七
翌日。
俺は茉都香さんに呼ばれ、伏見邸に再び訪れた。
曰く、また任務とのことだが、詳細はまだ教えられていない。
今週に入って頻度がいきなり増えたのは気のせいだろうか。
窓の外を向く茉都香さんの姿を見つけ、広間に向かって歩く。そういえば彼女は、ずっと目を閉じている。
「あれ、猛は?」
「呼んだのは貴方だけよ」
「まさか、俺一人で殺しを…」
「そんなこと頼まないわよ。第一あれは猛の役割だし」
以前は俺もいずれ殺しを始めるかのような口ぶりだったのに、今日はまるで俺には殺しをさせないかのような言い方だ。引っかかる。
「今回貴方にやってもらうのは、ターゲットとの接触よ———」
◇
ビル街。都内でも比較的馴染みやすい雰囲気を感じる場所で、超高層ビルという感じの建物は見当たらない場所。
そして、正面のビルが、茉都香さんに教えられたターゲットの場所。
———私は大株主だから、掛け合えば通してくれるはずよ。
とのことで、早速受付に声をかけてみると、割とあっさり通してくれた。が、ターゲットは営業で出払っていたようで、どうしてもと言ってみると、場所を聞いて教えてくれた。
そして、待ち合わせ場所。
スーツ姿の好青年が、カバン片手に駆け寄ってきた。
彼がターゲット———。
俺は、徐にポケットの中でスマホの録音アプリを起動し、録音を開始する。
「平野成さんですね?」
「そうです。あ〜ってことは君が言ってたあの子か。よろしく。えと、名前は…」
「白石です。白石悠斗」
「悠斗くん! いい名前だね」
「ありがとうございます」
ふとネクタイが目に入る。主張し過ぎているわけではないが、赤い。仕草一つ一つから感じる好青年さとはかけ離れた色だから、少し違和感を感じる。
「それで、要件ってのは?」
「以前、友人が平野さんの弟さんに助けられたことがあって、そのお礼をしたいけど忙しいし恥ずかしいってんで、俺が代わりに」
「なるほど……。ありがとうね! わざわざこんな……」
腰低く遠慮するターゲットに、菓子折りを多少強引に手渡す。菓子折りは、茉都香さんがGPSを付けたと言っていた。これを手渡すのは、重要なのだろうと分かる。
「近くに、伯父さんがやってる喫茶店があるので、そこで少しお話しませんか?」
「そ〜う、だね。ちょうど一息つくところだったから、是非」
ターゲットは、腕時計を見て、そう言う。スマートウォッチではなく、普通の腕時計。最近あまり見かけない。
喫茶店に着いた。
「伯父さ〜ん! いる〜?」
ドアを開け、厨房に入ってそう叫ぶ。正確には、少し大きめの声量だ。多少誇張した。
伯父さんといくつかの会話をする。学校はどうしたのかとか、彼は誰なのかとか、そんな程度の話だ。
ターゲットに向き直る。
「コーヒー飲めます?」
「問題ないよ!」
にこやかな笑顔でそう返される。
「じゃあ、好きなところに座っててください!」
再び伯父さんと少し会話し、ターゲットの座る席へと向かい、対面に座る。
「お昼、まだですよね」
「そうだね。折角だし、何か頼ませてもらおうかな」
「あ、じゃあこの砂糖入りナポリタン、食べていってください!」
「おすすめ? いいね、じゃあそれをお願いしようかな」
「分かった。伯父さ〜ん! ナポリタンお願い! 二つね!」
数分後、ナポリタンとコーヒーが出された。
俺と平野さんは早速ナポリタンを口に含む。ガツンとくるバターの香りにケチャップの後引く酸味、その中に確かな甘味を感じるいつ食べても完成されていると思う一皿だ。ブラックコーヒーの苦手と混ざり合ってちょうど良いくらいの甘さは、よく計算されていると思う。
ターゲットも、頬を綻ばせて味わっている様子。
はっきり言って、現時点でこいつに悪い感情は芽生えてこない。一体何があるのか。
互いに完食し、二杯目のコーヒーに手をつけたところで思い切って話を聞こうと口を開く瞬間、ターゲットは語りだした。
「あの弟がね」
「あの弟、ですか?」
「うん。あいつ、いつも入れ違いで家最近全く顔を合わせないし、仕事も褒められるようなことしてないみたいだし。あぁ、偏見なんだけどね、ただの」
「仲、悪いんですか?」
「いや、そんなこともないよ。誕生日のときには、ベッドの脇に腕時計が置かれてたんだ」
「それ、ですか?」
「そう、これ。もう数年経つなぁ」
「…………」
彼の生活において、弟がどれくらいの影響を与えているのかが、大体分かった。
茉都香さんからの事前情報で兄弟についても聞いていたので、多少なりとも重要な所だとは思っていたが、斜め上に精神に食い込んでいた。
話を聞くほど、ターゲットが弟第一に生きているような言動を節々に感じ取れる。若干狂気的なまであった。
……普通の人からしてみれば、弟思いのいい兄貴、とでもいう感じなのだが、俺はあくまで粗を探す。拡大解釈とも言えるかもしれないが、正直、まるで一心同体のような口ぶりがあったのだ。言い間違いかもしれないが、敢えて、追求しない。そのまま茉都香さんに伝えることにする。
「いやぁ、美味しかったよ、ありがとう。また、機会があったら来させてもらうよ」
代金は、伯父さんに言って付けてもらった。友達だから、という理由で。
「ええ是非、コーヒーだけでも飲みに来てください」
「じゃあね、わざわざありがとう!」
手を振りながら離れていくターゲットは、最後まで好青年だった。
完全に見えなくなったところで、録音を停止した。
◇
午後、伏見邸。
俺は茉都香さんに録音した全てを流した。
「……概ね、想定通りね」
茉都香さんは、別に耳は良いらしい。
「ちゃんと渡してくれたおかげで、GPSはターゲットの自宅を特定出来るでしょうね」
改めて考えればこれはバッチリ違法行為だと思ったが、敢えて知らないふりをする。
「今日はひとまずこれでおしまい。次の連絡を待っていてね」
「………分かりました」
茉都香さんを尻目に、部屋から出る。
当たり前のように事が進んでいくことに、少々違和感を覚える。
などと、考えごとをしながら廊下を歩いていると、誰かに声をかけられた。
「おい」
振り向くと、猛だった。
「猛か、なんだ?」
「お前、覚悟は出来てるのか?」
「……どういうことだ?」
「これ以上は、引き返せなくなる。お前がそれでいいならもう止めねぇが、嫌なら二度と家に関わるな」
「なんだ、突然」
「別に突然でもねぇよ。だがこれ以上は、はっきり進むか退くか決めろ。その覚悟がないままなあなあじゃ困るんだよ」
「……いきなり言われても、決められねぇよ」
「なら、次の連絡までだ。それを無視するか来るかで、決めろ。というか、それで決まる。嫌でもな」
「…………」
猛は、言いたいことを全ていい終わったようで、立ち去っていく。
この時の俺は、その重大さに気付く前で、そしてその時には、気付くにはあまりに遅かったと後悔していた。
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