クラリアスノート

ゆさ

第一部 『フェルズガレア黎明編』

プロローグ 『崩壊の音色』


世界の根源とも言われる神樹麓に構えた立派な城。

その最上階に位置する一室の中。


齢十六にして歴代最強となった勇者レナ・アステルは悩んでいた。

勇者とは世界の守護者として神に選ばれる特別な存在。


城は世界の守護を使命に掲げるグレスティアという組織の拠点でもあり、それらを統率する者こそ勇者である。

神に選ばれた特別の存在でありながら、その歴史の中でも一切の異論無しに最強と謳われる少年が一体何に悩むというのか。


勇者に常に一緒に行動する側近など存在しない。

それは一重に守られる必要が無いからだ。


それを抜きにしても今この城は、

──あまりにも静かだった。



総勢百名は超えるグレスティアの者達が、一人残らず城から外に出ているとでもいうのだろうか。


レナが最も信頼を置ける人物の一人、ミハイル・ヘルヴェティアの話によると、今夜予定されている大規模な決戦に備えて城の出入りが多くなると事前に聞かされていた。


何かがおかしい。そう思わざるを得なかった。

だが、真っ先に浮かぶは仲間の身に何かあったのでは無いかという不安。


たまらず外を眺めると、まだ昼盛りにもかかわらず辺りは翳りを見せていた。



「雨、降ってきたなぁ」


レナは窓から手を伸ばす。

ぽつりぽつりと、決して多くはない雨粒が肌を濡らす。


──もし、今夜の決戦で仲間を失うことが無ければ。


非現実的な理想が頭を過ぎる。



雨の音に耳を済ませながら、遠くを見ると大軍がこちらに向かって来ているように見えた。


反旗を翻した別組織が攻め入ってきた。という話は無いとも言えないが、問題はそこになかった。



その大軍は勇者の最も見慣れた景色だったからである。


──それは、グレスティアの者達。



脅威もいない自分達の拠点に進行を続けるグレスティアを目の当たりにした勇者は窓か飛び下りると、仲間の元へ駆けていく。



「オルカ……何があった?」


先頭に立つのは、レナが最も信頼を置けるもう一人の男、オルカ・アストレア。

世界最強の剣士である『剣聖』の称号を与えられたオルカは、決して脅威と相対した時以外に抜くことの無い剣に指をかけていた。


レナはただ、兄のように慕った剣聖の言葉を息を飲んで待つ。


「レナ、受け入れ難い話だと思うが、こちら側につく気は無いか?」


オルカは汗を滲ませる。

神をも恐れぬ最強の剣聖が唯一恐れる存在。

それが自分より年下で、華奢で、小柄な少年だと言うことはタチの悪い冗談だ。


「こちら側につくって何の話だ? そもそもなぜこれだけの大軍を引き連れてここに来たんだ?」


「レナは相変わらず疑うという事を知らないようだな。神樹に大軍を引き連れる理由なんて一つしかないだろう」


神樹とは世界の根源。

そこには、概念的存在である創造神クロノス。

クロノスの化身として実体を持つクロノが存在すると語られる。


そして、それらを守護する七神が存在した。


神器『マルミアドワーズ』『エクスカリバー』の使い手、

──アルトリウス。


神器『オートクレール』の使い手、

──ランスロット。


神器『ダインスレイフ』の使い手、

──モルドレッド。


神器『ミスティルテイン』の使い手、

──サグラモール。


神器『モルデュール』の使い手、

──グィネヴィア。


神器『クリュセリオン』の使い手、

──ユーウェイン。


神器『アスカロン』の使い手

──パーシヴァル。


そのどれもが人ならざる力を有しており、たった一人の例外を除き七神の力を超えた者は存在しない。


その"例外"こそ、歴代最強の勇者レナ・アステルである。


そして、この大軍が今神樹の前に集う理由はオルカの言う通り一つしかない。


「まさか……七神に刃を向けると言うのか?」


「どうだろうな。だが、オレ達はその神樹で傍観している『クロノ』の抹殺を目的にしている」


「……なに……を言ってるか分かってるのか? 世界を守護する為に神樹から授かったこの力で、その主に牙を剥くと言うのか?」


「そうだとも。レナは神に近づき過ぎた。故に見えなくなっている、オレ達の『心』が。今レナが見ている光景こそ、ヒトの心だ。想像もしなかっただろう? この光景を」


違う、想像しなかったのではない。

仲間を信じてたからこそ、城で待っていたのだ。


だが、微かに震えるオルカの手が示していた。

彼らにとって僕は神側の存在であると。

こちら側に来ないかと声をかけたのは、大切な仲間故の恩情なのだろう。


本当にこれが彼らの望んだ光景なのだろうか。

その答えを知る為に、レナの目はもう一人の信頼できる少女を探していた。


「ちょっと待ってくれ、ルキナはどこにいるんだ?」


その人物こそ、世界最強の精霊使いルキナ・エルステラである。

ルキナは世界を愛している。

世界を守ることは、彼女自身の本質であり、精霊使いとしての契約でもあった。



「ルキナは死んだよ」


オルカの後ろから前に出たミハイルはレナを睨むと答えたのだ。


「ルキナが……死んだ……?」


「レナ、お前が殺したんだ」


「オレがルキナを?」


レナは錯乱するが、ミハイルは虚ろな笑みを見せながら続ける。


「僕達はルキナを説得しようとしたんだ。そしたらさ、ルキナは最後までレナにつくってさ。あまりにも聞き分けが悪いから強引に説得しようとしたら、僕達に刃を向けたんだ」


──プツリと、レナの中で糸が切れた。


「ッ、、ルキナをどうした!!!!」


レナは叫ぶ。

剣を抜いたわけでも、その場から動いたわけでもない。

それでもレナと対峙していた全員が膝を崩す程の圧力があった。

仮に魔力をのせていたらどうなっていたか、誰もが死の淵を垣間見たようだった。


「どうもしてないさ。ルキナは咎人となり崩壊した。あれだけの精霊使いだ、契約に背けば咎を受けるだけでは済まない」


「……そん……な……」


その言葉を聞いてレナは理解してしまった。


ルキナは最強の精霊使いである。

精霊契約をしたものが咎人となるということは、契約に背いたということ。

ルキナと精霊の契約内容をレナだけは聞かされていた。


『──もしも、世界の全てがレナの敵になったとしたら、たとえ私が消えることになっても、私はレナの味方だから』


ルキナの言葉が脳裏を過ぎる。


精霊契約で最も重要視される項目は、世界の破壊行為である。

世界の破壊行為とは、物理的な行為を指すだけでない。特に、ルキナの契約は世界の維持に関わる内容であった。


レナの味方をすることで契約に背いたことになったということは、レナを守ることで世界の維持が困難になるという意味を含んでいた。


つまり、レナにはもう守るべき者達が存在しないという事を意味していた。



レナは静かに膝をつく。

戦うことの意味、世界を守ることの理由を失った。


立ち上がらなくてはらない。

守らなくてはならない。

それでも力が入らない。


意識が朦朧とする中、声が聞こえた。

直接脳に響くのは、馴染み深い声色だった。


『──世界を愛する君を愛している』

『──君だけには辛い思いして欲しくない』

『──ごめんね』


贖罪の言葉には優しさがこもっていた。

深い眠りに着くように。

優しく包まれるように。


つま先からゆっくりと凍りつく感覚。

やがて身体の自由を失った。




◇◇◇◇◇◇◇



──気が遠くなるほど、長い時間が流れた。


意識だけが残留する幻想的な空間。

天地は不明。目に映るはあらゆる色、光、影、ふと耳を澄ませると、きれいな音がする。


現実ではないが、確かに自分という存在はソコにいた。


「……守らなきゃ……あれ……オレは何をして何だっけ……思い出せない」


記憶が崩れ落ちていく。

長い時間をかけてカランカランと崩れ落ちる破片。


ゆっくりと落ちてゆく破片に目を奪われた。

伸ばすことの叶わない手を伸ばそうとする。


大切なナニかこぼれ落ちてゆく。



『……ナ』


声が聞こえた気がした。


『レ……ナ』


『ねぇ!! レナってばー』


透き通るような、無邪気な声がした。

レナ? それは自分の名前だろうか。


意識を集中させないと、たった今話している内容ですら抜け落ちていくような感覚だ。



「私ですか?」


『ふふッ、私だって』


振り向くと一人の少女がこちらに笑いかける。明るい桃色で毛先が肩にふれる程度の髪。純度の高いサファイアのような透き通った瞳がこちらを見ていた。


「自我が崩壊してるのかな。でも良かった、まだ話せる」


「君は…」


どこか懐かしい気持ちはあるが、思い出せない。


「なんて言えば良いんだろう。そもそも私って君のなんなんだろう? 正妻、とか?」


少女はとぼけたように笑顔を見せる。


「私のこともよく覚えてないけれど、それが冗談だということは分かりますよ……」


「えー。別に私は冗談であって欲しくもないんだけれどなぁー……」


頬を染めた少女は落胆する。


自分のことを忘れていても、目前に立つ少女の存在がその事実を否定していたのだ。


自分とは別次元の存在。

これだけ自我を失ってもなお、本能的に理解出来た。



「それより、ここは一体何処ですか? この音は……破片は……?」


「これね、世界が崩れ落ちる音。文字通り世界だから、その中にはレナも含まれてるんだ。記憶がはっきりしないのもそのせいだね」



「君は?」


「私は世界にとって少し特殊な存在だから。でもそれもあと少しで終わり。私達は自分の使命を果たせなかった」



「達?」


「うん。私が今レナと話せてるのは、特殊な繋がりがあるからね」



「特殊な繋がり……」


「私がレナをちょっと強引にこの世界に繋ぎ止めたんだ。創造神の化身であるクロノが消滅した今、創造神クロノスは現時点で最適な形に世界を創る。その世界の形は私にも分からない」



「創造神の化身……? 世界を創る……?」


今の状況が異例であることは理解できるが、あまりにもスケールの大きい話についていけない。


そもそも思考がまとまらず、まともに考えられない。加えて、自分のことさえよく分かっていない今のレナに、理解出来るはずもなかった。


「こんなこと話されても分からないよね。えっと、つまりね、レナの器は世界で唯一、崩壊しにくい形で存在している。……どうだろう、一番わかりやすい言葉を選ぶとこうなるんだけれど。まあ、どう転んでも、結局はクロノス次第なんだけれどね。私達にできることは限られてる」


「よく分からないけれど、なるようにしかならないってことですね……」



「そうそう。ごめんね、本当はまだまだ話したいんだけれど、もうそろそろかも」


少女が歩み寄ってくる。


束の間、柔らかな感覚がレナを包み込んだ。



さらに体温が下がっていき、視界が暗くなっていく。

全ての感覚が失われる刹那、唇に僅かな温度を感じた気がした。



その後も少しの間、音だけが心に響いていた。聴覚が機能しているのか、別の要因か。



──パリンパリンという音と、馴染みの深い少女の声だけが残っていた。




『ありがとう』


『世界を守ってくれてありがとう』


『世界を守れなくてごめんなさい』



『──さようなら』








──音が鳴り止んだ。






















──そして世界は崩壊した。


















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