歌えぬ人魚姫の籠絡劇
石岡 玉煌
01,おはよう、懐かしき夢
夢を見た。
とても懐かしくて楽しくて、悲しい夢だ。
絶対に手の届かない、天空に在します太陽に焦がれていた幼いあの頃。
私はいつも海の底から、天を仰いでいた。
夢の中で小さな尾鰭を動かし、冷たく寂しい海の中から自信を上に押し上げる。
「(もう少しで海面に上がれるわ……‼)」
早く、早く。
暗い夜の帳に隠れて、待ち焦がれた〝約束〟の場所へ。
近付いてきた海面に手を伸ばした。
「(ああ、やっとだわ……)」
幸福にも似た安心感が、幼い自分を包む。
そして光に包まれた――。
******
「…………んあ、」
次に視界に入ったのは、見慣れたシェルの天井。
巨大な貝殻の中で、微睡む。
私ことペルラ・メレ・コーラリウムは、海の王国、コーラリウム国の人魚姫だ。
下半身を覆う鱗は、どんな微かな光でも輝き、どんな魚よりも早く泳げる尾鰭を持つ。
時として祝福を授ける歌を歌い時として罰を与えるための呪いを吐く、天から素晴らしい才能を与えられた種族である。
また張り付きそうな重い瞼を擦った。
その指は白魚のように白く、傷一つない。
「……起きたくないぃ~……‼」
魂の叫びだ。
なんだってこんな寝床地のいいベッドから離れなきゃいけないの? 無慈悲だわ。
なんて思っている間にも、刻一刻と時間は迫ってくる。
寝癖を整えるため、鏡を手繰り寄せると中からアメジストの瞳がこちらを見返してきた。
「(……今日も代り映えのしない一日の始まりね。ま、私はそれが一番なんだけれど)」
鏡を放り出して、大きく伸びるとコーラルピンクの長い髪が海水を漂った。
随分と今日は睡眠に時間を割いたようだ、おかげで節々がバキバキである。
乳母のバードット夫人に見られたら「姫様‼ はしたのうございます‼」と、目覚めの音楽の代わりに甲高く悲鳴を上げるだろう。
鬼のいない間になんとやら、だ。
「久しぶりにあの夢を見たわ。この絵本を読んだから、かしら」
枕元に置いてあるのは、〝人魚姫〟。
どこにでもある世界的な童話だ。
何気なくページを開いてみる。
人魚姫を題材としたお伽噺は、この世に五万と有り触れている。
少しアレンジを加えた話も、最近では沢山出回っているとか。
けれども一番メジャーな話は非常に悲しい結末の話だろう。
海に住む人魚姫が恋に落ちたのは、陸の王子様。
ある日王子様の乗った船が難破し、溺れてしまう。そこで人魚姫は王子様を助け出して陸に運び、介抱するのだ。
もっと近くにいたいと望んだ人魚姫は自身の声と引き換えに、王子様と結婚しなければ海の泡になってしまうという条件付きで魔女から薬を貰い、人間の足を手に入れた。危険を冒し陸に王子様へ会いに行ったのに、彼が愛したのは別の女性。
そんな人魚姫を助けようとしたのは、彼女の姉達だった。
妹の命を救おうとその美しい髪と引き換えに魔女から短剣を譲り受けたのだ。
それで王子を刺せば命は助かると。
しかし王子を愛する人魚姫は命を奪うことが出来ず、自分が海の泡になってしまったという悲しいお話だ。
「(正直、読み過ぎて可哀想っていう感情すらわかなくなってきたのよね)」
そもそも外の世界なんかに行かなければいいのだ。
そうすば声も姉たちの美しい髪も、命だって失わない。
恋恋い焦がれる苦しさや憧れなんて自分を苦しめるだけ。何の感情も抱かずこの心地よい海底で我が身を慈しめばいいのだ。
そう、何事も結局は平和が一番なのである。
絵本を閉じ、元にあった場所へ本を立てかけた。
残念ながらこれから用事があるため、ゆっくりと読んでる時間が無い。
普段なら起きるまであと数刻。今頃惰眠を貪り、いくつか目の夢を渡り歩いている時間だ。そしてやっと頭が冴えてきた頃にノロノロを朝食兼、昼食。
そこから家庭教師の人魚によるお勉強タイム。
そのルーティンが終わると解放され、瞬時に自室へ籠もって巷で流行っているという本を読む漁るのだ。
……え? 街に出ないのか? それは無い。
そう、だって私は引き籠もりなのだから。
今日だって〝ある言いつけ〟が無かったら、絶対に起きなかった。
揺蕩う長い髪を後ろに追いやり、重たい体を起こして貝殻から抜け出した。
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