短編集
山田 唄
マネキン
お洒落が私のアイデンティティだった。学校内ですら制服で過ごすのが嫌で、わざわざ私服の高校を選び学則にのっとりつつも個性を生かしたファッションで三年間を過ごすほどに、衣服、というものが常に自分のヒエラルキーのトップに君臨していた。大学はもちろん美大を選び、服飾の仕事に就くために毎日のようにミシンに向かった。
衣服に対する情熱がめらめらと自分の中で燃え盛り続け、その炎は永遠のものであると、私も私の周囲の人間も信じて疑っていなかった。
が、二十歳の誕生日を迎えたその日、火がぱったりと消えたのだ。
その日、別に何があったというわけでもない。
いつも通りに目覚ましの音で目覚め、直前まで見ていた夢をぼんやり思い出しながらフリルの大量についた、自分で裁縫して作った寝間着を丁寧に剥ぎ、さて今日はどんな格好をして大学に行こうか、とクローゼットの前に立った。
しかしていつもキラキラと輝いて見えていた私の自前の勝負服たちが、どれも色あせたようにしなびて見える。
寝不足で調子が悪いのかと思ったが、頭は変に冴えていて、ただ事実として自分の衣服に対する興味が枯れたことを理解した。
それからというもの私は、朝も晩もずっとジャージ姿だ。
今日も自宅のリビングで、間食にスナック菓子を頬張りながらダラダラと携帯で動画サイトを見ていた。もちろん今日のファッションもジャージ。それも、毎日違う色を選んだりする手間まで惜しくなってしまい、同じジャージを三セット買って三日ごとにぐるぐる着まわしている。
そんな私を見て当初あきれたように笑っていた美大の友人たちも、どうやら尋常ではない様子を察したようで、静かに自分から離れていった。
それ以来単位を落とし続け、卒業の見込みもないままもう五年生だ。そろそろ本気で大学を辞める決意をしなければならなかったが、もうそんな決断をするほどのエネルギーすらなく私は服だらけの人生に飽きたように今日も自宅でごろごろし続ける。
携帯がぶるぶると震え、通知を開いてみると、唯一自分と交流を保っている友人からの定時報告であった。
――よっ。起きてる?
確かに忌憚なく言葉を交わせる仲であったし、この友人がいなくなってしまえば私を見限った家族も含め、自分の周りには本当に誰もいなくなってしまう。
それでも順調に美大を卒業してキラキラした作家生活を送っている彼女の事を、どうしても対等には見られなかった。
しかして自分を心配する彼女より、定時連絡には必ず返事をせよ、さもなくばお前を今度こそ本当に社会的に殺してやる、と脅されているために、そう無碍にもできない。仕方なくぽちぽちと短い文章を打って送信した。
――起きてる。RMの配信見てたとこ。
――えっ、RMの新作発表って今日だっけ。
ほとんど間を置かずに友人から返信。全く面倒くさいと思いつつもとりあえず返事を送る。
――今回も神曲だったよ。
――ええー!? 見逃し配信見るかあ!
なんだかんだ言ってもこうして自分と関わりを持ってくれる人間がいる事実には救われている。会話には一区切りついたと判断して、ジャージの上からせめてもとフリースを羽織り、買い出しに出るためにもそもそと家を出た。
外を歩く時何が嫌だって、どうしても他人の衣服が目につくことだ。大体にして日本人には普段着にすら気を使っている人間が多い。…自分もかつてそうであったのだが。色合いは多くが地味だが、それゆえにセンスがいいと評さざるをえない格好をした人間が幾人も脇をすり抜けていく。
「お前と違って私達にはまだ情熱と若さがあるんだよ」
そう突きつけられている気がした。
フリースの前を固く閉じて手のひらで握りしめ、顔を伏せて街路を行く。背中を冷や汗がダラダラ滑り落ちた。
やがてコンビニにたどり着いてほっと息をつく。ここまでくると過剰なお洒落をしている人間の数も随分まばらになるから、比較的気が楽だ。店員も常に制服を身につけているから自分と比べるべくもない。
不必要にダラダラと店内を見て回りながら、スナック菓子とカップ麺、日持ちのする菓子パンを見繕って籠に入れた。
「あれ?」
どこかで聞いた声にぞっとする。振り向かずに去ろうとしたが、相手はすぐさまこちらの腕をがっしとつかんだ。
「久しぶりじゃない? 今どうしてるの?」
「あ…えっと…お久ぁ…」
大学の同期であった。先ほど携帯でやり取りした友人ほどではないが、非常に仲良くしていた相手であるし自分がこんな有様でさえなければ再会を喜んだであろう。しかし相手はいかにも美大のOBらしいセンスの良いドレスを身に着けていて、私は今ジャージだ。
先ほどの比ではないほどじっとり冷や汗をかく。
「急に学校に来なくなるしさ。あれだけ熱意持ってやってる子ほかにいなかったし、ずっと気になってたんだよ」
「うん…まぁ」
「家この近くだっけ。っていうかその恰好だと寝起き?」
べらべらとまくし立てる彼女をどうかわそうか必死で頭を巡らせる。相当焦っている様子を読み取ったのだろう、何か察した風の彼女は、ふう、と長い息を吐き出した。
「ねえ。私達、そんなに疎遠でもなかったじゃない? 何かあったなら話してくれないかな。私はまだ友達だと思ってるんだよ」
「そ…それは…。きっと話しても分かってもらえないと思う」
「なんだか変だよ。あなたいつも堂々として、あんなに魅力的だったじゃない。憧れてる後輩も慕ってくれる先輩もたくさんいてさ」
「う…。うるさい…」
思わず漏れた拒絶の言葉に、彼女は言葉を止めてまじまじと私を見た。これ程に消えてしまいたいと心から願ったことがかつてあっただろうか。
やがて彼女はまた長い溜息を吐き、「まあ、とりあえず今日は帰るよ。また連絡して」とだけ言いおいて、さっさと店を出て行ってしまった。
籠を乱暴にカウンターに突き出し、どうやら会計も済ませたらしいがそこからの記憶がほとんど残っていない。
気が付くと自宅で布団にくるまって泣いていた。
わかっている。わかっているのだ。私がすべて悪い。
こんな自分でさえなければ親に馬鹿高い学費を払ってもらってまで無駄な五年間を過ごすことなどなかったし、友人たちに嫌な記憶を残すこともなかった。なんなら私が享受してきた幸福達だって、もっと相応しい人に与えられていたかもしれない。
…私さえいなければ。
その時部屋の呼び鈴がけたたましくなって、思わず自分の口をふさぐ。とても客人に見せられる有様ではない。申し訳ないが居留守を使おう。
しかし呼び鈴はしつこくなり続けた。やがてそれはどんどんとけたたましく扉をたたく音に代わり、その音のまにまに断続的に自分を呼ぶ友人の声がする。
「どうしたの!? いるんでしょ! 早まっちゃダメ!!」
このままでは警察を呼ばれかねない。
仕方なく玄関に這って行って扉を開けた。はっとしてこちらを見つめた友人が、泣きあとのついた頬に気づいたらしい、私を抱きしめる。
「お願いだから…もっと自分を大事にして」
「うん、ごめん…」
「いいよ。どんなに心配かけてもいいよ。ファッションに興味なくしたって、仕事が見つからなくたって、どんな姿になったって、いい。でも、一人で泣いちゃダメ。…ピザ買ってきたから一緒に食べよう」
それから、リビングでピザをつまみながら、二人でダラダラと話をした。たわいもない話ばかりだったが、やがて二人ともボロボロ涙をこぼし始め、私たちは私たちの思い出のために泣いた。
人生は残酷だ。どんなに大切にしていたものも、いずれ消えるし跡形も残らず去って行ってしまう。だけれど、その代わりのものが都度与えられる。だからそれを頼りに生きよう。
翌日、泊っていくといって聞かなかった友人の隣で目覚め、久方ぶりにクローゼットを開いた。ビニールをかけて防虫対策を施された服たちが、相変わらず何の魅力も感じさせずに並んでいる。
そのうちの、出来るだけ地味な一着を手に取り、身に着ける。
もうワクワクはしなかったが、それでも昨日とは少し違う気分で、顔を上げた。久しぶりに青空と目が合った。
―――
三題噺ガチャ
「自宅のリビング」
「ジャージ」
「飽く」
より制作
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