アルカナストレイズ
あとりはぎ
一章
Act.1 序幕
「──志半ばで死にゆくもの」
気づけば、がらんとした劇場に並べられた椅子に座っていた。広い劇場の中心には私と、もう一人の少女が間を空けて同じように椅子に腰掛けている。
灯りの落ちた暗闇の中、主張するかのように光る目の前のスクリーンには、自身の見知った顔が、守ったはずの命が、絶望のさなかでその命を落としていく様が鮮明に映し出されていた。
「──君を庇い果てゆくもの」
そばにいた少女は淡々と言葉を綴る。空間に向けて指を降る仕草をすると、それに呼応するようにスクリーンに映し出されていた映像が切り替わった。
「これが運命によって定められた命の終着点の数々。その一端だよ」
少女は指を振る仕草を止め、静かにこちらに振り向いた。まるで何かを問い掛けるかのように、その瞳は私の姿を捉えている。
「どうして、この光景を……私に見せたの?」
恐る恐る私は問い掛ける。彼女とは初対面という訳では無い。夢の中で出会う話し相手、私を親身に理解してくれる友人のようなもので、感情が壊れてしまった私自身が作り出した防衛本能だと。
──そう思っていた、今この時までは。
「……知っていて欲しかったんだ。大切なものを失ったキミが、それでも尚進もうとしている道の過酷さを、この捻れて歪んだ物語の結末を」
後悔や憐憫が入り交じった表情で、目の前の少女は顔を俯けている。「それでもキミは」と。
「まだ、この先の世界を生きていたいかい?」
葛藤しながらも綴られた言葉を重く受け止める。その真意は計り知れない、感情の無い私でも彼女の想いは感じ取れる。けれど、どうしても。
「私には……そんなことわからないよ……」
「……うん。今はそれでいい」彼女は少し安心したような表情を一瞬浮かべた後。「だけどこれだけは忘れないで欲しいんだ」と続ける。
「ワタシには口が裂けても許されないけど、迷ったり、悩んだり、時には振り返ったりしてもいいんだってことを。だから───」
少女は再び指を振る仕草を繰り返す。背後に垂れ下がった舞台の幕がゆっくりと開いていき、その隙間から溢れる眩い光に私達は呑み込まれていく。
「──その時は、またここでキミの答えを聞かせてくれ」
* * * * * *
『──緊急警報。緊急警報。
光と共にけたたましく深夜の街にサイレンが鳴り響いた。その音で目を覚ました私は、寝ぼけた眼を擦りながら素早い動作で自身の名である"
聞いた事のない緊急の警報が鳴るに至った状況を理解するのにそう時間はかからなかった。建物の窓から見える景色には、海岸沿いに高く聳える黒壁の頂上で異形の怪物と戦う人々の姿が見える。
黒壁はこのケテルの街を守るべく教会本部が建設した高さ三十メートル程の巨大な壁であり、海岸に面した土地を囲うように作られている。
(どうしてエクソリアが黒壁に近づいてるの……?)
通称エクソリアと呼ばれる異形の怪物の数は予想以上に膨大であり、本来近づくことさえできないはずの黒壁を超え、そのうちの何匹かは既に街にたどり着いているようだった。
月明かりに照らされた街を見下せる位置まで移動し、現在置から黒壁まで移動する最短の動線を探っていると、耳に装着した通信装置から通知音が鳴っていることに気づく。
通信装置に指先で触れるように手を当て、魔力を通して回線を繋げる。通知の主は所属する部隊の小隊長であり、自身を妹の様に接してくれている少女"与木 幸"の声が聞こえてくる。
『───ヒガナちゃん!?聞こえてる?』
「聞こえてる、状況は?」
『良かった!私達も向かってる途中なんだけど、街の皆の避難が滞ってるの!そっちに向かうまでに間に合わないかもしれない、ヒガナちゃんだけでも先に黒壁に向かえる?』
通信越しでノイズに混じって避難する住民の悲鳴が聞こえている。支部長や頼みの綱の先輩達が居ない状況で、この街を守れるのは自分しか居ない。
「大丈夫だよ、幸姉。私が皆を守ってみせる」
地面を強く蹴り上げて宙に舞う。眼下に広がった建物を足場替わりに、風を切りながら黒壁へと進んでゆく。
夢の中で相対した少女の問い掛けを忘れるように、悲惨な警告から目を背けるように、ただ目の前の脅威に意識を向けた。
* * *
「敵性反応増大──!クソッ……キリがないぞ!戦える者は屋上へ!作業員は地下に行ってシェルターに避難しろ!」
「ねぇ……ちょっと待って!中にまで侵入されてる!?一体どこから……!」
黒壁の内部では教会本部から派遣された人員達が、日夜海上のエクソリアの動向を監視している。
ほんの数時間前まで活動状況に異常は無かった。突如として海上のエクソリアが活発化し、黒壁を超えてケテルの街に侵攻しようとしている。
外壁にはエクソリアが嫌う世界樹の一部が素材として使用されているため、エクソリアは本来であれば近付けない筈だった。
(通常では有り得ざるエクソリアの活発化。類似した事例は五年前にホドの街で起きた大侵攻だけど……)
黒壁の運営副長である"ミステ・レンジアルナ"は、手に構えた弓で内部に侵入した小型のエクソリアを射抜きながら部下と共に屋上へと向かっていた。
「副長!リオン長官との連絡が取れません!教会の緊急回線もジャミングされているようで……」
「やはりただのエクソリアの活発化、という訳では無さそうですね。姉様……リオン長官が居ない今、私達だけでここを切り抜けなければなりません」
「内線でケテル支部にも救援要請を送ったのですが、どうやら支部長を含めた一級戦力が出払っているようでして……」
「あまりにも出来すぎています。最悪の場合......いや、考えたくはありませんが……」
言葉にするには重い予測、それが事実であろうとなかろうと絶望的な状況には変わりない。
だが、実際に原因がそれにあるならば、この街は──今日限りで滅んでしまうかもしれない。
「……アルカナが関わっている可能性を視野に入れなければいけないようですね」
"アルカナ"という単語を耳にした黒壁の職員達は先程以上に緊迫した表情を浮かべる。
エクソリアを統べる者達、人類共通の仇、討つべき怨敵、終末の賛同者。
それこそがアルカナであり、その根絶こそが教会の掲げる理念でもある。
「……そろそろ屋上ですね。皆様、気を引き締めていきましょう」
決して軽くは無い足取りで所々が崩壊しかけた非常階段を駆け上がる。その勢いのまま昇降口の扉を蹴り開ける。
開けた視界に映る屋上では、既に黒壁所属の戦闘員がエクソリアと攻防を繰り広げている。
しかし、黒壁を優に超える高さがある巨大な人型のエクソリアが、戦っている職員達に向けて今まさに、その大木程の腕を振りおろそうとしていた。
「ミステ副長!このままでは彼らが!」
「くっ───!」
咄嗟に弓を構える。つがえた矢に魔力を最大まで込めればあの巨大な腕は簡単に吹き飛ばせるだろう。
だが矢に魔力を込めきるまでに、エクソリアが彼らを押し潰すであろう事は明白だった。
(間に合わない────!)
そして腕が振り下ろされる瞬間、腕と職員との間に一瞬にして割り込む影を見た。少女の形をした影は、手に携えた直刀を目の前の腕に向け流れるように振り下ろす。
空を切る音が周囲に鳴り響き、押し出された空気が風となって辺りに霧散する。大木程の巨大な腕は手のひらから肘にかけて真っ二つに切り裂かれていた。
腕の影に隠れていた姿が月明かりに照らされてゆく。
「──三級祓魔師、立宮ヒガナ現着しました。これよりエクソリアを殲滅します。援護をお願いします」
腰ほどの長い黒髪をたなびかせ、右側の髪をワンサイドアップにした、真紅の瞳を宿した少女がそこに立っていた。
* * *
──あれから数時間が経過した。日が昇り始める頃にはエクソリアの大群の大半は討伐され、重傷者は居たものの死者はゼロ人という奇跡的な結果に終わった。
危惧されていたアルカナによる関与も見られず、ケテルの街に起きた大侵攻は収束しようとしている。
復旧作業に勤しむ黒壁職員と別れ、外壁に設置された階段を降りてゆく。ミステ副長からの追加の探索依頼、黒壁の外側──海岸沿いの砂浜の調査のために。
潮風によって錆びた足場を踏みしめて下っていく。あれほど活発的だったエクソリアも、今は砂浜にすら近づこうとはせず、遠巻きにこちらを眺めている様だった。
(一体……何が原因だったんだろう……)
わかりもしない事を考えながら、砂浜に漂着した何処から来たのかもわからない打ち上げられた残骸を見る。そのどれもが朽ち果ており、長い歴史を感じさせる。
砂浜を歩いていると、何者かに足首を不意に掴まれた。咄嗟の事に反応出来なかった私はそのまま前方に倒れ込む。
「うぶっ」という情けない声上げながら地面に叩きつけられる。急いで起き上がり足元を確認すると、自分の足首を掴んでいたのはエクソリアではなく、どうやら若い青年のようだった。
漂着した残骸の中に紛れたその青年の姿を確認する。漂流してきたのか全身は濡れているが、エクソリア蔓延る海を渡ってきたにしては傷一つ見受けられない。
その白い髪は毛先に向けて黒いグラデーションのように染まっている。
僅かに開いた瞼からは青水晶の瞳がちらりと見える。不意に目と目が合う、青年は驚いたような表情を浮かべ最後の力を振り絞るように口を開き、「───ヒガ、ナ?」と呟いた後、事切れたように意識を失った。
自分の名を知るこの不可思議な青年との出逢いが、今後世界を揺るがす最終章への幕開けとなることを───
──この時の私は、まだ知る由もなかった。
アルカナストレイズ あとりはぎ @ohagi27
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