19,欲しい物



「はあ……」

「二人きりになった途端にため息は止めろ、ダミアン」

「お前なあ、あれはまずいぞ」


 執務室の奥にある机の上で、細かくしたためられた文字を流し読みする。それが終わると慣れた手つきで自分の名前を書き、時折不可解な文章に頭を痛ませる。


 そんな俺の前で、ダミアンが顔を顰めていた。

 

「何がだ?」

「あのペルラって女だよ。

 領主の隣の部屋は、本来奥方が使うものだろ。そんな大切な部屋に寝かせて、サラ嬢の怒りを買ったらどうするつもりだよ」

「領主として保護した民を手厚くケアしているだけだ。深い意味はない」

「お前に深い意味は無くても、サラ嬢にとってみれば大問題だぞ」


 書類に暗い影が落ちる。

 見なくてもわかる、ダミアンが身を乗り出したのだろう。


 軽く地面を蹴り、椅子を後ろに引いた。


「ローレン領は、ノーブルグラース領が所有していない莫大な林業が盛んだ。

 お前とサラ嬢が結婚することで、この町の人間の生活はより豊かになる」

「わかりきっていることだ」

「俺はお前がこの街のためにどれだけ我慢してきたかを知っている。だからこそ、それを無駄にはしたくない」

「ダミアンにはいつも心配をかけて申し訳ないと思っている」

「おいこら、俺の目を見て言え、目を!」


 ダミアンとは幼少期からの付き合いだ。過去の俺の事を知っているし、どれだけこの立場に悩まされてきたかも勿論知っている。

 だからこそ今一度うるさく口を出してくるのだろう。


 しかし仕事中は勘弁してくれ。


「あの嬢ちゃん、海で拾ったんだよな?」

「ああ、厳しい父親に言われて漁をしていたらしい。まるでおとぎ話の人魚姫とマッチ売りの少女のチャンポンだな」

「俺的には是非マッチ売りの少女であって欲しいな」


 羽ペンを動かす手が止まった。


「おっと、そんな怖い顔をするなよ。もしあの嬢ちゃんがマッチ売りの少女なら、最終的には死なないようお前が面倒を見てやればいいだけだ。

 けど人魚姫はどうだ? 自分の欲の為、色んなものを犠牲にして巧妙に王子へ近づいてくる。挙句の果てには愛する王子を手にかけようとすらするんだぜ?

 ま、最後は海の泡になるってオチだったか。


 ……いいか、セレン」


 ダミアンが何を言いたいのかくらい、わかっている。

 羽ペンを置くと、静かに頭上を見上げた。


「お前は王子じゃない、このノーブルグラース領の領主だ。なんのためにここまで頑張ってきたか、忘れるなよ」

「わかっている」


 ダミアンの視線を跳ね返すよう、目を細めた。


 全ての目的を、自分の役目を、後悔を。

 忘れた日など一度たりとも無いのだ。


「ペルラは人魚姫なんかじゃない、俺も王子ではないし、これはおとぎ話でもない」

「……ま、これで嬢ちゃんが喋れなかったらいよいよ疑っていたけどな。これ以上俺は口出ししないぜ。

 それで、何の書類を読んでんだよ 」

「つい先日コーラリウム国と貿易を行なっただろう。その報告だ 」

「おっ! 海底の国か!」


 先ほどまで暗く光っていた瞳が、急に明るい光を取り戻す。

 こういうところは単純なんだがな……。


 ダミアンにも見えるよう、書類をひっくり返してやる。


「地上の物はどれも珍しく、コーラリウム国の民はどの品にも強く興味を示していた。特に海にはない食べ物はどれも絶妙に尽くし難く、王族も満足げだったという報告だ」

「へえ! よかったじゃねェか!」


 過去にも数回ではあるが、コーラリウム国と貿易を交わしたことがある。

 しかし海の掟と陸の掟はあまりにも違いが大きく、何度か交渉が決裂したという記録も残っている。


 今回の貿易は随分久しぶりに成功した例と言えるだろう、次回は数か月後だが、それまでに向こうが満足のいくような条件を用意せねばならない。


「コーラリウム国の大王っていうのは、かなり気難しいんだろ? よくわかんねーけど、このまま交流を続けていればこの世界で初めて人魚たちと公約を交わせるかもな!」

「それができたら一番だが、まだ時間はかかる 」

「そうかァ? つっても、交流を持ちかけて数年経つんじゃないのか?」

「あの国の内側を踏み込むには、まだまだ材料が足りない」


 ダミアンが淹れた紅茶のカップに指をかけた。

 これはサラの故郷から輸入した紅茶、だったか。鼻腔をくすぐる香料は、何処か人工的なものを感じる。


「人間は人魚を、人魚は人間を恐れている」

「ああ……まあ、そうだよな……」


 そう、それこそが最大の問題だ。


 人は自分と違う形の種族を受け入れ難く、恐怖の対象として見てしまう。

 防衛本能の一種、といえば諦めがつく者が殆どだろう。

 

 だが、もうその考えは捨てるべきなのだ。


「人魚の歌声を一度聞くと魅了されて虜になり、魂を持って行かれる。

 時としてその声は呪いとなり、体を蝕む。だったか?」

「お手本のような回答だな、ダミアン」

「ガキの頃からどれだけ刷り込まれたことか。

 けど最近ではその教えもだんだん薄くなってきているらしいけどな」

「学校で人魚に対する教育方針を変えるように、俺が変えてきたからな」

「お前か」


 そうは言ったものの、ダミアンに刷り込まれた教えを心に生きている人間はこのノーブルグラース領に山のようにいる。

 今後コーラリウム国のと貿易を繰り返すにあたって、その印象を変えていたねばならないのが課題の一つでもある。


「過去に人間と人魚の間で問題に発展した事例がいくつもある。

 手を取り合える現実が見えてきた今が大切な時期だ。慎重に事を進めなくてはな」


 かつて俺の先祖達も幾度となくコーラリウム国との接触を試みた。

 しかしそのたびに人間は好奇心と恐怖で人魚を卑下し、好奇心の目で見てきたのだ。そしてお互い最後の一歩を踏み出すことが出来ず、付かず離れずの距離を保ってきた。

 人間同士とて分かり合うのに時間を要する。しかし人類と人魚とではもっと沢山の時間をかけなければいけないのだ。

 

「人魚っていうのは人間と違っていろんな伝説があるからな。

 恐れもあるだろうが、人が触れてはならない神々しさっていうのもあるし」

「以外だな、ダミアンは肯定派か」

「別に肯定も否定もしねェよ。ただ俺は平和主義なだけだ。

 でも一度は聞いてみたいけどな、人魚の歌声ってやつ」

「毎晩浜辺に行ってみろ。もしかすると聞けるかもしれないぞ」

「……魅了されたら勝てる気しねェわ」


  頭の後ろで手を組んだダミアンが、シャンデリアを見上げた。


「けどコーラリウム国との貿易が本格的に行われたら、セレンが結婚しなくともノーブルグラース領は豊かになるだろうな。

 この間送られてきたサンゴや真珠なんかは俺が見ても一発で質の良い物だってわかったぜ、なんならあのルネスが目をひん剥いていたくらいだ」

「それだけじゃない。コーラリウム国の保有する海域の海鮮類は探しても中々手に入らないだろう。宝石を含めて、この世界の何処を探してもあんな宝の山はお目にはかかれないだろうな」


 今でも目に浮かぶのは、綺麗に詰まれた目映いばかりの貿易品。

 もちろん良い品を手に入れるのも目的の一つだったが、本当の目的は担当の人魚との交流でもあった。


 是非この屋敷で食事を、を書簡を送ったが返事は惨敗。


 結局次の貿易の予定を漕ぎ着けたところで、手を引くという形になってしまった。


「もしコーラリウム国ともっと親交があれば、今頃向こうの姫から結婚を迫られていたかもな!」

「ははは……それこそまるでおとぎ話だ」


 あり得もしないもしも話はここまでだ。


 羽根ペンをインクボトルに付けると、たいして重要でも無い書類に名前を書き付けた。


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