラックの侵入が決定打となり、中止となってしまった。

 茜ちゃんはせっかく一位でゴールできそうだったのにと残念がっていたけど、誰もけがしなくてよかったよ。


「色虫がいたのは想定外でしたけど、先輩のおかげで本当にありがとうございました」

「いやお礼を言うのはこっちの方だ。色虫退治がスムーズにできたし、今まで黒一色だけで対処していたが、補色を覚えることができた。誰かのサポートがあっての退治は初めてだったけど今回は助かった」


 『今回』。

 これでもうお別れなのかな。色部先輩一人で退治するって答えていたし、筆のことは一族だけのヒミツだから部外者の私と居続けるわけにはいかない。

 でももっと先輩といっしょにいたい。先輩のこともっと知りたい。


「これからも、色虫退治をお手伝いさせてもらえませんか。きっともっと複雑な色の色虫がいるかもしれないですし、足手まといにならないように体をきたえたり」

「……そのつもりで言ったんだけど」


 私の覚悟の訴えの答えは拍子抜けするようにあっさり返ってきた。


「来週から白居さんいっしょに居られる環境をつくろう」


 えっと、これってもしかして……

 来週?

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