少し止まる

黒脚海豚

第1話 きっかけ

何かをやって時間を損することは絶対にない。

貧乏旅をすれば、大学を二つ出たようなものだ。

                     (永倉万治・作家)


「奈良から名古屋まで歩けよ」

先輩の何気ないその言葉によって僕の旅は始まった。


 

 僕には特技と呼べるのがない。歌が上手いわけでもないし、走るのが早いわけでもない、ましてや頭が良いとも言えない。強いて言うなら歩くことである。いつからかは分からないけど、気づいたら歩くのが好きになっていた。自転車なんてしばらく乗ってない。最後に自転車に乗ったのは、奈良に引っ越して2ヶ月くらい経ったときにあった何かの選挙の不在者投票をするために近くの投票所に行ったときだ。バイトに行かなければならなかったため、自転車を使ったが、投票をしてバイトに向かう途中でタイヤがパンクしてしまい色々と落ち着いたら修理にもっていこうと思っていたが、結局面倒くさくなり、約1年半そのままにしている。別に今すぐにでも修理にもっていこうと思えばもっていけるが徒歩でも充分生活できるため後回しにしている。そういうわけで今は自転車を使っていない。

 講義が終わり、1人で歩いて帰っていると、大学の友人である直人が自転車に乗りながら話しかけてきた。

「ひろ、そろそろ自転車直せよ」

「いいよ、面倒くさいし。実際歩きでどうにかなってるし」

「そうだけどよ、時間の無駄だぜ」

「まぁ、確かにな。でも、歩くの好きだし」

「お前がいいならいいけど。てか、腹減った。」

「そうだな。なんか食って帰る?」

「うーん、寿司食いたい。あ、でも遠いか、お前自転車無いし」

「いいよ、走っていく。走って15分くらいだろ。荷物もてよ」

「あいよ」

 直人の自転車のかごに自分の荷物を乗せ、寿司屋まで走った。

 直人とは、大学の入学式の時に出会い、学科が同じで、意気投合し、仲良くなった。それからアウトドアサークルに2人で入った。大学生活中ほぼずっと一緒にいる。

 直人と別れてから家に帰り、シャワーを浴び、ベッドで動画を見ていると一件の通知が表示された。アウトドアサークルの先輩である天野さんからだった。

『遊馬、明日の夜暇?』

『暇ですけど』

『飲みに行かん?』

『いいですよ』

『じゃ、明日学校で』

『了解です!』

チャットアプリでのやり取りを終え、明日の準備をして寝た。


 翌日、講義が終わり、天野さんと合流した。

「お待たせ、待った?」

「全然大丈夫ですよ。僕も今終わったとこなんで」

「んじゃ、行こか」

「てか、今日どこ行くんですか?」

「ん?駅の近くにいい場所あるからそこ行く」

「おけです。楽しみにしてます」

 大学を出て、30分くらいしたら駅についた。駅のすぐ近くの細い路地に入って3分くらい歩いていたら【barぷらは】と書かれた看板が見えた。

「着いたよ」

 そう天野さんが言い【barぷらは】を指をさした。【barぷらは】は、こじんまりとしており、落ち着いた雰囲気で店内は明るく学生でも入りやすい場所だ。

「お、天野君いらっしゃい」

「マスター、後輩連れてきましたよ」

「さすが天野君、ありがたいな」

「どうも、遊馬って言います」

「遊馬君、いらっしゃい。ゆっくりしていってね」

 マスターは50代前半といったところ年齢でとても気さくな人だった。席に座り各々飲み物と料理を頼んだ。僕はコークハイとオムライス、天野さんはハイボールとナポリタンを頼んだ。普通バーと言ったら暗くてお酒しかないというイメージがあるが、ぷらはは、料理も豊富で誰でも気軽に入れる場所だと感じた。

「遊馬って映画好きだったよな?」

「好きっすよ」

「僕たちの街観た?」

「観ましたよ」

「あれいいよな。主人公が1人じゃなくて何人もいて一人ひとりの物語がしっかりとしてるから」

「めっちゃ分かります!それぞれの物語が同じ街、同じ時間軸で展開しているところがめっちゃ凄いと思いました!」

「遊馬は好きな映画とかあるの?」

「aquariumHEROが好きっすね。映像がめっちゃ綺麗で、本当に海の中にいるみたいでめっちゃ好きっすね」

「まだ、観てないな。あれって確か原作あったよね?」

「ありますよ。原作もめっちゃ面白いっす。」

「今度観てみるわ」

 映画の話や大学の話などを話しているうちに2時間が経った。天野さんは既に4杯ハイボールを飲んでいた。本人曰くほどよく酔ってきたらしい。

「あ、そういえば、遊馬って歩くの好きだよな」

「まぁ、好きっすよ」

「大学までどれくらいかかるん?」

「大学まで...んー...約50分くらいっす」

「よく歩くな」

「慣れてきたら楽っすよ」

「そんなわけない。」

「マジっすよ」

「遊馬...そんなに好きなら、奈良から名古屋まであるけよ」

 多分この時天野さんは酔っぱらっていて、冗談で言ったかもしれない。でも、僕の中では本気で受け止めていた。無理って思うよりも先に面白そうと思ってしまった。誰かのちょっとした言葉で人生が変わることがある。それは、物の見方や価値観、生き方そのものとか。例えば、好きな映画の台詞、アイドルの曲の歌詞、成功してきた人たちの言葉とか。僕の中では先輩の何気ないその言葉だった。

「いいっすね。めっちゃ面白そうじゃないっすか。絶対にやります」

「マジで?まぁ、楽しみにしておくわ」

 その後、もう1時間くらい飲んで、ぷらはをあとにした。







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