それでもあなたを。

花雪

愛してた。

私は前世、ある国の貴族の端くれの令嬢でありました。

そんな私には幼い頃からの婚約者がおりました。

彼はよく私の好きなすずらんの花を贈っていました。

初めて二人きりで出かけた先は、すずらんの咲く庭園でした。彼はかわいらしいすずらんにそっと触れながら「君のようだ」と言ってくれました。それが本当に嬉しくて、すずらんは私にとって一番大切な花になり、私は彼に恋をしたのです。それから彼と会う時は不器用なりにお菓子を焼いたり彼の誕生日には毎年ハンカチに刺繍をして贈っていました。

彼との日々は穏やかで、彼の優しさに少しずつ恋心と将来への期待が積もっていきました。


けれど彼が選んだのは私との未来ではありませんでした。


結婚まであと一年というところで、彼との交流が少しずつ途絶えていきました。不安になりながらも、何度もやり直しようやく縫い終えたすずらんの刺繍の入ったハンカチを彼に贈りましたが彼からの返答はなく、私の誕生日に彼からの贈り物が届くことはありませんでした。


そしてある日、彼は見知らぬ女性を連れ、私との婚約を破棄すると高らかに宣言したのです。

身に覚えのない、私の女性への罪状。名前も知らない彼女を蔑み、あろう事か命まで奪おうとしたという。侮蔑と憎悪を宿した目で私を睨む彼を前に、ただただ震えていました。


何故。どうして。


怯える私に彼はさらに険しい顔をして「君がこんなことをする醜い人だとは思わなかった。失望したよ。もう二度と俺の前に現れるな。」と声を荒げて言いました。


あまりの突然の出来事に頭は働かず、弁明すらできませんでした。動くことのできない私はいとも簡単に衛兵に拘束され、そのまま引きずられるように修道院へと送られました。唯一その時できたことは、ひたすらに彼の名前を叫ぶことでした。けれど彼が私を見ることはありませんでした。


修道院は北の辺境の地にあり、村の片隅の年中光の差さない肌寒い場所にありました。冬は作物も育たないため満足に食べられず、春の訪れを願うばかりでした。


修道院に連れて来られて数年は、憎しみ、怒り、悲しみに途方もなく泣いて暮らしていました。最初は神へなぜ彼は心変わりしたのか、なぜ私はこんな目に遭ったのかを問い、微かに彼の心が私に戻ってくることを祈っていましたが、やがて彼や私を見放した人々全員の不幸を願うようになっていきました。


十年が過ぎる頃には涙は枯れ、心は石のように動かなくなっていました。その頃にはもう何も願わなくなりました。


辺境の地に追いやられ十五年が経ったある日、修道院の扉の前にすずらんの花が置かれていました。一瞬、彼からかとよぎった自分の愚かさに嘲笑したのを覚えています。そんな事があるはずないのに。彼は私を蔑み、捨てたのだから。


当然の事に胸も痛まず、乾いた笑いで私の顔が歪んだだけでした。


それから毎年同じ時期、同じ場所にすずらんの花が置かれていました。


それから十度目の初夏、戦争が始まりました。軍国として名を馳せる彼の国になす術なく騎士や兵士たちは倒れ、この国は侵略されていきました。


そして、毎年この時期、扉の前に置かれるすずらんが現れることはありませんでした。


それからしばらく経った曇り空の日。まだ私が貴族であった当時の彼の友人が突然現れ、ここから逃げるよう私に言いました。敵国は直にこの辺境の地をも焼き払いにくると。

なぜ私の元へわざわざ来たのか問うと、彼に頼まれたからだと答えました。


私を修道院へ追いやってすぐに、彼の連れた女性は逮捕され、その本性が世の明るみに出たそうです。彼と同様に地位のある男性に近付き籠絡し、全てを奪い、用済みとなれば捨て、面倒があれば自分が手を下したと分からぬように殺す。捕まらぬように名前や素性、容姿までも変えて街や国を転々としたそうですが、最期は金と引き換えの密告により逮捕され、国を超えた大罪人として処刑されたそうです。


唯一の救いは私を最後に、私と同じ目に遭う女性がいなくなったことでしょう。被害を被る女性が増えないことでしょう。


そんな事があった後、彼は激しく後悔して憔悴し、時折私への懺悔の言葉を口にしたと言いました。


そして、先の戦争で彼が戦死したと言いました。発見された時に固く握っていたというものを渡しながら。


渡されたものは、私が最後に贈ったすずらんの刺繍が入ったハンカチでした。


わずかに時が止まり、枯れたはずの涙が流れ、あの出来事以来初めて声を上げて笑いました。


いまさら、なんだというのか。


彼の奇行に声を上げて笑ってしまいました。


黙って様子を見ていた彼の友人はしばらくして私の手を引き隣国へ連れ出そうとしました。しかし私はその手を振り払い、申し出を拒否しました。


彼の情けなど受けない。


それを見た彼の友人は何も言わずに修道院を出ていきました。


程なくして敵国の軍がこの地を占拠し、村は敵国の戦火に焼かれました。


私の最期といえば、修道院の瓦礫に埋もれて力つきるという、なんとも惨めなものでした。どこかでは分かっていました。神は人の不幸を願い、けれど彼に僅かに未練を残した醜い私を見放したのです。


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それでもあなたを。 花雪 @yukikanz

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