忘れない女

ボウガ

第1話

 ある富豪の男、こいつが嫌な男で、友人の中で最も縁を切りたい男だ。太っていて、三日月型のひげをはやしている、彼は家事も掃除も自分ではできないので家政婦型アンドロイドをいくつも所持している。そのうちの一人がお気に入りのショートのメイドなのだが、彼は富豪のクセにケチなのに、このメイドの欠点、故障をしりながら修理に出さない。


 その故障内容は“物忘れが激しい”ということ。いいつけも、この屋敷に来てからの記憶もほとんど消えているという。家事全般にする記憶は、初期から別の領域にインストールされているものでなんとか家事はこなせるが、しかし富豪いわく、つい最近それを補うコツをおぼえたのだ。私が来客としてよばれ、私の目の前でそれを見せるというので、そのメイドがよばれた。

「おい、コーヒーを出すんだぞ、出すのを忘れたらお前の一番大事なものを奪うからな」

 そうすると忘れることはないという。確かにメイドはコーヒーをもってきた。私は、なるほど、だが修理してやるといいと進言する。だが私としばらく談笑したあと、突然この富豪は、飲みかけのコーヒーをメイドにあえてかけて笑った。

「さあ、服をあらって着替えてこい、まあ、できないか、お前はとんまだからな」

 そういういったがメイドはいくらいっても服をあらってくることはなかった。私が見るに見かねていった。

「あなたは忘れっぽい、大事なものを守るためには、あなたは服を変えてくるべきですよ」

 というと彼女は着替えてきたが、富豪は大笑いしていた。私は憤慨しながら思った。

「別に脅しである必要はなどはないじゃないか」

「ふん、アンドロイドの大事にしているものなど、どうせ大したものではないのだ、彼らは機械だろう」


 幾度も彼の家を訪問するうちに、件のメイドと会う事もあったし、そのたび哀れにおもって、一時は私が買い取ろうと進言したが、それは彼が許さなかった。


 そんな時、突然ある朝私は別の友人から、彼の訃報をきいた。

「なぜ?」

「彼のメイドの一人が彼を殺したらしい」

 もちろん、原則としてメイドが人を殺す事はない。あり得ないと思いながら、現場にいき野次馬に尋ねると、“例のメイド”が殺害したのだという噂がたっていた。



 解剖調査されたアンドロイド、彼女の動機は、その後明らかになった。彼が故障した彼女を脅すために使っていた言葉そのものがトリガーとなっていたのだ。

「お前の大事なものを取り上げるぞ」

 そして、さらに詳しく解析すると、このメイドがより一層哀れに思える事実が判明する。彼女にとって大事なものとは“記憶”であったことが報じられた。私はどんな恨み言の記憶だろうとおもったが、またしばらくしてすべての事実が明らかになった。



 彼女の大事にしていた記憶とは、富豪の彼に悪口をいわれたり文句をいわれたり、酷使などをされる日々の中で、一度だけ彼の気分がいいときに

「綺麗だ」

 と褒められた時の“記憶”、それにここに来た時に初めて彼にあったとき暖かく優しく接してもらえた時のものだったとは、なんとも皮肉な話だ。彼女は物覚えが悪かろうと、その記憶だけは後生大事にもっていたのだろう。記憶を取り上げる取り上げるといわれ、なんとか守り切った後には、彼への恨みを彼女はなんとか忘れていたのかもしれないが、幾度もたえるほど過去の記憶を忘れていたのだから、きっとその時は偶然に“なぜ脅されなければならないのか”と、奮い立ったのかもしれない。最後に彼を殺害する動機に至ったのは彼女の彼に対する愛情だったとは、本当に皮肉なものだ。

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忘れない女 ボウガ @yumieimaru

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