第6話 女の目的
馴染みの居酒屋に、一度ならずも二度までも、記者が自分を訪ねてやってくるというのは、もうただの偶然ではないだろう。何かの目的があってのことだとは思うが、前の門松記者も、何かを探ろうとしているのか、結局、実際の目的も分からずじまいだったのは、心のどこかで、
「別に何かを探ろうという意識はなかったのではないか?」
と思っていたからだろう。
だが、もしそうだとするならば、余計にそれを証明しようとすら考えるかも知れない。それをしないということは、本当に心のどこかで思っていたことというのは、ただの錯覚ではなかったかとも考えられる。
だが、今回の初村つかさという女性記者がやってきたのは、明らかに何かの目的があってのことだろう。門松記者のように曖昧ではないだけに、却って身構えることができるという意味では、気が楽なのかも知れない。何しろ、今日が初対面であり、さっきの記者会見の場面で最後の質問者だったというだけでも、偶然としてはありえないだろう。まるでストーカーのように後ろをつけられていたのではないかと思うと気持ち悪く感じた。
ただ、これは門松記者にも同じことが言えるだけで、初村つかさだけが特別ではないのに、特別だと思いたいのは、自分が初村つかさを意識している証拠と言ってもいいのではないだろうか。
初村つかさという女性は、我々の研究をどこまで把握しているのだろうか? 質問内容はそれなりに的を得ていたものだと思う。少なくともある程度まで勉強してきたのは間違いないだろう。
川村教授の著書もちゃんと読んできたのかも知れない。だが、専門書に近い著書なので、一般の雑誌記者では理解できるとは到底思えない。それを思うと、川村の話を訊きながら、基礎知識を、先輩記者にでもあらかじめ聞いていたくらいであろう。その基礎知識に今日の教授の話を組み合わせてあれだけの質問ができるのだから、
「ひょっとすると、彼女の頭は、科学者向きなのかも知れない」
と思えるほどであった。
その証拠に、あれだけ記者会見場では、質問からの質疑応答を展開できたのに、ここで二人きりになると、挨拶しただけで、後は言葉が何も出てこないではないか。ひょっとすると、今日の質疑応答から、
「自分は、面と向かって二人きりの会話でも、十分に通用する」
と思っていたのかも知れない。
しかし、いざ目の前にすると、何を話していいのか分からずに、何も言えず、ただ時間だけが無為に過ぎていると感じているのではないか。そう思うことで余計にアリ地獄状態に陥ってしまい、抜けられなくなっているのではないかと思えた。
それは、教授も同じだった。
彼女が何かに捕まってしまったことで、自分の両足も彼女に捕まれてしまって、脱出することができない。
彼女を蹴っ飛ばして逃げることも可能だが、それは男としてのプライドが許さない。
「いや、これって男としてのプライドなのか?」
と思うと、それまでの自分に、男としてのプライドなどを感じたことがあったのかと思えた。
あったのかも知れないが、それは感じたというだけで、本当に存在していたのかどうかまでは分からない。
根本的にあるものなのかどうなのかということが根底にあるのに、順序が違っているように思えたのだ。
つかさは、教授の隣に座ってから、教授と同じ日本酒を、少しずつ口に運んでいるだけで、自分の分を二人前で注文した料理に一つも口をつけていなかった。
「一緒にいるだけで、お腹いっぱい」
というと、幸せな気分を感じさせるので、この場合には当てはまることではないと思えた。
さすがに箸が進まない相手に、食事を促すのはいけないことかと思ったが、気持ちとは裏腹に、
「食べてないじゃないか。遠慮はいらないよ」
と目の前の食事を勧めた。
これは、まさか、小学生の男の子が、
「好きな子ほど苛めたくなる」
という心理に似ているのではないかと思えたのだ。
「初村さんがなかなか鋭い質問をしてくるので、私もビックリしましたよ。でも、鋭い質問ではあるんですが、すべて回答しやすい質問だったので助かったと思っています。でも、あれだけの知識、よくありましたね? 心理学か科学関係を専門的に勉強されていたのでしょうか?」
と聞くと、
「いいえ、そんなことはないですよ。私は先生のお話を訊いて、感じたことを質問しただけです。心理学って、結構難しいし、専門書などはすぐに挫折しそうなことを書いてあると思うんですが。実際に専門家の人と話をしてみると、結構砕けた話をしてくださるんですよ。時に例を出して話してくれるので、逆に他の話よりも分かりやすく感じるくらいです。例になるような話が心理学では結構あるというのも、面白い気がするんですよ。元々難しいから、分かりやすいような話が考案されたのか、それとも、分かりやすい話があって、その理論を逆に科学的に証明しようとしたのが、心理学という学問なのか、どちらなのか分かりませんが、私はどちらでもありの気がするんです。それぞれに説得力がありますよね。だから、どっちもありではないかと思うんです。話によっては前者であり、別の話は後者、っていう感じのですね」
と、つかさは言った。
「なるほど、その考えは面白いですね。私のように、最初に学問として入った人間には、その発想はないですよ。初村さんは、話から心理学を見たんですか?」
と教授に言われて、
「そうですね。そっちの方が確かかも知れないです。最初は確かにそうだったんです。そういう話から、心理学に結び付くものがあるということで、心理学を勉強しようかと思ったんですが、すぐに挫折しました。心理学というのは、他の学問とも密接に繋がっているので、そちらも一緒に勉強するか、基礎知識として最初から持っていなければ、とてもじゃないけど、あの専門書を読みこなすことはできないと思うんです。だから私は心理学を真正面から勉強することはなかったんですが、皆さんはどうなのかって思いました。またそれが間違いで、自分で独自に勉強しようかと思っているのに、他人を意識していれば、結局、心理学に近づいているつもりでも、実際には遠ざかってしまっているということに気づかないのではないかと思えてきたんですよね」
と、つかさは話した。
話の中身はどうしても、言葉を選んで話しているようだったので、分かりにくいところもあるが、川村教授には何となく分かる気がした。
「そういえば、私もそうだったんだよな」
と、呟くように教授は言ったが、ここで教授が、
「そうだんだよな」
と過去形で話をしたことへの違和感が、その時のつかさにあっただろうか。
ただ、つかさが川村教授に興味を持ったのは、
「教授の話す言葉の違和感」
があったからだ。
その違和感がどこから来るのか、それがどういう意味での違和感なのかが分からないだけに、余計に気になる。その気持ちが、発表の際のあの質問の内容であり、今回、ストーカーのごとく、そのわりには密かにではなく、堂々と目の前に現れたことに繋がっているのだろう。
「私は、元々心理学というものに入り込んだつもりはなかったんですよ。最初は化学が好きで、学生の頃は薬剤や医学の方の勉強をしていたんです。それも、クスリで直せる病気に対して、そのさらなる特効薬を作りたかったという感じですね、外の人は、不治の病を治すまったく新しい薬の開発を考える人が多かったんですが。私は違ったんです。いつになるか分からないけど、一発ですべてをひっくり返せるくらいの大博打のような不治の病の特効薬にするか、現在ある、治療薬を発展させて特効薬にするために、実現可能なことがある程度分かっているだけに、数をこなす必要がある研究のどちらを選択するかというと、意外と後者はあまりいないんです。目指すのはやはり一発屋ですよね。だから、皆そっちを目指していても、実際に研究室とかに入ると、意図していないところに振り分けられることになる。一応適正テストはするんですが、これも一緒の運のようなものですからね。そう思うと、私は最初から望んでいた方への配属だったにも関わらず、そのことが分かってしまったので、何か急に医学、薬剤に対しての興味が薄れていったんです。そこで当然悩みますよね。自分の存在が一体どういうものなのかってね。それで、悩みを解消するために心理学を勉強したんです。すると、それがいつの間にか自分の目指すものと近い気がして、さらに、今まで得た医学、薬学、化学の知識を一緒にすることで、化学全般と心理学の融合という発想になったわけなんです。これが、今の自分のある姿の原点ではないかと思っています」
と、川村教授は答えた。
「それが、かわむら教授の今の研究の原点なんですね?」
とつかさが聞くと、
「ええ、その通りですね」
と、川村教授が答えたが、その言葉には、心なしか力がなかった。
「ところで、次の研究は閉所恐怖症についてになるんでしょうか?」
とつかさが訊くので、
「ええ、そうですね。まずは、三大恐怖症と言われているものの共通点を見つけたいという気持ちがありますので」
と教授がいうと、
「私も実は閉所恐怖症なんです」
とつかさが言った。
「そうなんですね。それは意外です」
と言われると、
「そうですか? でもですね、私は閉所恐怖症ではあるけど、高所と暗所に関しては恐怖はあまりないんです。皆が怖いと思うところまではさすがに怖いと思いますが、恐怖症と言われるようなことはないんですよ」
と、つかさがいった。
「それは面白いですね。私の感覚としては、閉所恐怖症の人は、高所か暗所のどちらかに恐怖症を持っている人がほとんどだと思ったんです。でも、最近私の中で、狭いところが怖いという感覚は、私の中のイメージとして、監獄のような部屋に閉じ込められているとして、次第に壁が電動で動くようになっていて、ゆっくりと迫ってくる感覚ですね。このままであれば、壁に押しつぶされてしまうという恐怖、それこそが閉所恐怖症の下になっていることだと思ったんです。でも、これをイメージするとすれば、一つしかないですよね。それは夢を見ることだと思うんです。夢と見るというのは、潜在意識のなせるわざと言われていますが、実際には自分の意識や記憶の中に入っているものなんですよね。だから夢で見たということは、恐怖を煽る何かを夢に見た記憶があるので、それが夢の中での閉所と結びついて、何か自分の意識の中で辻褄を合わせようとしているのが原因なんじゃないかと思うんです。だから、暗所恐怖症か、高所恐怖症が閉所恐怖症には絡んでいると思うんですよ。もっとも、それは本人が自覚しているかどうかということの違いはありますけどね」
と、川村教授は話した。
「教授のおっしゃることはもっともだと思います。夢に関しては私も他にも恐怖を感じるのがいくつかあって、たまに思い出すのが、吊り橋の上で、前に進んでいいのかどうのかということで悩んでいる夢です。一歩踏み出せば、そこから一気に奈落の底に落ちる怖さを感じるんです」
とつかさがいうので、
「いや、それが高所恐怖症であり暗所恐怖症なんじゃないかと思うんですよ。それをたまにしか思い出さないのは、思い出すことで、自分が高所、暗所恐怖症であるということが分かってしまうのが怖いという感覚になっているんでしょうね。だから、なるべく思い出したくないという思いになっていて、そういう意味であなたの中にある恐怖症の中で一番難易度の低い閉所が表に出てきているのではないかとも考えられますね」
と教授がいうのを聞いたつかさは、
「なるほど、そういうことだったんですね。だったら、他の人にも今の私に対してと同じことが言えるんじゃないでしょうか?」
とつかさがいうと、
「というと?」
「今の発想のように、どれかの恐怖症を持っている人は、すべての恐怖症を大なり小なり持っていて、それを認めたくないという考えから、優先順位をつけて、一番難易度の低いものを自分の恐怖症だとして、表に出しているという考え方ですね」
とつかさに言われた教授は、目からうろこが落ちた気がした。
「なるほど、たぶん私も同じ考えを持っていたのではないかと今感じました。初めて聞いた話で、意識もしていなかったはずなのに、前にも聞いたことがあったような感じがしたことで、今までに繋がらなかった意識が繋がるかも知れないとも思っています。しかも、この感覚は、私は今初めて感じたのですが。意外と他の人は皆感じていたことではないかと思うんです。専門家としては、実に恥ずかしい限りなんですけどね」
と、教授は照れ臭そうに微笑んだ。
それを聞いたつかさは、
「いや、その通りだと思います。私はその感覚をよく感じるんですよ。これは中途半端な立ち位置の人間にしか感じることができないものだと思っているんです」
と、いうのだった。
そうやって考えてみると、教授の目標である、
「さまざまに存在する恐怖症の共通点を見つけて、その特効薬を見つける」
ということが可能ではないかと思えてきた。
もちろん、実行可能だと思っているから、実行しているのだが、どこかに一抹の不安は付きまとっている。それは、誰にでもあることで、時々分かっているくせに、それを自分にだけしかないことだと思って、どうしても視野が狭くなってしまうことがあるのだ。
それこそが、
「恐怖心の一種なのではないか?」
と感じられるのであった。
目標と目的とでは、言葉は似ているが、ニュアンスが違っている。
目標と目的という言葉の大きな違いが、
「点と線」
なのだろうと思っている。
目的が点で、目標が線ではないだろうか?
目標は、あくまでも、定めたラインに達することであり、少々横にそれても、定めたことが内容として達成されていれば、それは目標達成と言える。だが、目的は、その点の上にちゃんと着地しなければいけない。そういう意味で、目標よりもシビアなのではないだろうか。目標に対しては達成という言葉があるが、目的という言葉に対しては、達成とは言わない。そういうところの違いが、この二つにはあるのではないかと、川村教授は思っていた。
そういう意味で川村教授の目指しているものは目標の達成であった。そのために、
「手段を択ばない」
というところがあった。
まわりには知られないようにしてはいるが、どうしても、研究室の存続であったり、自分の名誉や研究室の過去の人たちの名前に傷をつけてはならないというプレッシャーを感じているので、手段を選んでなどいられないと感じていた。
「自分にできることは何でもやる」
という覚悟がシビアに表れて、いい意味であろうが、川村教授にとっての目的はハッキリとしていると言ってもいいだろう。
つまり目的とは、目標を達成することが自分にとってどういう最終的な到達点となるかということであろう。だから、
「最終的な到達点」
という言い方をするのだ。
そこをゴールにしてしまうと、それ以上の目標や目的がなくなってしまう。そうなると、どうなるか自分でも分からない。そこにも恐怖を感じる。
「あっ、これだって恐怖心の一種ではないだろうか?」
と考えていた。
世間では川村教授のことを、
「悪党だ」
という人もいるだろう。
しかし、自分では真の悪党だとは思っていない。目標を持って、目的に向かって達成しようという意思と覚悟がある人は、ある意味悪党ではないと思う。なるべく犠牲を少なくしようという意思も含まれているだろうから、一概に、言われている悪党とされている人たちが、皆悪者だとして見てはいけないのではないかと思う。中には、
「必要悪」
のようなものがあって、ある意味その必要悪がいるからこそ、ヒーローというものが存在する。
ヒーローというものは、必ず敵を必要とし、そういう意味で、ヒーローのための悪党だっているはずだ。そのような悪党のことを、必要悪だと考えれば、他にも目に見えない必要悪が存在するのであろう。
目に見えないのは、必要悪の中で、信念という意思と、覚悟があるからで、そういう意味では必要悪は、ヒーローに負けずとも劣らずと言ってもいいのではないだろうか。
川村教授は、ここでつかさと話をしていて、そのことをまた思い出すことができた。
いくら覚悟と信念があったとしても、自分が悪党のようなことを影で考えているということを、自覚したいとは思っていなかった。それだけ大きなものが自分の中にあり、人類の将来を担っているのではないかというほどに考えていた。
「そういえば、初村つかさという女性、自分が昔好きだった女性に似ているな」
と思った。
それは顔もさることながら、佇まいというのか、雰囲気にその面影が感じられた。その時の彼女のことを思い出すのは、いつ以来のことであっただろうか?
あの頃の川村は。高校時代のトラウマから少し抜けていた。ただ、研究熱心なこともあって、一生懸命に研究していると、頭の優先順位が研究に向いてくる。そんな毎日に女性の影も見えてこなかった。
年齢的には、大学院を出てから研究室に入ってすぐくらいの、二十代後半くらいの頃のことである。
研究にふっと余裕が出てくると、それまで見えてこなかったものが自然と見えてくるようになり、その最初が女性だった。
まわりの研究員にはそれぞれ彼女がいて、気が付けば自分だけが一人だった。研究員同士は皆、同じ研究室の仲間ではあったが、最後にはライバルでしかなかった。同じ研究をしている相手は自分にとって利用できる相手だというだけで、そこから友人関係などという関係が生まれるわけもなかった。
そもそも、友人関係などいらなかった。研究が一段落し、精神的に一段落していても、友人関係という欲求の優先順位は低いものだった。どうしても、人間としての欲が最初に来る。性欲であったり、食欲などが優先順位の最初に来た。
これが四十歳を過ぎていれば、もう少し違ったかも知れない。
欲というよりも、もっと違う感情、負の感情が嫌だという方が強くなってくる。その中でも一番強いのは、
「寂しい」
という感情だった。
もちろん、異性に対しての思いの強さは、性欲の感覚もあるので、当然であるが、同性の友人がいないという寂しさも身に染みるようになっていた。
一番の思いは、
「悩んでいる時に相談に乗ってもらえる相手」
という思いであった。
同性にしか相談できないこともあり、要するに女性の感覚では男性を計り切れないという思いであった。
もう一つは、
「自慢できるものを自慢できない」
という感覚もあった。
これは女性であっても、できないわけではないが、男としてのプライドが許さない。別にその人に好かれたいとか、嫌われたくないとかいう感情ではなく、女性に対して自分を曝け出すことが嫌なのだ。
この感覚は、
「裸になること」
と同じもので、相手が男性であれば、どんなに嫌いな相手であっても気にはならないが、女性であれば、何とも思っていない人であっても、恥ずかしいと思うのは、誰もが感じることだろう。
「異性に対してゆえの承認欲求は、性欲と違って反比例するものだ」
と言えるのではないだろうか。
言い方を変えれば、異性に対しての承認欲求と性欲とは、長所と短所のようなものに見える。しかし、実際には違っていて、長所と短所は一見、相まみえないどんでん返しの舞台のように見えるが、本当は、紙一重であり、重なっているところもあるのではないかと言える。
しかし、異性への承認欲求と性欲とは、まったく相まみえないものであり、片方が昼であれば、片方は夜である。決して相まみえるものではなく、重なっているところなど、まったくないものではないだろうか。
承認欲求には女性に格好いいと思われたいという思いや、嫌われたくないという感情があり、それがプライドや見栄として持っているものである。だから、
「好かれたい、嫌われたくない」
という思いが強いのだ。
だが、性欲には、プライドも見栄も関係ない。関係あるとすれば、それは性欲を抑えるための感情であり、性欲だけを考えると、それは欲望という本能であり、気持ちよりも先に身体が反応するものだ。
ある意味、人間の中で承認欲求を持っていない人はいても、性欲のない人というのはいないだろう。それくらいに、性欲という本能は人間にとって大切なものであると言えるのえはないだろうか。
自分が好きになった女性は、自分が承認欲求を感じていた時期であり、研究に没頭している時には表に出てこなかったものだ。それはトラウマによって結界が自分の中で作られていたからなのだろうが、それを与えてくれた余裕というのは、精神的な余裕なのだろうか、それとも時間的な余裕だったのだろうか。自分でもよく分かっていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます