咲き続けたあなたへへの応援コメント
切ないです。私も娘をもつ母親なので。
お母さんには踏ん張ってもらいたかったですが、どうしようもなく「疲れちゃった」んですね。
主人公とお父さんの世界が、少しでも美しく優しいものになるように願います。
自主企画へのご参加、ありがとうございました!
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「余命を宣告された時自分ならどうするか」ということは、大人であれば誰しも一度は考えるか、考えてみようとした経験があると思います。
しかし、その行き着いた先で家族はどうするだろうか、と想像する人は多くないかもしれない。そんなことも考えつつ書いた短編でした。
少しでもそんなことを考えてもらえたら、なんて思うのですが、その前にまず読まれないので困ったものです。
今回は企画に参加させて頂きありがとうございました。
咲き続けたあなたへへの応援コメント
葵という文字からは青紫を連想してしまうのですが、立葵は白~暖色系ですね。まっすぐの茎に咲く花の様子は、浴衣をまとった大人の女性のようです。
花が咲き続けるかぎり、雨は終わらない。
雨が終わらなければ、花も終わらない。
亡くなった方のことを回想している彼らの胸の中に立葵は咲き続け、咲いている限り、後悔の涙も終わらないのでしょう。一緒にいた時期が夏でぶつりと途切れているがゆえに、直前に咲き狂っていた立葵が、母の象徴となってしまったのでしょうね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
浴衣をまとった大人の女性ですか。なるほど。立葵と浴衣の女性。毛筆で「咲き誇れ。夏へ」とでも書くと色々なポスターになりそうです。
立葵の蕾の数がカウントダウンを想像させるので、タイトルもそういった意味の言葉を含ませようかと思ったけど、いい日本語がないんですよね。
咲き続けたあなたへへの応援コメント
コメント失礼します。
動作や情景、心理の描写がすごく美しかったです。
「ポツンと色が置いてある」「神様が開けた覗き穴」「書かれた文字よりも大きな感情に埋もれてしまったものたち」「横にも縦にも滑り出さなかった」「その背中が、少しだけ広がった」などなど、
「残された夢は 蕾の立葵」が「蕾の数と同じだけの音」というところも好きでした。
悲しくも、最後にじんわりと温かさの残る、素敵なお話でした。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
2000字以内という短い物語では、助詞のひとつであっても無駄にしないという思いもありながら、書かないことで伝える行間も大切にしたいと思って表現しています。仰って頂いた「美しさ」については特に意識していませんが、自分らしさを出すことと、少しでも記憶に残るものを、という気概、というと大袈裟ですね。そういう意識はしています。
少しでも記憶に残って貰えたら大成功です。
編集済
咲き続けたあなたへへの応援コメント
読ませて頂きました。
安直な感情表現が無く、立葵から青空・天の覗き穴の描写が美しい分だけ「死」というテーマが深く突き刺さる。
家庭的に問題のなさそうな父がいるにもかかわらず、母に何があったのかがすごく気になります。そして彼女の行動は十年過ぎた今もなお娘の心に罪悪感を残している。
>ずっと咲き続けるなんて、無理なんだよね
「死は嫌忌すべきものでも好むものでもない」(古川薫著・高杉晋作)という言葉を思い出します。母の突然過ぎる死を受け入れるには余りにも幼かった事が原因か。
母との思い出を共有できる父親と一緒に過ごしているのがせめてもの幸いか。毎月の墓参りで度ごとに気持ちの整理をつけているのだろう。
しんみりとさせて頂きました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうですね、母親が死を選んだ(人生を終わらせることを選んだ)理由は書いていませんね。唯一ヒントになりそうなのは、夏の太陽の下でも白いニット帽を目深に被っていたことでしょうか。
今回は「人生近道クーポン券」というお題に寄せて書きました。「人生の近道」という言葉からは「死」を連想せずにはいられませんので、そこからは逃げずに。
ただ、多くの方は「クーポンを貰った側」を主に書くだろうと思ったので、私は「クーポンを渡した側」を主に書こうと。それと、ありがちな「悪意」というものとは無縁の話にしたかったのでこうなりました。
お題で書くと、どうしてもひねくれちゃいますね。
咲き続けたあなたへへの応援コメント
人はずっと咲き続けることはできないけれど、愛してくれた人の心の中では咲き続けることができる…父と娘の悲しみと愛情の交錯した想いを感じました。
立葵、あの異様な陽気さに狂気を感じてしまう時があります。綺麗なのだけれど、明るさと主張の強さが私には眩しく映ります。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
例えばダリアに狂気を、というのなら「わかるー」ってなる人も多そうです。
立葵に狂気を感じるとは、なるほど私の物語たちを手に取って頂けるわけです。と、妙に納得。