第5話 まだ諦めないで

 夜中にトイレに起きたついでに、城の図書室へ行った帰りの事。


 ゴホッ、ゴホ……ッ。

 廊下から苦しそうな咳の音が聞こえた。


 7歳くらいの女の子だ。使用人の子が風邪をひいているのかな?

 あ、ヒューヒューという喘鳴も聞こえた。

 て、事は、風邪というより喘息かな?


 冬は喘息持ちには辛いよね。冷たい空気吸い込むだけで咳が出るし。


「咳が辛そうね、あなたの部屋は遠いの?」


 ゴホゴホと咳込み、少女は頷いた。


「あ、あのお部屋灯りがついてて起きてる人がいるみたい。

あそこが近いし、暖炉の側にいさせて貰いましょう。

咳が和らぐ飲み物を持ってきてあげる」


灯りの点いていた部屋は針子の部屋で、遅くまで縫い物をしていたようだった。


「ごめんなさい、ちょっとだけこの子、暖炉の側にいさせてあげて、急いで咳止めを持って来るから」


 ゴホゴホと涙ぐんでいる女の子を見て、針子も了承してくれた。


 私は走って離れのキッチンに戻り、牛乳を温めて、ホットミルクを作って針子の部屋に戻った。


「はい、温めた牛乳よ、湯気を吸い込みながら飲んでみてね」

「あ……ゴホッ!」

「無理して喋らなくていいから、ゆっくり、焦らずに飲んで」


 コクリ、静かにホットミルクを飲む子供の咳は落ち着いて来た。

 夜に子供が廊下を彷徨いていたのは、トイレに起きたのか、喘息の咳が苦しくて大人を頼りに来たのかな?


 前世にあったお薬のレルベ○でも持ってたらあげたいけど、無いしな。

 こっちの咳止め薬はどんな物かしら。

 今度お抱えのお医者に聞いておこう。


「あ、ありがとう。お手洗いに行ったら、咳が酷くなって」


 やっぱりトイレに起きたのか。


「大人になってもその咳が出るのが治らないようなら、貴方、将来は暖かい地域でお仕事するか、お嫁に行った方がいいかもね。

遠くに行くのは寂しいかもしれないけど……。

とりあえず早く暖かいお部屋に戻りなさい。また咳が酷くなってしまう前に」


「……お姉さんも遠くから来たの? 寂しい?」

「いいえ、ここの人は故郷の人より優しいから、私は平気よ」


 お姉さん呼ばわりという事は、おそらくは私が辺境伯の妻になる為に嫁いで来た者だと気がついて無いようだ。

 

 私は自分が着ていた赤いショールを女の子に手渡した。


「これ、返さなくていいから、自分のお部屋まで着て行きなさい」

「わ……」


 女の子はショールの柔らかい感触に瞳を輝かせた。


「あ、可能ならお母さんに胡麻料理を毎日作って貰って食べなさい」

「ゴマ?」

「分からないなら大人に聞いてみて、厨房の人とか」

「はい」


 私は自分の肩にかけていた暖かいショールを子供にかけてあげて、針子にもお礼を行って、離れに戻る事にした。


 昔見たTVに出てた喘息体質の人、大好きなゴマを食べまくってたら勝手に治ったって言ってたのよね。

 しっかりとしたエビデンスがあるかは分からないけど、どの道ゴマは健康にいいはず。

 咳に効かなくても、髪には黒ゴマがいいと見た事があるような。

 とにかくなんでも試してみたら、たまたま体質に合うのが見つかる可能性は有る。


 私で良ければあの子にゴマ料理を食べさせてあげたいけど、ああいった物は継続して食べないと多分無駄だから、親に用意してもらう方がいいよね。



 私は離れの玄関の扉を開けて、室内に戻った。


「奥様、こんな時間にどちらへいらしていたんですか?」


 やばい、バタバタしたせいでメイラを起こしちゃったかな。


「えっと、読み終えた、借りてた本を返して来て、新しい本を借りて来たの」


 私は腕にあるカゴバッグから本を取り出して見せた。


「何もこんな夜中にご自分で行かれずとも、命じてくだされば」

「お手洗いに行ったら寒くて目が覚めたついでなの」

「ああ、目が覚めたついでにでしたか。それにしてもそんなに薄着では風邪をひきますよ」


「さっきまでショールをしてたのだけど、咳をしてた使用人の子らしき女の子にあげちゃった。

この離れの棚に置いてあった赤いショールだったけど、まずかったかしら?」


「いいえ、奥様の為に用意された物ですから、ご自由にされて大丈夫です」


 私はテーブルの上のカゴを見て言った。


「カゴの中に暇つぶし用にか、毛糸も置いてあるから、またショールを編めばセーフ、いえ、いいわよね」


「ご自分で編まれなくても買ってもいいのですよ」

「それは……そうね」

「どちらかと言うと、貴族の女性は刺繍の方がいいのではありませんか?

旦那様に刺繍入り御守りのハンカチをお渡しになるとか……」

「ああ、なるほど」


 テオドール様は魔獣退治とか危険な任務をされているから、御守りがあった方が……。

 いや、呪われて死にそうなのは私の方では?

 なんか縁起の良さそうな物でも縫ってみようかな。


 呪いというのはいつ頃発動するのかな?

 結婚式の後かしら……? 今のところなんとも無いあたり……。


 テオドール様、本人に呪いの事を聞くと心の傷を抉りそうであれだけど、使用人に聞いてみようか。


「そもそもなぜこの家門は呪われたのか、メイラは知ってる?」

「……え、あの……先代の辺境伯がこの国で悪さをしていた黒魔術師と魔女を倒したのですが……先に黒魔術師を倒したら……ま、魔女に呪われた……そうです」


 メイラは話しにくそうにしていたが、ちゃんと話してくれた。

 顔色は蒼白になってしまった。ごめんね、怖い事を聞いて。


「あー、魔女の呪いでしたか……」


 人間の女の怨念もバカに出来ないものね……。


「そ、それで、旦那様の奥様は気を病んでしまい、次々と儚くなってお亡くなりになったそうです。

これは前に奥様付きとして働いていたメイドから他のメイド間で伝え聞いた事で、私はその様子を、見ていないのですが」


「前に働いていたメイドさんは?」

「仕えていた奥様が気を病んで亡くなってしまったので、ショックを受けて、辞職したそうです」


 あ、もしやそれで最低限の使用人しか付けてないのかも。


 この離れ、実は私の直属メイドがメイラしかいない。

 辺境伯夫人になる人間の直属が少ないのがやや疑問だったんだけど、なんとなく分かったような気になった。


 主人を亡くしてダメージを受ける人は少ない方がいい的な意味で。

 本人には理由を聞いてないから想像でしかないけど。


 いや、一人で大抵の事は出来るから、少なくていいんだけどね。

 ヘアアレンジ系はやや難しいけど。

 アレンジしなければいい。

 パーティーに行く予定も無いから。



 * * 


 ついに結婚式の前日が来たので、テオドール様が夕食後に離れに訪ねて来た。

 人払いをした上で、深刻そうな顔をしている。


「もし、逃げるなら、今日が最後の機会だ、もし、其方が逃げたいのなら……この夜陰に乗じて」

「え? 王命ですよね。そんな簡単には逃げられないのでは」

「其方が死んだ事にすれば、捜索はされないだろう」

「でも王があなたの血をひく子を諦めなければ、また他の令嬢を送り込んで来るでしょう?」


 他の令嬢が生け贄になる。


「もう、妻が死ぬのを見たくない。そろそろ自分の娘を売り飛ばす貴族もいなくなったのではないかと」


「いやいや、甘いですよ、そんな親はいくらでもいますよ。

あまり人間の善性を信じ過ぎないでください。

困窮してる貴族もわりといるので。

正妻の子が難しくても、妾の子とか、色々いるでしょうし」


「やはり、ダメか、寝室を別にしようと離れを作っても、白い結婚にしても妻に侮辱するなと怒られただけで、結局呪いは発動した」


 あ、離れがあったのは、呪いから妻を守ろうとしたんだ。

 あの手この手で自分の妻を守ろうと、足掻いていたんだ。


 私を愛さない発言も、愛すと心に深刻なダメージを受けるからか。

 きっと……優しい人なんだ。


 それにしても、体を重ねない白い結婚でも、ダメだったとは……。

 婚姻の儀式だけで発動するのかも……。

 明日が結婚式だから、本当に今夜が逃げるなら、ラストチャンスなんだ。


「呪いは死ぬ前に魔女がかけたと聞きました。

呪いの相手が神ではないのなら、人であるなら、私もある程度争ってみようと思います」

「悪夢を見るぞ……」

「呪いは悪夢だけですか?」

「……いいや、他にも有る」


 ……まだそこまでは言えないみたい。


「でも、私は実家には帰りたくないので、ここで頑張りたいです。

せっかく優しい人にも出会えたので。私が死んでもあなたのせいではありません。

私が残ると決めたので」


「……随分、強い人だ」


「いっぱい、打たれて来たので」


 クソ家族にも踏みつけられてきました。


「……誇れる事では無いような」


 テオドール様は、眉間に深い皺を刻み、諦めたようにため息を吐いた。

 どうせ王命が発動すると、またどこぞの女性が送られてくるから、仕方ないよ。


「この領地の立場が悪くならないようにする為にも、私を置いておいた方がいいです」

「分かった……」


 テオドール様は悲しげな瞳をしてる。

 いつか、この人の晴れやかな笑顔も見てみたいな。

 夫婦間の愛など無くても、幸せにしてあげたいと思ってしまう。


 恋じゃなくても、心の穴を塞ぐような温かい何かが有ればいい。


 ──神様、どうか、私の願いを叶えてください……。

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