第12話


 あのあと、どうにか深月をなだめすかし、身体を離すことには成功した。ケーキを食べて、少し冷めてしまった紅茶もしっかり飲んだ。その間、三人掛けのソファーなのに、ずっとべったりだったけど!

 ⋯⋯よく頑張った、わたしの心臓よ。なんとか爆発に耐え抜いた!


 本当にどうしたんだろ? いつも冷静な深月が、いきなりあんな甘えん坊になるなんて。誕生日にテンションがあがった? それとも、うさぎを抱きしめて甘えたい気分にでもなったとか? 

 どこにスイッチがあったのかわからない。



  

 急に振り切れた深月のテンションも、一晩経てば落ち着いてるだろう。わたしは、いつも通り教室の扉を開け、いつも通りに朝の挨拶して、教室の入口近くに座る麻里と挨拶を交わす。


「朱莉おはよー」

「おはよう、麻里」

「今日帰りどっか行かない? 部活ないんだ」

「いいよ、どこ行く?」

 こうして、いつも通りの毎日が今日も始ま⋯⋯らなかった。


 突如、自分の席にいた深月から挨拶をされる。

 いつもはわたしが席について、わたしから声をかけているのに。

 深月から先に挨拶をしてきたの初めてじゃない?

 いやいや、挨拶する事はいいことだ。問題はそこじゃない。


「――朱莉、おはよう」 

 深月は、目が眩む程の、でわたしに挨拶をしてくれた。

 

 普段笑わない深月の笑顔の破壊力は凄まじく、教室が一瞬水を打ったように静まり返る。直後、どよめきが教室中を包み込んだ。

 

 わたしはというと、間抜けにも口をポカーンと開け、肩にかけていたバッグをずり落としていた。

 一晩で落ち着くどころか、パワーアップしちゃったんだけど。


 深月が、麻里と話していたわたしの元に寄ってくる。嬉しそうな犬の幻が見えたのは、きっとわたしだけではないだろう。


「朱莉? おはようってば」

 反応のないわたしを怪訝そうに見ながら、そっとわたしの手を握ってくる。

「えっ、あぁ、ごめん、おはよう」

「うん」

 わたしの返事に満足そうに頷く深月。笑顔だ。

 深月の表情筋が仕事をしてる。


「長谷川さん、おはよー」

 そばにいた麻里が深月に挨拶をする。 

「おはよう渡辺さん」途端、無表情。

 鮮やかすぎる表情の変わりように、思わず目を剥いてしまった。

 

 えっ!? 表情筋、仕事辞めた!?


「みっ、深月?」

「なに?」そして、笑顔。

 切り替えの早さが職人芸のようだ。

 

 なるほど。深月の表情筋は、頻繁に休憩を挟んで働くタイプなのね。⋯⋯えっ? どういうこと?


 それはそうと⋯⋯。 

「そろそろ手、離してほしいかなぁ?」

「やだ」

「また、やだなのっ!?」

「朱莉にさわっちゃだめなの?」

 うぐぅ⋯⋯。またその上目遣い、するじゃん⋯⋯。

「だめ⋯⋯じゃ、ない⋯⋯デス」

 既にわたしの心臓は主張をはじめていて、カタコトになってしまう。深月に握られた手が熱を持つ。


 一連の流れを見守っていた麻里が、床に転がったままのバッグ拾ってくれる。その顔はニヤニヤしていて、わたしは思わず顔をしかめてしまう。

 

「なるほど、嫁限定の笑顔か」

「いや、嫁じゃないから」

「結婚式いつ?」

「⋯⋯⋯⋯来月くらい、かな」

 深月は話を聞いているんだかいないんだか、わたしの隣でにこにこしていた。



 深月の好感度メーターが突如振り切れた。そして今も振り切れたままらしい。

 ⋯⋯あっ、ちょっと、腕絡ませないで!? 心臓が爆発しちゃうから!!

 どこに深月のスイッチがあったのか、誰かわたしに教えてください!!




[第1章 完]

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