第7話 インベーダーつかい

 斉藤さんは今日、学校に来なかった。

 遅れて教室の後ろのドアから現れるんじゃないかと何度も振り返るうち、教師はぼくの頭を出席簿で叩いた。

 竜宮院は呆れたような顔をしていたけど、黙って缶ジュースをおごってくれた。

 でも、なんでよりによってレモネードなんだ。

 とても飲む気がしなくて、雲雀ヶ崎にあげちゃったよ。

 レモネード、そんなに好きだったのか。

 さて。一足先に畑に来ると、そこには招かれざる客がいた。


「……何をしてるんだ?」


「花を摘んでるんだが? 見ての通り」


 ぼくが声を掛けると、さも当然といった顔で顔を上げたのは、クルーカットのスポーツマン。

 花壇の端にバカでかいスポーツバッグが置かれているし、どこかの運動部員なのは間違いない。


「そんなのは見りゃわかる。誰に断ってやってるんだよ」


「あんまケチケチすんな。学校の花壇だろ? みんなのものじゃん」


 ぼくはその言い草にキレそうになった。

 でもだめ、平和主義で行こう。

 話せばわかるならそうすべきなんだ。

 まあ「話せばわかる」の返事は古来より「問答無用!」なんだけど。

 今はまだその時じゃない。


「まあ確かに、みんなのものだな。でも、世話をしている人が悲しむんじゃないか? 園芸部が怒るぞ」


 とくに、この辺りはおもに雲雀ヶ崎が担当している事だしな。

 あの子は泣く。

 プルプルと震えながら、こっそり泣く。

 でもきっとこのアホを許しちゃうんだ。

 そりゃいかんでしょ。

 お兄ちゃん頑張るよ。

 運動部員は少しはにかんだ。


「先輩の乗った車が、黒塗りの高級車に追突しちゃってさ」


「黒塗りの高級車?」


 ようやくぼくは思い出す。

 朝のホームルームで担任が言っていたのはこの件か。

 練習試合の帰りに、顧問が運転するワンボックスが事故を起こしたって。

 まあ、誰も死ななかったし関係ないかな。


「ああ。顧問の中田なかたがボンゴでセンチュリーに突っ込んだ」


「車種なんてどうでもいいよ」


 高そうではあるけどね。

 ヤのつく自由業に突っ込んだとかならともかく。

 実際、クッソどうでもいい。

 こりゃガツンと言ってやらないとだめだな。

 でも逆上して暴れ出したら怖いし、どう切り出そう。


「それで先輩、今入院しててさ」


「入院……」


 入院ってのは暇なもんだ。

 それも、とてつもなく。

 何一つ代わり映えのしない真っ白な日々は、花が一輪あるだけで全然違うものなんだ。


「これから見舞いに行くんだ。よく知らないけどさ、花くらい持っていくのがマナーだろ?」


 なるほど確かに、彼が花とマナーについてよく知らないというのは間違いないようだ。

 世話をしている人がいるということにも想像が及ばないんだろう。


「だったらその花はやめとけ。シクラメンは見舞いに持って行くのは避けるべきだ」


「なんで?」


「まあ、日本ローカルだとは思うけど。シクラメンは死と苦に通じるからね。あと、菊は論外。葬式用の花だ」


「へえ、そうなんだ。知らなかったな」


「いや、常識だろ」


 ぼくは常識をわきまえた男だからな。

 運動部員は立ち上がる。


「でもさ、それじゃあどれがいいんだよ?」


「あのなあ。そもそも採ってもいいなんて言ってないんだが」


「いいじゃん、良い子ぶるなよ、なあ」


 運動部員はぼくの首に腕を回した。

 顔が近い、息をかけるな、気色悪い。

 ぼくはかれをいささか強引に押しのけた。

 まったく、運動部はみんなこんななのか?


「ここは園芸部が管理する畑で、ぼくがその園芸部の副部長なんだ」


「えっ、マジで?」


「大マジ。こんな泥棒みたいなマネをしなくても、言ってくれれば見舞いの花くらいやるよ。勝手に抜かれちゃ困るな」


「そうか、すまんすまん。ハハハ」


 悪気がまるで無いらしい。

 ぼくは優しく紳士的に、穏やかな口調で諭してやった。


「お前それでも謝ってんのかこの野郎!」


「ひぎい! センセンシャル!」


 すいませんでした、だろうが。何だよセンセンシャルって。


「まあいい。ちょっと待ってろ」


「サーセン! オナシャス!」


 すいませんでした、お願いします、だろうが。滑舌悪すぎだ。

 ぼくは適当に、本当にテキトーに花をインシュロックでギチギチと固定し、彼に渡してやった。

 こんなやつらに雲雀ヶ崎の腕を貸すなんてもったいないからね。

 なんか臭そうだし。

 部員は花束を抱えて、ニカッ! と笑った。


「すげえ、プロみたいだ。これもうわかんねえな」


「とっとと持って行けよ」


 でも。病院といえば。

 ぼくの脳裏に、城医師の顔が浮かんだ。

 

 *

 

 今日はバイトの日だ。

 客がいないので店長はテーブル席で『スペースインベーダー』をやっていた。

 テーブル筐体? こんなもんあったっけ?


「今日の午前に届いたんだ。ネットオークションでは激しい競り合いだったよ。キミの世代は知らないかな。まあ、私も生まれる前だが」


「いえ。部活の後輩がスマートフォンでやってましたよ」


 店長は幸せそうに筐体を撫で、頬ずりまでしている。


「ほうほう、それはいいことだね。これは一九七〇年代に使われていたオリジナルなんだ。これほど状態がいいのは珍しい。迫り来る宇宙人の軍勢を迎え撃つ、たった一門の対空砲。攻撃を受けるたびにトーチカは破壊されていき、たとえ敵を退けたとしても新たな敵が現れ、最後には必ず砲台はやられてしまうんだ」


「そういえばそんなゲームですね」


「昔の人は、そこに滅びの美学を見いだしたのさ。人の力ではどうしようもできない運命があるってことを、知っていたのかな。でも、運命に対して立ち向かうことには意味がある。いや、戦うことに対して自分自身で意味を与えるんだ。決して無意味なんかじゃない、私たちはここにいる、必死に生きているんだ、と。……そういうゲームだよ。やってみるかい?」


「そんな壮大な背景があったんですか。なんか感動しちゃいました」


 ぼくは店長と場所を代わった。

 古びたガラステーブルにブラウン管が縦に埋め込まれていて、中ではドット絵の宇宙人がわらわらと動いている。

 レバーとボタンだけのシンプルな筐体だ。

 使い方は簡単。レバーの左右で砲台を動かして、ボタンで弾を打つ。

 インベーダーに当たれば得点だ。


 ……滅びの美学、かあ。


 ぼくはレバーを倒した。あれ。


「店長、動きません」


「そりゃそうだよ。一〇〇円を入れなきゃ」


「マジすか……」


 ポケットを探すけど、四〇円しかない。

 くそう、なんでお金は使うと無くなるんだ!


「また今度にします」


 店長は少し残念そうな顔をした。


「キミなら飛びつくと思ったんだけどな。何かあったのかい? 顔色が悪いようだが」


「いえ、なにも」


 何も無い訳ないだろう!

 でも本当のことを言うのも恥ずかしい。

 結局ぼくが横恋慕して不発弾になっただけだ。クソッ。

 ウジウジ考えているより、身体を動かすほうが余計なことを考えなくて済む。

 働こう。

 インベーダーが来たから、今まで使っていたテーブルを店の倉庫に運ぶ。

 倉庫というか納戸というか、店の備品や消耗品が置いてあるだけで珍しいものはない。

 クリスマスツリーとか正月飾りとか、あとはハロウィーンのカボチャとかだね。

 店内に戻ると、店長はゲームに飽きたのかカウンターで文庫本を読んでいる。

 ぼくはああいった字がみっしり詰まった本が苦手だ。

 テーブルを拭き、モップをかけ、窓も拭く。

 シンクを掃除し、コップを磨き、ペーパーナプキンも補充する。

 ずいぶん働いたけど、ぼくが来てから誰一人客が来ない。

 こんなに暇で潰れないんだろうか?


「こんなに暇で潰れないんだろうか、ってな顔だね? 山田クン」


「えっ、口に出てました?」


 店長は読んでいた本から顔を上げると、タバコを灰皿に押しつけた。

 もう、客商売なのに困った人だ。

 健康増進法! 守ってよ。

 別に口紅の付いた吸い殻を持ち帰ったりはしないぞ。


「君は本音と建て前を使い分けるってことを学ぶべきだよ」


「すいません」


 店長の今日の読書は……線の細いイケメンと髭面のおじさんが半裸で抱き合っている挿絵が見える。

 でも表紙カバーは純文学だ。

 よく見ればカバーと本のサイズが合ってないんだよね。

 そうか、これが本音と建て前の使い分けだな。勉強になる。


「まあいい。君を信用して教えてやろう。まず、この店は親から相続した私の実家。つまり、家賃がゼロ。あとは近所にアパートを持っているから、私自身はほとんど家賃収入で暮らしてる」


「すごい! 資産家だ!」


「だが、近ごろ私の周りをストーカーがうろついていてね」


「えっ、ストーカー? 大丈夫なんですか?」


 店長、美人だからな。

 客がストーカー化する事件はよくある。


「困ってるよ。キミにやっつけてほしいんだが……」


「任せてください!」


「ありがとう。私を追い回しているのは……こいつらだ」


 店長は数枚の名刺を取り出した。

 全員別人で、中には女性らしき名前もある。

 そして、彼らの所属はなんと税務署。


「やっつけてくれ」


「それ、国とかに怒られちゃうんじゃ?」


 店長は膝を組んで肩を落とした。


「つまりこうだ。キミにバイト代くらいは払わないと、税金が上がってしまうのさ」


「そうだったんですか」


 事実上、働かなくても暮らしていけるってわけだ。

 羨ましいにもほどがある。ああ、憧れの家賃生活!


「どっちにしろ客のほとんどは近所のご老人さ。朝が早いから、この時間はわりと暇なんだ。まあ、慣れたら仕込みも手伝ってもらうとしよう。……お、珍しく若いお客さんだ」


 ドアベルがチリン、と鳴る。

 ぼくはこの音がわりと好きだ。


「あっ……」


「あっ、じゃないでしょうが。ほら、早くおしぼりとお冷や、持ってきな」


 ぼくは言われたとおり、その客が座るテーブル席に向かった。

 どうしてもドキドキするし、動きもぎこちなくなっちゃう。


「あら。ずいぶん無愛想な店員さんね」


 斉藤さんはクスクスといたずらっぽい笑みを浮かべる。

 正直を言えば、ぼくははらわたが煮えくりかえりそうな気分だった。

 どうしてここに来たんだろう。

 ぼくがここでバイトを始めたことを知ってるのは、雲雀ヶ崎と……城医師だけだ。

 やっぱり城に聞いたんだろうか。

 その上で、ぼくを冷やかしに来たんだろうか。

 おっと。店長がすごく怖い目で睨んできたぞ。

 言いたいことは色々あるけど仕事、仕事。


「……ご注文は」


「レモネード」


 この間ぼくと座ったのと同じ席に、今回は一人で斉藤さんは座っている。

 窓から差し込む夕日がキラキラと眩しくて、よく顔が見えない。

 斉藤さんはレモネードのグラスを軽くストローでかき混ぜ、一口だけ飲む。

 不本意ではあるけれど、その光景はまるで映画のワンシーンみたいで、ぼくは思わず見とれていた。


「山田くん。私は用があるから二階にいる。店が混んできたらインターホンで呼んでくれたまえ」


「は? いやしかし」


「頼んだよ」


 店長はそのまま奥の階段を上がり、自宅のある二階に上っていった。


「…………」


 ぼくは一人残される。

 確かに客は一人しか居ないし、やることはもうほとんど無いんだけど。

 いやいや、ぼくにどうしろってんだよ。

 正直に言うと、今すぐにでも店を飛び出してどこかに消えたい。


「座ったら? 真面目な店員さん」


「……わかったよ」


 ぼくはコップに水を汲むと、斉藤さんの向かいに腰を下ろした。


「前もここだったわね」


「そうだね……うん?」


 斉藤さんのまぶたは真っ赤に腫れて、何度もこすったのか鼻の頭も赤らんでいる。


「どうか……したの?」


 斉藤さんはまぶたを伏せ、コップのレモネードを呷った。

 いささか乱暴に、空のコップをコースターに置く。


「中央病院の城先生、いるでしょ」


「うん」


 ぼくの喉はカラカラに渇き、みぞおちのあたりに嫌な感覚が湧き上がってくる。

 震える手で水を飲むけど、落とさないようにコップを置くので精一杯だ。

 心臓は百メートルの全力疾走を終えたみたいにバクバクしてるし、それが斉藤さんにバレやしないかと気が気でない。

 なんでよりにもよって、ぼくに城の話をするんだ。


「城先生……結婚するんだって」


「えっ」


「今日、病院で聞いたの。相手は大学時代の同級生だって」


「……そっか」


 斉藤さんは城医師がいかに親身になって治療に当たってくれたか、いかに人間として優れた大人の男か、いかに広い知識と深い見識を持っているかを語り始めた。


「…………」


 ぼくはホルダーからペーパーナプキンを一つかみ取ると、黙って差し出した。

 ケチケチせず厚さ一センチくらい。


「ん……」


 斉藤さんは目の周りを拭い、大きな音を立てて鼻水をかんだ。

 ぼくはいたたまれなくなって、どうしたものかとしばらく悩んだけど、とりあえず空になったグラスを新しいレモネードと取り替えた。


「これ、飲んで」


「…………ありがと」


「城先生のこと……好きだったんだね」


 ぼくは、斉藤さんの顔を見ることなんてできやしなかった。

 震える細い肩に、ぼくは手を伸ばそうとして……やっぱり疲れていたんだろうか、幻聴が聞こえてきた。

 幻聴は竜宮院の声で、こう言ったんだ。


 ――こういう時、女をコロッと落とせるだろうなあ。チャンスだ! 行け!


 ……ってね。でも、また別の幻聴が聞こえてくる。

 今度は雲雀ヶ崎の声だ。


 ――人の弱みにつけ込むんですか? 最低です!

 

 ……って。どうすりゃいいんだよ。

 いや本当、どうしよう。こんな時、なんて声を掛ければいいんだ。

 そんな時、一人の男の顔が浮かんだ。

 そうだ、城先生ならきっとこう言う。


「お腹いっぱい食べて、ゆっくりお風呂に入って、今日は早く寝るといいよ」


「……うん」


 斉藤さんが律儀に二杯分の代金を払おうとするのを、あれはぼくのおごりだからと押しとどめるのが、すごく大変だった。

 城一郎先生は、やはり名医だ。

 何せ、ぼくを治すくらいだもんな。

 斉藤さんには申し訳ないけど、その時のぼくはそう思った。


 その日は、メタボで薄毛でアニメキャラのTシャツを着たおじさんが一人来て、さっそくインベーダーゲームに熱中していた。


「必殺! 名古屋撃ち!」


 ものすごい勢いでハイスコアを更新していく。

 おじさんは閉店まで一〇〇円で粘っていた。運命って変えられるんだな。

 すごい人もいるもんだ。

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