ばかにしないで

東森 小判

ばかにしないで

 「ねえ、キスしない?」

 「は?」

 放課後の教室。皆帰路につくなり部活に行くなりで今ここには私と舞香の二人だけ。差し込む夕日が赤く教室を照らして、窓から入ってくる風は吹奏楽部の音と一緒に少しだけの涼しさを運んできてくれている。

 そんな中で机を挟んで昨日のアニメの感想とか芸能人のゴシップネタとかでおしゃべりをして盛り上がっていたはずの舞香がいきなり口を閉じて黙って私をじっと見つめたかと思うと、突然変なことを言い出した。

 いきなり何?何言ってんの?

 一瞬言葉の意味を理解できずに変な声が出たけど、舞香の意図することがわかると、今度は戸惑いしか感じない。

 キス?は?なんでいきなりキス?

 舞香は幼馴染で、家も近かったし家族同士も仲良し、お互いの家を行き来するのは当たり前すぎることで、お泊りとかお庭でバーベキューとかそういうのも日常茶飯事で、幼稚園から高校1年になった今まで奇跡的にずっと同じクラス。

 私は舞香のことを親友だと思っていたし、舞香だって私のことを親友だと思ってくれている、はず。

 そんな幼馴染の舞香からいきなりキスしない?なんて言われて戸惑わないわけがない。舞香と一緒にいて、こんなに戸惑わされたのは初めてだ。

 舞香のこと、好きか嫌いかで言えば好きだってことにはなる。でも、だからってキスは違う。

 はっきり言うと、舞香は私の恋愛対象ではない。

 友情は感じてる。嬉しいときは喜びを分かち合うことができるし、悲しいときだって半分にすることができる、そう思ってた。今回はちょっと、と思わないでもないけど。

 幼馴染だから家族愛に近いものは感じているけど、それは当然キスとかとは全然違うもので。高校の合格発表のときに二人共番号があるのを見つけて感極まってハグしたことはあるけど、それは嬉しさを共有したかったからで、それだけのことだ。

 だから、そんな恋愛対象外の舞香からいきなりキスしない?と言われたところで戸惑いはしても、じゃあキスしよう、とはならないわけで。

 「何バカなこと言ってんの?」

 呆れたような声で返す。当然だと思う。

 「じゃあ、葉月の隣に行くね。」

 何がじゃあ、なのかわからないし、私の呆れ返った視線をものともせず舞香はすくっと立ち上がるとガタガタと騒がしい音をたてながらわざわざ自分が座っていた椅子を私の横まで持ってくると、これまたガタンと音を立てて床に置く。それから何を考えているのかわからない笑顔を貼り付けた舞香が椅子に座る。

 座るだけならいいけど近すぎて肩がぶつかる。ちょっと距離感バグってるって。

 私はあんまり他人が自分の近くにいることを好まない。舞香はそのことを知ってるはずだし、いつもならさっきみたいに机を挟んで、とか、並んで歩くときも絶対に手とか肩が当たらないくらいにちょっとだけの距離を確保してくれていたはずなんだけど、今はその距離がないどころか肩が当たってるし。

 大体私が舞香だけではなく他人から距離を取るようになったのは、中学に入った頃、舞香の視線が気になったのと、舞香がやたらと私の体をベタベタと触るようになったからだ。いくら同性とはいえどジロジロと胸のあたりを見られたり、服の上からとはいえ脇腹とか太ももを撫でるように触られたりしたら不快以外の何物でもない。だから舞香の視線から逃げて、舞香の手が伸びてきたらすぐに逃げられる距離を置くようになった。

 しばらくしたら舞香も目を見て話すようになったし、体を触ってくるようなこともなくなったけど、一度できてしまった距離はそのまま習慣になってしまった。

 そんな舞香がいきなりその距離を乗り越えてきたから身構えてしまう。

 身構えて固くなった私に、舞香はお構いなしに腕を絡めてきた。半袖のブラウスから伸びる舞香の腕から気持ち悪い熱が私の右腕に伝ってくる。しかもわざとなのか偶然なのか舞香の腕は私の胸に当たって、しかもグリグリと押し当ててくる。

 「近すぎ。気持ち悪い。」

 はっきりと拒絶する。いままでこんな言葉を舞香に言ったことなんてなかったけど、躊躇うことなく言い放つ。

 「気持ち悪いって酷いな〜。葉月親友じゃん。これくらい親友なら普通だって。」

 舞香の腕から逃げようとしても舞香は離してくれない。むしろ余計に力を込められて逃げられなくなる。しかも私は窓側に座っているから逃げ場もない。

 「親友なんだしキスくらいいいじゃん。ねえ、キスしようよ〜。」

 わざとらしい、甘ったるい声。神経を逆撫でされるような甘えた声。

 こんな声、聞きたくない。

 「親友だからってキスなんかしないから。離して!」

 もう一度舞香の腕から逃げようとするけど思った以上に舞香の力が強くて逃げ出すことができない。それどころか舞香の右手が私の方に伸びてきたと思ったら私の耳の後ろに触れて撫でるように動く。

 ぞわぞわと鳥肌が立つ。

 「やめて!気持ち悪いって言ってるでしょ。」

 私は左手で舞香の腕を払う。耳の後ろからは離れたけどすぐにその手は私の頬に触れてくる。そして、舞香はそのままぐいっと私の顔を自分の方に寄せて、わざとらしい甘い声で囁いてきた。

 「私、葉月の事好きだから、ね?だからキス、しよ?」

 その言葉を聞いた瞬間、そういうことなのかと何もかもが腑に落ちて、頬を押さえている舞香の手を叩き付けて振り払って、腕をメチャクチャに振り回して『離して!』と何度も叫びながら立ち上がって、ようやく舞香の腕から逃げ出した。

 いつも以上に距離を取って舞香を睨みつける。

 「私のこと好きでもなんでもないくせに巫山戯ないで!」

 睨みつけられている舞香がゆっくりと椅子から立ち上がる。私をじっと見つめる目は何を考えているのかわからない、気持ち悪い笑顔。いや、多分下衆なことを考えてるんだろう。その証拠に舞香の視線の先は私の目じゃない。もっと下の方。

 「葉月のこと、好きだよ。アイシテル。親友以上だって思ってる。」

 甘ったるい声で甘ったるい言葉を私の目じゃなく私の胸を見ながら口にする舞香にイライラさせられる。

 しかもその言葉が嘘だってわかっているから余計に私を苛つかせる。

 「嘘つかないで。舞香は石橋と付き合ってたんでしょ!」

 舞香の顔に張り付いていた気持ち悪い笑顔が剥がれる。表情のない虚ろな目が私の胸からようやく私の目を見る。

 噂で舞香が石橋に捨てられたって知ったのは先週の週末。付き合ってたったの1ヶ月も経たずに捨てられた。

 石橋がそんな奴だって舞香だって知っていたはずだ。だから舞香が石橋と付き合ってるって噂を知ったときには驚いた。浮かれまくってる舞香に水を差すようなことは言いたくなかったし、そもそも舞香は石橋に入り浸りになってたから何も言えなかったと言ったほうが正しいんだけど。

 「石橋の噂、舞香だって知ってたんでしょ?噂だけじゃなくて深山が泣いてるのだって見たでしょ?それなのになんで石橋なんかと付き合ったの。」

 舞香の虚ろな目が何かを言ってるようだけど、私にはもうわからない。わかりたくない。

 「もしかして自分だけはそうならないなんて思ってたの?」

 「当たり前じゃない!」

 突然の大声。溜め込んでた何かを吐き出すような声。

 「好きだと言って好きだと言われて、それですぐに捨てられるとか考えるわけ無いでしょ!幸せだったのにいきなり捨てられたのよ。ねえ、親友なら私のこと慰めてよ。キスくらいしてくれてもいいじゃない、ねえ、葉月。」

 どんどんと小さくなっていく舞香の声。そして最後に独り言のように『慰めてよ』とつぶやいて俯いた。

 捨てられて悲しいのはわかるし、親友だったら慰めるんだろうなとも思う。でも、今の舞香を見ても私にはそういう風に思えない。

 「どうして石橋なんか好きになったの?」

 俯いた舞香の肩が揺れる。ぽとりと透明のしずくが落ちる。

 綺麗な涙だったらいいのにね。

 「そういえば石橋って顔良かったよね。舞香の好みの顔だよね。女の子のことしか好きになれない舞香の。そうそう、顔だけじゃなくてスタイルもいいよね。胸なんか私と違って大きくて。舞香好きでしょ?大きな胸。そんな外見だけで石橋のこと好きになっちゃったんだ?」

 顔を上げた舞香が涙に塗れた目で、私のことを今まで見せたことのない目で見ている。

 「葉月、、、」

 驚いてる?そうだよね、私が舞香にこんなこと言うと思ってなかったんでしょ。

 中学に入った頃のあのとき、舞香の視線はしばらくすると私から別の誰かに移って、そして私と舞香の間には距離ができた。だから幼馴染と言う名前の惰性で親友っぽく接するができた。

 でも、それだけ。

 惰性は惰性であって、そこに何か変化がなければ止まってしまう。当たり前のことだ。

 舞香は何も変わらなかった。変えようともしなかった。私のことを幼馴染の親友だと思い込んで、その立場に胡座をかいて甘えたまま。

 惰性の行き着いた先がこれ。

 笑えない。

 だから、もういい。

 「そういえば噂によると石橋ってセックスが上手いらしいね。」

 話の風向きが変わったのを感じたのか、舞香が眉を顰める。気が付かなかったらただの鈍感、いや愚鈍だ。

 私はわざとらしく手をパンと叩いて、わざとらしい声で、舞香を傷つけるだけの言葉を吐き出す。

 「あ、わかった。舞香、石橋とセックスしたかっただけでしょ?」

 私の言葉を聞いた舞香がいきなり私の頬をぶった。薄汚い涙をたたえた目は怒りに満ちているのがはっきりとわかる。

 そう、怒りなさいよ。私が舞香のこと傷つけないとでも思ってたの?

 「図星?」

 じんじんと痛む左頬をさすりながら、私も舞香を睨みつける。

 「いくら舞香でもそんなこと言うなんて許さない。」

 私をぶった舞香の手が怒りに震えている。低い声で私を睨みつけてくる。

 「別に、もう舞香に許してほしいとか思わないから。」

 舞香が目を大きく開く。私が舞香を突き放すような言葉を吐き出すのが信じられない?そうだったらやっぱり舞香は愚鈍だ。

 それに私はもっと酷いことだって言える。

 「ねえ舞香、石橋とのセックス、気持ちよかった?」

 もう一度ぶってきそうな舞香の手を躱す。そして私は思いっきり舞香をぶった。舞香はよろけて床に崩れた。

 「気持ちよかったんでしょ?石橋とのセックス。それで、セックスがしたくて、したくてしたくてたまらなくて、でも石橋には捨てられたから、とりあえず誰でもいいから、近くにいる好きでもない私でいいやって。だから私とキスしたいとか言い出したんでしょ?ねえ舞香、違う?」

 ぶたれた頬を押さえて舞香が私を睨みつける。でも睨みつけるだけ。

 「言い返さない、って言うよりも言い返せないかな?図星だから。」

 私を欲望のはけ口にしようとしたことへの怒りとか、親友だと胡座をかいてそこから変わろうともしなかったことに対する失望とか、幼馴染がセックスに溺れていたことに対する悲しみとか、もうそんなものも感じない。

 感じるのは舞香への憐れみ。その感情を瞳に乗せて舞香をただ見る。

 「ねえ、舞香」

 もう、おしまい。

 「ばかにしないで。」

 私はもう舞香のことを目に入れることもなく自分のカバンを手にするとそのままドアへと歩いていく。私の背中に舞香の言葉はない。

 開いていたドアから廊下に出て、大きな音を立てるように乱暴にドアを締めた。

 「葉月!」

 舞香の声が漏れてきた。何度も私の名前を呼んでいる。私は振り向かずに歩いていく。

 廊下の角を曲がると私の名前を呼ぶ声も聞こえなくなった。

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