第6話 朝から論争


 小鳥が囀る音がする。既に時刻は5時45分。日が登り、空は白み始めていた。横目にサイドテーブルのデジタル時計を見る度にため息が漏れた。前に見た時は4時40分、その前が3時20分だ。つまりは一切の睡眠が取れずに朝を迎えたというわけだ。彼女の言葉を考えていたら、気づいたら朝だ。


 本来なら6時30分には起床し朝の準備と朝食を済ませるところだが、このままベッドに横たわっていてもしょうがないと覚悟を決めてベッドから起きる。


 若干の足元のふらつきを覚えつつも、階段を下っていく。キッチンの方からは普段から早起きの母が料理をする音がする。


「おはよー。」


 と後ろからの気配に気づいた母はノールックで挨拶を交わす。


「おはよう。」


 とやる気なく返事しては、ダンボールで箱買いしている缶コーヒーをひとつ手に取り、眠気覚ましにとグイッと飲み干す。


「あら、あなたも孝太郎さんみたいな事するのね。一緒に生活してると習慣までうつるのかしらね。」


 とやたら視野の広い母は和やかな様子でキッチンで手作りの卵焼きを包丁で切っては手際良く弁当箱に詰めていく。


「んーん。なんか眠れなくなっちゃって。徹夜明けだから気合い入れようと思って。」

「あら、夜更かしはダメよ。孝太郎さんなんて趣味のプラモを徹夜で作っては、疲労で職場で倒れては救急車で運ばれたことあるんだから。あの時は大変だったわー。ほんと心筋梗塞か脳梗塞か!って疑われてね。ほんと心臓に悪かった。って夢をそろそろ起こしてくれる?あの子2回は起こさないと起きない子でしょ?ついでに孝太郎さんも起きてるか確認してきて。」

「うん。りょうかーい。」


 片手返事で、飲み終えた缶を資源ゴミの袋に入れると、妹の夢の部屋と父である孝太郎さんの部屋を見て周る。


「おーい。夢。起きてるか?」

「ふふふ。夢は夢だけに、夢の中。ってね。」

「面白くないぞ。そのジョーク。」

「ふふふ。お兄ちゃん。ジョークってのはね。ジワジワと来るものなのよ。」


 布団を被ったまま寒いジョークを飛ばす小学生ほど面白くないものはない。


「りょーかい。あーおもしろー。早く起きないと遅刻するからなー」

「うわー。年下相手に気を使えない高校生いややわー。お兄ちゃん反抗期になろっかな。」


 お兄ちゃん反抗期?なんじゃそりゃ。と心の中で突っ込みを入れつつ、ニヤついた目を布団から出していた妹に冷たい視線を投げてから扉を閉めて次に向かう。


「孝太郎さん。起きてますか?」


 孝太郎さんの部屋を覗くと、これは意外と言うのは大人に失礼なのだけども、きちんと起きては仏壇に手を合わせている。孝太郎さんの部屋は一階の和室で、母の部屋と襖で仕切られているだけのつくりになっており、孝太郎さん側には父の仏壇が置かれている。


「おお、咲空。おはよう。今ね、彰人さんにお願いしてたところ。今日も華さん、咲空、夢が元気に幸せにいられるように見守ってください。ってね。咲空もお願いしてく?」

「ああ‥うん。」

「じゃあここ座って。」


 言われるがままに継父の隣に座ってりんを鳴らす。長く細く響く音の中で、父を思い、心を落ち着ける。大丈夫。生きていた頃の優しい父を思い浮かべる度に優しい気持ちになれる。


「よし。じゃあご飯食べようか!今日も楽しみだなー!」


 そう言ってるんるんでリビングに向かう孝太郎さんはお世辞にも痩せてるとは言い難い。ふっくりとした見た目に黒縁眼鏡がトレードマークなのだが、結婚した当初は幸せ太りだ。って言い張っていたけど、3年も幸せ太りし続けてたらいつかほんとに脳梗塞か心筋梗塞になりそうで心配だ。


 リビングに行くと既に朝食の用意がなされており、目玉焼き、ウィンナー、ご飯、卵焼き、味噌汁の我が家の大抵のモーニングセットだ。


「うわわ!今日も美味しそう!」


 と子供のように目を光らせて席に着く孝太郎さんを待ち構えていたのは夢だ。


「あ!お父さん今日もあれやって〜!」

「お!良いぞーほら!」


 と言って床に寝そべった孝太郎さんは夢をふくよかなお腹に乗せて少女はこう言うのだ。


「ねぇ!あなた名前は?」

「ととろーー!!」

「あなたトトロって言うのね!」

「ゆめー!」

「まあ嬉しい。トトロ今日もお仕事頑張ってね!」

「ありがとー!」

 

 とまあ謎のジブリコントが夢の中で流行りらしく、娘の機嫌を取ろうと、いや割とノリノリでトトロを演じてらっしゃるのだ。


「まあ孝太郎さん。朝からそんな事してたらご飯冷めちゃうわよ。」

「あ!はい!華さん!ほら!夢ちゃんもご飯食べよ!」

「はーい。」


「頂きます!」


 手を合わせてご飯を食べる。しかも家はみんな揃って食べるのが普通だ。とふと考えると普通とはなんだ?の疑問がまた出てきてしまう。白米を一口食べたところで、箸が止まり、


「普通ってなんだろう。」


 と朝から重めの話題を口走ってしまう。するとキョトンとした目で母がこちらを見てるかと思えば、孝太郎さんはしたり顔で醤油差しを突き出してくる。


「咲空。目玉焼きに何かけるか論争の話だね?」

「え?」

「いや、そんなに悩む事はないさ。自分もそのくらいの年頃は目玉焼きに醤油をかけるか、ソースをかけるか、悩んだものさ。でもね。日本人なら醤油。自分はそう言う結論に36歳の時にたどり着いたよ。」

「あら!孝太郎さん醤油派だったの!ソースかけたりもしてるからてっきりソース派かと。」

「いや、華さん。ソースも美味しい。だけど、醤油が結局一番なんだよ。」

「あら、私は断然ソース派だなー。甘味もあって美味しいし。」

「なぬ!し、しかし醤油も美味しいですよ‥」

 

 と母の主張に若干トーンダウンした孝太郎さんだったが、そこからまさかに伏兵が現れる。


「お兄ちゃん。目玉焼きには塩だよ。」

 

 博多の塩を入れた小瓶を片手にニヤつく小学生ほど気持ちの悪いものはない。


「えええ!それって天ぷらに塩つける人と同じ感覚か!!夢ちゃんってもしくは美食家!!」

「ふふふ。お父さん。これからは海原夢って呼んでもいいんだぜ?」

「おおお!美食倶楽部!!朝からこんなところで美食家と遭遇出来るなんてなんたる奇跡!」


 誰だよ海原夢って。美味しんぼ世代と違うだろ!って突っ込みたくなるのを自制し、普通にソースをかけて目玉焼きを食べる。


「あら。咲空はやっぱりソース派なのねー。お母さんと一緒。」

「ふふふ。お兄ちゃんはまだまだだね。素材の味を知ってこその塩。まだその段階には達していないようだね。」

「ふむふむ。よーし。自分も塩で食べてみーよお!」

「ちょいまちお父さん。お父さんは塩分控えた方がいい。これ以上太ったらメタボ。」


 とグサリと刺された孝太郎さんは涙目で塩の小瓶をテーブルにおく。


「あ、孝太郎さん?この前の健康診断の結果来た?」

「え!えっと‥どうだったかなぁ。なんかそれなりに?良い結果だったとおもうなぁ。でもなんで?」

「孝太郎さん。最近太った。という事実がある事をお忘れですか?」

 

 母からの容赦ない言葉に冷や汗をダラダラと流す孝太郎さんはさながらサウナ状態だ。


「いやだなぁ。華さん。太ったってほんのちょっぴし。ほんの5キロばかしだよ?全然太ったうちに入らないよ。」


 その言葉にパシン!と箸を置く母。その眼光は鋭く、孝太郎さんは蛇に睨まれた鼠の如く小さく見える。


「孝太郎さん。しばらくは醤油も、ソースも、マヨネーズも禁止です!後ウォーキング30分、腹筋50回も毎日やること!良いですね?」

「は、はい‥。」


 こんなやり取りを見てるとさっきまでの悩みを忘れてしまう。とりあえず分かったことと言えば、目玉焼きには色んな食べ方があるという事だけだ。

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