受験生の昼休み

公認金魚士試験は午前中の筆記試験が終わると昼休憩、午後からは実技試験である。

金魚士の需要が増えマイナーからメジャーに変わりつつあるが、それでも地味な公認資格だという印象は拭えなかった。

当然試験もあまり話題性がなかったが、今回は雰囲気がまるで違った。

金魚士協会初の、いや地球の歴史が始まって以来の注目すべき受験者がいるためだ。


「チャットでは聞いてたけど、大きいんだな―――ッ」


足元の、青黒い金属光沢に近い輝きを放つ鱗に顔を近づける。

そうするとゴゾの大きさが実感できる。

高さは少年の背丈の5倍?10倍?長さは貨物列車を100両もつなげたほどもあろうか。


「ゴゾさんって、ホントに大怪獣なんだ……」

「そ、そんな、コト……ないと、思う」


ゴゾの長い、長―――い背中の上を、金魚博士君が両手を広げてバランスとりながら歩いている。

ゴゾが体を揺らすと金魚博士君が背中から落っこちてしまうかもしれない。

おかげでゴゾはとぐろをまいたまま動けなくなってしまった。


「金魚博士、君。あんまり、背中、歩き、回ら、ないで。くすぐっ、たい……」

「あ、ごめーん」

「ナノさんも、お腹、触ら、ないで、欲しい」


降りてくれそうにない背中はあきらめて、今度は地面の方に頭を向ける。

よじ登ってはこないが、壁のようにそびえるゴゾの鱗を撫でまわしているのは、ハンドル名・ナノさんっていう高校生の女の子だ。


「え―――ッ?ヒンヤリしててスベスベで、すっごく気持ちいいのに?」

「……なんか、むず……がゆい、です」


何を言ってもナノさんはうっとりした表情で、ゴゾの肌にペタリとはりついて、頬ずりまでしている。

セレブ育ちで噂では金魚だけでなく、超がつくくらいの爬虫類マニアでもあるらしい。

数十種の金魚以外にもワニやらアナコンダやらを多数飼っている、といわれる。

こちらもゴゾの体を弄り倒すのを止めてくれそうにない。

自力での説得はあきらめて、助けを乞うことにした。


「ガガガン、さん。なんとか、言って、やって、ください」

「んあ?だらしねーなー、ゴゾちゃんわぁ……」


救援要請に応えて立ち上がったのは、ゴゾのとぐろの真ん中で弁当食ってたガテン系のおっさん・ガガガンさんだ。

日焼けした逞しい上半身は裸、いかにも鍛え上げた筋肉って感じだが。

本業は有名IT企業のエンジニアでは?と囁かれている。


「ったくぅ、ゴゾちゃん!いいか、女子供にゃなぁ、言うときゃビシッと……」


ガガガンさん、ついに立つ!

大きく息を吸い込み、校舎の向こう、山の向こうまで届きそうな大声で!


「コォラッ!金魚博士!ナノちゃん!ゴゾちゃん困ってるだろ、いい加減に……」

「もーちょっと、もうちょっとだけ!」

「ガガガンさん、うるさい……」

「いや、その……」


ガガガンさん、惨敗!筋肉の威圧感、小学生&JKには通じず!

もっともこの二人を何とかしたくらいでは、問題解決にはほど遠かっただろう。

この時、ゴゾの背筋に乗っかる者や体に寄りかかる者は数十人!

通信教育仲間だけではない、一般の受験者までがゴゾの周りに集まってきていた。

増々困惑するゴゾ、このままでは満足に動くこともできない。


「あの、皆さん、俺、僕、困……」

「すいませーん、一緒に写真とらせてもらえませんか?」

「あ、はい……」

「ハイ、へびさん!笑ってェ~」

パシャッ。


大学生くらいの女の子二人連れがゴゾを背景に自撮りしていった。

二人の間に見上げる角度でゴゾを入れると、すっごく映える背景になるのだ、流石は怪獣!

ただし笑顔をつくるのはやっぱり無理!生まれつき無表情なのだ、蛇だけに。


「すいません、触っていいですか?」

「あ、どうぞ……」

「僕らも写真、お願いします!」

「あ、う、いいです……」

「せ、背中に乗っても?」

「それは、危ない、から、ダメ……」


千客万来というか人気者というか……

受験者たち、通信講座の仲間以外は当然、最初はビビリまくって物陰から遠巻きにしていた。

しかし金魚業界の超有名人・金魚仙人に金魚博士君が、全然怯えもせずに軽ぅーく世間話しているのを見て、少しずつ距離を詰めてきた。

そしたら、いつの間にか人だかりができてしまった。


「どう、して、こう、なった……?」

「ん?どうしたのかね、ゴゾ君」

「いえ、先生。なんでも、ありま、せん」


鎌首もたげて悩めるゴゾ君を金魚学の大家・金魚仙人は心配そうに見上げる。


「うむ、キミが試験を受けると聞いた時から心配しておったのだがなぁ」

「えっ?僕の、ことを、心配、して?」

「キミは……気が弱、いや気が優しすぎる。それに……お人好し、いや大人しすぎるからのう」

「そう、ですか。やっぱり、僕、頼り、ない、です、よね」

「いや、そーゆー意味ではないのじゃが」


首をうなだれる大蛇。

見た目はかなりコワイ怪獣なのだが、声の調子だけでドンドン凹んでいくのが丸わかりだ。

こんな調子だから最初は怯えていた顔見知り以外の人々も、怖がる者はもう誰ひとりいない。

今じゃ触り放題登り放題、記念写真のポーズもサービス。

試験場となった山間の高校は、もはや『怪獣さんとふれあおう』イベント会場となってしまっている。

本人には迷惑この上ない状態なのだが。


「じゃが、筆記試験はクリアできたようじゃな?」

「はい、手応え、あり、です!」


自信があるのだろう、ゴゾは胸を張って答えた。

……どこからが胸でどこまでが腹なのか、イマイチ見分けがつかないけど。

自信たっぷりに答えたわけが、実は筆記試験だけでもかなり大変だった。

まず体長500メートルを超すゴゾは試験会場である教室には入れない。

人間に擬態できるタイプの怪獣なら問題なかったのだが、ゴゾは擬態ができないタイプだ。

結果、ゴゾひとりだけ校舎の外つまりグランドで受験することになった。


「それにしてもゴゾさん、器用に舌を使えるんですね」

「いっぱい、練習、した、から」


金魚博士君が感心したように、ゴゾは配られた試験用紙に鉛筆で回答を書き、渡されたタブレットを見事に操作した。

人間のような手ではなく、口からチロチロと出し入れする舌先だけで、だ。

試験用紙やタブレットだって人間サイズ、怪獣からすれば米粒に文字を書くような高難易度の作業だ。


「ゴゾさんって才能だけじゃなくて、ものすごい努力家なんですね!尊敬します」

「それ、ほど、でも、ない、です」


ナノさんのキラキラ瞳がまぶしくて、思わず目を逸らす。

見かけと違ってゴゾはとってもシャイなのだ。


「しかし、問題はやはり午後の実技試験じゃのう……」

「そうですよねぇ」×多数


金魚仙人の言葉に同門の受講生全員がうなずく。

当の本人ゴゾだけが無表情かつ無言だったが……

口から出す舌のチロチロ回数が1.5倍に跳ね上がった。

付き合いのある者には、ゴゾが必要以上に緊張してしまっているのがよくわかる。


「しかし無理もないかのぅ?実技試験は……」


網で金魚を傷つけないように水槽の入れ替え、雄雌の見分け。

金魚鉢の手入れ、浄化装置の取り扱いや修理。

餌の配合。病気の際の薬の調合、etc……

最終目標である特級金魚士になるまでには千以上の項目で合格点を叩き出さねばならないのだ。

象が針の穴を通るような狭き門、と言えるだろう。

しかしそれは『人間』にとっての話だ。


「すまん、ゴゾ君。ワシも掛け合ってみたのじゃが……今の会長ヤツが頑固でのう」

「大丈夫、です。実技の、練習も、たくさん、しました……」

「じゃがのう、ゴゾ君が使っている道具は怪獣用に改造したヤツじゃろう?」


実技には手網や水槽、様々な道具や機械、餌……全てが『人間が手で使う』前提で作られている。

つまり怪獣たちにとっては小さすぎ、細かすぎ、少量すぎる。

ましてや手足を持たない蛇怪獣が扱えるものではない!


「せめて君の道具を持ち込めるようにと頼んだのじゃが……あやつめ、『特別扱いはできない』の一点張りじゃ」

「特別扱いって……これじゃゴゾさんだけハンデつけられたようなものじゃないですか!」

「ひどい!『全ての金魚好きのために広く門戸を開く』ってモットーはどこいったのよ!」

「そうだよ!」「怪獣だからって差別すんな!」「コラ、なんとか言え!」


金魚博士君やナノさん、受験生全員が怒りの声を上げている。

怒りの矛先は向いていたのは……可哀そうな係員たちである。


「すすすすいません!」「いや、ワシらも何も聞いてなくて!」


数の暴力に取り囲まれて狼狽えている係員たち。

ちなみに彼らもゴゾとの記念写真をお願いしに行列に並んでいた。

家族への良いお土産にと思ったのだろうが……

怒りの民衆に何重にも取り囲まれて、逃げることもできず震えている係員。

その頭上から、大きな声が降ってきた。


「静か、に!」


大きいというだけじゃなく、良く響く声だった。

全員思わず見あげると、見おろす大蛇と目が合った。

ゴゾの目はとても冷静、実に落ち着き払ったものだ。

絶体絶命の窮地にあるとは思えない、泰然自若の落ち着きぶりだ。

ジッと見つめる縦割れの瞳は、まるで悟りを開いたような穏やかさ。

ゴゾの、絶対の自信を支えるものは何のか?


「……いつ、だって、思い通り、の、道具、あった、わけ、じゃない」

「えっ……ゴゾさん、それってどういう意味?」

「俺の、故郷。本物の、金魚も、水槽も、手に、入ら、なかった。あっても、買う、お金、なかった」

「でも、ネット越しに見たけど、手網の扱い方もあんなに上手に……」

「だから、頭の、中で、練習、した。何時間、も、何年、も……」


誰も何も言わなくなった。

地球から遠く離れた惑星で、金魚を見ることすら困難な環境で、ひたすらに努力を続けてきた怪獣がいたのだ。

ただただ、大好きな金魚に近づくために。

金魚仙人の脳裏に、貧しい寒村に生まれた自分自身の思い出が甦った。

隣村の縁日で、たった一匹の金魚を持ち帰るのがやっとの貧農。

その思い出が目の前の大蛇の姿に重なって、思わず流れた涙をぬぐった。


「ゴゾ君、人生の最後に来てワシは……キミに会えて、ワシは……」

「先生、僕も、先生、に、会えて……」


手を掲げた金魚仙人と頭を下げたゴゾの舌と、指先と舌先が触れる……寸前に!

真っ青な顔した係員がひとり、校庭の外から駆け込んできた。


「た、大変です!試験が中止に!」

「エエエッッッ―――!!!」×全員


ゴゾ以外の全員が仰天し、ゴゾ以外の全員が叫びを上げ、ゴゾ以外の全員がどうしたらいいのかわからなくなった。

しかしゴゾだけは慌てず、騒がず、取り乱さず、一言も語らず身動きひとつしなかった。

あまりのショックに気絶し、硬直していたことは、言うまでもない。

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