第13話 藤原北家の女隠密・赤染衛門
午後の一時、藤原道長は鴨川の畔を歩いていた。
彼がいるのは平安京の外側のため、人の姿はまばらだ。
とある柳の木の下まで来た時、道長は柳に背を向け川に向かって「う~ん」と言いながら大きく伸びをした。
「道長様。この度は何の御用で」
どこからか小さな声が道長の耳に入る。
良く見ると、柳の木の影に一人の女が立っていた。
頭から大きな頭巾をかぶり、顔を隠している。
木に寄りかかり川には背を向けている形のため、道長の方は向いていない。
そして道長も、その声の方を振り返りはしない。
最初から、ここに女がいる事は分かっていたようだ。
川沿いの小道を挟み、二人は5メートルほど離れて互いに背を向けて話し始めた。
「帝の命により、清少納言と紫式部が宋に渡る事は知っているな?」
「はい」
「それに合わせて、おまえも宋に行ってもらいたい」
しばらく女が沈黙する。
「質問してもよろしいでしょうか?」
「言ってみろ」
「なにゆえ私が一緒に行く事になるのでしょうか?」
「一緒に行く訳ではない。おまえにはあの二人と私との連絡係になって欲しいのだ」
「連絡係?」
「そうだ。二人とも頭は切れるし荒事に対する対処能力もある。だがいかんせん、あの二人は仲が悪すぎる。もしかしたらトンデモナイ事を引き起こすかもしれない」
「そのために帝は、和泉式部を同行させる事にしたのではないですか?」
「よく知っているな。だが彼女まだ十歳の少女だ。あの二人を押さえる事など到底無理だろう」
「それで私を影ながら見張りに付けると?」
「それだけではおまえを行かせたりはしない。これはもっと重要な事だが、宋および周辺国の情勢について探って欲しいのだ」
頭巾の女が微かに頷いた。
「なるほど……諸国の特産品、経済状況、船による航路、そして王と貴族・有力者の情報を集めるのですね」
「理解が早いな。その通りだ。我が藤原家が現在行っている宋との私貿易を、これを機会に広げるのだ。荘園の経営より貿易の方がよほど儲かるからな」
遣唐使は廃止されたが、有力者による私貿易はある程度は行われていた。
これより後の話になるが、平清盛は宋との私貿易で膨大な財産を築いたと言われている。
「宋の情勢を探るのは勿論の事、その南の
「分かりました。して出立はいつ頃に?」
「おそらく来月頭には都を出るだろう。おまえは先に博多津に飛んでくれ。くれぐれも他の貴族に気づかれぬようにな。源氏はもちろん、橘氏や菅原氏にもだ。菅原氏は道真公が大宰府に行っていた事もあり、北九州にはそれなり情報網を持っている」
「委細承知いたしました。ではこれにて失礼いたします」
女は木の影から、まるで煙でもあるかのように姿を消した。
彼女の名は
紫式部や清少納言と同じく、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人だ。
だがその正体は、都においては他貴族の動向を、地方においては地方豪族や台頭する武家の状況を密かに調べる、藤原北家専属の隠密であった。
彼女の冷静沈着で抜群の知性は、情報を収集しそれを分析する事に非常に長けていた。
そして『歌と詠む』という彼女の表の顔は、隠密に非常に便利だ。
都においては上流貴族の間に入り込みやすいし、地方においても何かを調べるのに怪しまれる事はない。
「よい所を探して、歌を詠んでいました」と言えばいいだけだ。
また彼女はどこにでも溶け込みやすい、平凡な容姿をしていた。
紫式部や清少納言のように、人を引き付けるようなルックスではない。
貴族の服を着れば貴族の女に見えるし、野良姿をすればどこにでもいる平凡な農婦だ。
彼女は道長にとって秘策の一つと言えるだろう。
一人になった道長は顔を静かに上げた。
「すでにどの貴族も貿易の有効性に気づきつつある。宋だけではなく他の国々の情報をいち早く知る事こそ、さらなる藤原北家の発展に繋がるのだ」
その顔は野望に燃えていた。
●ちょっと説明
※1,大理:現在の中国雲南省にあった国。
※2,大越:ほぼ現在のベトナムにあった国。
※3,西夏:現在の中国西北部(寧夏回族自治区)にあった国。ちなみに回族はイスラム教徒の一族。
※4,遼:宋の北側にあった国(現在の内モンゴル自治区から北京・天津、遼東半島が領土)。遊牧民族の契丹人が支配していた。
※5,鴨川は南側では平安京に接していますが、北側では少し離れた所を流れていたそうです。
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今回のウソ設定
※1、赤染衛門が道長のスパイとか、めちゃめちゃウソです。ただの設定です。
「松尾芭蕉が幕府の隠密だった。俳句を詠むための旅と言うので怪しまれなかった」という話からヒントを得ただけです。
>>作者から
すみません、書き溜めが底を尽きました。
この話は超ウソだらけで空想のみで書いているのですが、それでもある程度は調べる事必要があるため、どうしても執筆スピードは遅くなります。
(実はこの話は去年の12月のカクコン8に出す予定だったのです。でも執筆が進まないのと、他に作業があったため公開が今になりました)
この後は不定期更新になります。
ここまで読んで頂けた方、すみませんがお待ちいただきたいと思います。
(良かったら星貰えると嬉しいです。意欲がUPするし・・・)
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