代アニ札幌伝

@yoanirensai

第1回『まどろっこしい!』



 専ら雪国のイメージが強い北海道と言えど、やはり現地人にとって夏はうだるように暑いモノだ。外はセミが年がら年中五月蠅うるさく鳴いており、ジ――――ッというコエゾゼミの鳴き声が辛い猛暑を助長させていた。

 そんな中、中学三年生の青二才『宮森悟みやのもりさとる』はクーラーが効いた涼しい自宅の居間で優雅に寛いでいた。


「――――ッ」


 何の気なしに見ていた好きなアニメの特番。悟はソファに寝かしていた自身の上体をバッと起こす。アニメのキャストたちが和気藹々としながら作品について語る最中、悟の目に彼女が姿が映った。


 現役高校生声優『志島亜衣しじまあい』。


 瞬間、悟の意識は彼女に奪われていく。

 洗練された艶やかな黒髪に夜空を映し出したかのような力強い黒瞳。息を呑むほど凛とした佇まい。彼女の全てが美しいと表現するに値した。


「あ、会いてェ……ッ」


 切実に思う。

 当時、齢十五であった悟は必死に彼女と巡り会う方法を模索した。

 そして、


(オレもなんか書いて、それがアニメ化すれば会えるんじゃ……?)


 頭上の電球がピコーンと光る。

 もう一度だけ言おう。当時の悟は未だ齢十五。

 彼の脳内は誰よりも青かった。



 ――――などという取るに足らない、足らなすぎるバックストーリーもありながら、齢十五の青二才だった悟は、長きに渡る中学高校生活に終止符を打ち、晴れて代々木アニメーション学院札幌校シナリオ・小説学科の門を叩いた。

 札幌最大の繁華街、すすきの。その近辺にある商業施設ノルベサ。そんなノルベサの玄関口に、悟はスーツ姿で顔を上げながら堂々と仁王像のように立つ。

 見つめる先に在るのは、巨大な円環。ビルの上から生えているこれの正体は、ここノルベサを象徴する建物、観覧車ノリアだ。


(観覧車ノリア……。ネットで幾ら検索を掛けても観覧車ノリアと出てくるところを見るに、観覧車からが正式名称なのだろう。だがしかし、ノルベサの公式が言っているように、ノリアとはスペイン語で観覧車という意味。つまり、日本語に直訳すると観覧車観覧車ということになる。――――まどろっこしいッ!)


 薄く開いていた瞼をクワッと一気に丸くさせる。

 しょうもないバックストーリーから四年、悟は神経質になっていた。


(なんでいッつも違う言語で同じ単語を連続させるんだッ! サルサソースはどっちもソースだしッ! サハラ砂漠はどっちも砂漠だしッ! フラダンスはどっちもダンスだッ!)


 カタカタ、悟の足元から音が鳴り始める。降って湧いたくだらないイライラに、癖の貧乏揺すりが発動してしまった。


(なんかこう……、何度も言わないと分かってくれない子供と思われているようで凄く自尊心に響くッ! そんな親切今時誰も求めてないだろッ!)


ゴゴゴゴと悟の背中から黒い瘴気みたいなモノが伸びる。

あれから四年、悟は傲慢にもなっていた。


「あ、あのぉ……」


 そんな折、である。

 ふと、背後から聞き慣れない声がした。間近だ。声がした距離的に、この声は悟自身の反応を求めているのだろう。


「ん?」

「すみません。えっと、なにかお困りでしょうか」


 振り返ってみると、そこに居たのは何だかパッとしない少女だった。

 自身と同じようにスーツを着ており、光沢の少ない黒髪は後ろで団子調に纏められている。しかし、その割には前髪が異様に重たい印象だ。鼻から上がどんな容貌をしているのか少しも分からなかった。彼女の特徴を列挙するならば、長い前髪、左顎の黒子だけで済む。あとは少し肉づきが良いぐらいだろうか。どこ、とは言わないが。


「困ってないです」

「え? あ、あァそうなんですね。す、すみません。なんか早とちりしちゃって」


 キッパリハッキリと言う悟に、お団子目隠れ左顎黒子地味少女は、恥ずかしそうに頬を赤く染めながらペコペコと頭を下げる。


(…………なんだ? この妙な既視感は)


 頭を下げる少女に、何となくだが誰かの面影があった。しかし、誰なのかは思い出せない。少し考えた後、悟は(気のせいか)と自己完結する。


(それにしても……)


 何というか、


(芋い!)


 根暗だ。

 少女のどこかオドオドした様子に、こちらが困っていませんか? と先刻の宗教勧誘染みた文言を口走ってしまいそうになる。

 にも拘わらず態々「お困りでしょうか」と声を掛けてくる姿勢は、ほんの少しギャップだ。きっと、彼女の性根は誰よりも優しいのだろう。

 それに比べて悟は……。


(人間関係で後悔するタイプだな)


 きっと、彼の性根は誰よりも腐っているのだろう。そうに違いない。絶対そうだ。


「むっ」


 そこで悟は自身の腕時計が一〇時前を示していることに気がつく。


(入学式は十時半から。……そろそろ行った方が良いな)


 三〇分前行動が基本である悟は、眼前の地味少女に「それじゃあ」と早急に別れを告げて、ノルベサの中へと入って行った。


「す、すみませェん」


 左手側にあるエレベーターの中へ突き進み、五階のボタンを押した矢先、先刻の地味少女も申し訳なさそうにして入って来る。おそらく、別れを告げた途端から再び同じ空間で二人きりになるのが居たたまれないのだ。

 しかし、


「…………」

 生まれついての厚顔無恥である悟にとって、そんなことなど、どうでも良いことの一つに過ぎない。(気まずいなァ)と地味少女が思う中、悟はストーンとした表情で五階に着くのをひたすら待つ。


(というか、この人も五階なんだ……)


 生まれ持った太めの眉を八の字にし、少女は悟の背中を見据えた。イヤだなァ、と心の中で正直に呟く。おそらくだが、眼前に居る少年は苦手なタイプだ。少女の苦手なタイプ、それは偏に威圧感のある人。その点で言えば、悟は諸にその条件に当てはまる人種だろう。

 そうこうしているうちに、エレベーターは五階に到着。ガーッと開いた瞬間、悟はササッと閉鎖的な空間から脱し、後を追う形で少女もエレベーターから出た。

 そして、――――二人で一緒に左手側奥にある代々木アニメーション学院、代アニ札幌校の門を潜る。


(お、同じ学校のひとだった)


 ズーン、と少女の肩は溶けるように落ちていった。そして静かに、自身の中に詰まっていた偏見を心の中で消化していく。


(正直、私みたいな根暗で家に帰っても暇な時は日がな一日家の手伝いせずにダラダラと漫画アニメ見てるような人しか居ないと思ってた。こういうハキハキした人も来るんだ)


 ハッキリとした人間を前にすると委縮してまうのが常であった少女。彼女の中に在った、ここでなら人並みにやっていけるかもという小さな自信は粛々と縮んでいくのであった。


(不安、……だなァ)

 代々木アニメーション学院と白文字が刻まれた赤いカーペットの上で、少女はただでさえ低かった目線を、更に落としていく。

 その矢先、――――視界にスッと薄橙色の何かが侵入してきた。偏に、それは手だった。


「なんだ、同じ学校の人だったのかあんた」

「…………え?」


 徐に顔を上げる。すると、見えてきたのは先刻から偶然にも行動を共にしていた厚顔無恥な少年の、――――純粋な微笑であった。


「あ、……よ、よろすくお願いします」


 戸惑い、思わず噛んでしまう。そして、少女は初めて同年代の異性と握手を交わした。


(や、優しい人?)

 先程まで重く冷ややかな風に晒されていた自身の心が、ポワポワと温かくなっていく。

そして、少女はハッと何かに気づき、続けた。


「あァ、えっと、声優・タレント学科一年の『美園静華みそのしずか』です……ッ!」

 勇気を出して、声を振り絞り、自己紹介をしてみる。それに対して少年――宮森悟は、


「うん」

 と一声だけ返してスタコラと受付のカウンターまで向かうのだった。

 一人取り残された静華。彼女は先程まで悟と繋いでいた手をそのままにしながら、呆然とその場に立ち尽くす。

 そして、


(――――ッ!?)


 美園静華史上、最も大きく目を見開いた。

 一方で当の悟はというと、


(在学デビューからのアニメ化。オレは必ず叶えてみせる、――――『志島亜衣』との結婚をッ!)


 気色の悪い闘志を燃やしていた。

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