アカ

洞貝 渉

 しゃくり。

 澄んだ甘い香りが、音と共にぱっと弾ける。

 耳に心地いいしゃくしゃくという咀嚼音と青臭さを含んだ果実の香りを、これ見よがしに堪能してみせつけてくる。

 テッチャンはニヤニヤと勝ち誇った笑みを私に向けた。

 スイカの果汁で顔中をベタベタにしながら、口の中でぐちゃぐちゃに潰れた赤い塊を転がしながら。

 アカは苦手だ。

 だから、私はスイカが苦手。トマトも、リンゴも、サクランボも、イチゴのジャムも、照り付ける夏の日差しも、みんなアカいから苦手。

 テッチャンはアカいスイカの果肉に歯を立てる。

 滴る汁がテッチャンの手を濡らし、肘まで伝い、床にぽたぽたと落下して薄赤い小さな水たまりを広げていく。

 私はどこか誇らしげにスイカを食べるテッチャンのことを、ただ眺めていることしかできない。

 ニタア。

 大口を開けるテッチャンの白い歯に、スイカの黒い種がついている。


 つい数日前に突然やって来た、活発で粗暴そうな男の子のことを、おばさんはテッチャンと呼んでかいがいしく世話をした。テッチャンはおばさんのことをバアチャンと呼び、乱暴な物言いで接するが、決しておばさんのことを嫌っているわけではなさそうだ。

 テッチャンはおばさんの子どもの子ども。

 おばさんはテッチャンのお父さんのお母さん。

 だからおばさんはテッチャンが大切だし、テッチャンはおばさんに懐いている。


 テッチャンは親に連れられておばさんの家にやって来た。

 夏休み……数日間……よろしくお願いいたします。

 いい子にしてるんだぞ。

 細切れに聞こえてくる女のかしこまった声と、鷹揚で大きな男の声。

 おばさんはそれに何と答えているのか。

 大荷物で家に侵入してきたテッチャンは、うんざりしたような様子で緩慢に居間へ移動していたが、部屋の隅の私に気が付くとぎょっとしたようだった。

 誰だよ、おまえ。

 声変わり前のかん高い声で、テッチャンが言う。

 そして私の答えを待たずくるりと振り返ると、あいつ、何? とおばさんに向かって怒鳴りつける。

 はああ?

 耳の遠いおばさんはしかし、テッチャンのあんなにも大きな声でさえうまく聞き取れなかったようだ。テッチャンが面倒そうに舌打ちをする。


 おばさんと私の穏やかな生活に土足で踏み込んできた闖入者は、その身にありあまるエネルギーを持て余しているように見えた。

 いつでも大暴れできる準備は整っているのに、おばさんの家では暴れ時というものが皆無だ。やり込めるべき同世代の子どもも、怒鳴り合って喧嘩できる親兄弟も、全力でじゃれあえる級友も、ここにはいない。

 ただ、横暴で無遠慮な熱波と、それを緩慢に混ぜっ返す扇風機のぬるい風だけがこの家の中のほとんどを占めている。

 必然、テッチャンの溜まりに溜まったエネルギーは私に向いた。


 と言っても、何をされるわけでもない。

 私からも何もしない。

 テッチャンはただ、ことあるごとに私を見てニヤニヤと嗤うだけだ。

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