白沢さんは変わってる

皐月咲癸

白沢さんは変わってる

 白沢さんは変わってる。


 白沢さんはわたしのクラスメイトだ。

 身長はやや小さめ、眼鏡をかけていて、肩甲骨くらいまである黒髪を地味な色のゴムでくくっている。

 髪を染めていることもなければ、ピアスを開けたり、化粧をすることもない。ましてや制服を着崩すこともない。

 至って真面目な優等生だ。


 もちろん成績もいいらしくて、噂では常に学年上位を維持しているとか。

 毎回どれか一つは赤点ギリギリのわたしからすれば、理解しがたい成績だ。


 そんな品行方正で成績優秀な白沢さんだけど、一つだけ変わってることがある。


 それは席替えのとき、必ず一番前に自分から希望して座ることだ。


 しかもただの一番前じゃない。

 先生が授業をするときに使う教卓。その目の前に必ず座りたがる。


 わたしたちの学校では席替えのとき、目が悪いなどの理由があると自己申告をした上で最前列と二列目までの十二個の席の中から好きな席に座ることができる。


 白沢さんは本人いわく『目が悪くて黒板が見えづらいから』という理由で前に座りたがるけど、わたしはそれが嘘じゃないかと疑っている。

 なぜなら、ほかの教室で授業が行われる際に黒板から離れた位置に座ることになっても、黒板を見づらそうにするそぶりを見せないし、席を変えようともしないからだ。


 そもそも、白沢さんは最初の数回の席替えでは普通にくじを引いていた。

 確か三回目くらいから、自分で希望して前に座るようになったのだ。


 だから私の見立てが正しいとすれば、白沢さんは嘘をついてわざわざ教卓の目の前なんていう場所に率先して座っているということになる。


 わたしたち高校生にとっての席替えとは、『特等席』である窓際の一番うしろの席に座ることができるのか、そして周りには誰が座るのかで一喜一憂する月に一度の大イベントだ。

 それをふいにして、しかも先生の目の前の席に座るなんて。

 わたしには到底理解できない。


 だからやっぱり、白沢さんは変わってる。



★☆★☆★



 十月。

 体育祭が終わって、暑さもいい感じに和らぐ素晴らしい季節。


 運動の秋、食欲の秋、睡眠の秋。秋とつければ何でも許されそうなこの良き季節に、わたしは席替えで大敗北を喫していた。


「おつかれ〜、優湖。特等席にはもう慣れたかにゃ〜?」


 休み時間になるや否や、そう言ってニマニマしながら話しかけてきたのは親友の沙奈だ。


 沙奈とは中学からの付き合いで、高校受験も二人で頑張った仲なのでほかの友達よりも親友感は強い。


 そんな沙奈がこうやって休み時間にちょっかいをかけに来ることは、もはや恒例行事になっていた。


「う〜る〜さ〜い〜。沙奈はいいよね。一番うしろの列なんだからさ」


「なはは、そうピリピリしなさんなって。にしても優湖、運がなかったよね〜。まさか白沢の真後ろなんてさ」


 そう、わたしは数日前の席替えで、よりによって白沢さんの真後ろに座ることになってしまった。


 高校入学から今までの席替えの回数は四回。

 今までなんだかんだ前の方は避けていたんだけど、流石に最後まで逃げ切ることは叶わなかった。


「ちょっと眠気が襲ってきただけでもすぐバレちゃうんだよね、この席」


「あ〜、たしかに最近優湖が注意されてるとこよく見るかも」


「『よく』はないだろ〜!」


「いや、さっきの授業もセンセイにバレて怒られてたじゃん」


 その通りなんだけどね。何ならさっきどころじゃなくて、昨日も怒られたんだけどね。


「うぐ、まあ、そうなんだね……。でもわたし的にはそれよりも、先生と目が合うことが増えたのが嫌かな……。おかげで指名されることが多くなってめんどい」


「あ〜、優湖、いろんな先生と結構仲いいもんね〜。反応も面白いし、当てやすいんでしょ」


「面白いって……。はぁ、面倒な席だなぁ」


「にゃはは、ガ・ン・バ♡」


「このっ……!」


 そんな感じでじゃれていると予鈴が鳴った。


 沙奈はそそくさと自分の席に戻っていき、もともと自分の席に座っていたわたしはそのまま先生が来るのを待つ。


 しかし改めて前の席になって思う。

 こんなところにいつも希望して座ってる白沢さんは変わってる。


 やっぱり教卓の近くだからだろうか、とにかく先生の目につく頻度が多すぎる。

 何しててもだいたいバレてしまう。

 こんな席に好き好んで座るなんて、一体どういう神経をしているのかさっぱりわからない。


 そんなことを考えてたらすぐに先生が来て、次の授業が始まってしまった。


 この席は、本当にハズレだ。




 なにをしてもバレてしまうのでしばらく授業をちゃんと聞いてたけど、そろそろマジメちゃんにも飽きてきた。


 とは言っても授業中にスマホ触るとか周りの席の子とおしゃべりするとかしてるとすぐに注意されるし、何をしようか。


 何か面白いことはないかと顔を上げると、白沢さんの後ろ姿が視界に入った。


 乱れることなく揃えて束ねられた髪の毛。

 定規でも入っているかのように伸びた背筋。

 最近衣替えで着るようになった長袖のシャツにはシワの一つもない。


 そんな後ろ姿をぼーっと眺めていて、ふと思いついた。


 そうだ、白沢さんを観察しよう。


 大した理由なんてない、ただの思いつき。

 だけどもしかしたら、結構面白いかもしれない。だって白沢さん変わってるし。


 何より先生に怪しまれないようにしつつ、面白そうなことができれば何でもよかった。


 それから私は、授業中ヒマなときは白沢さんを観察するようになった。



★☆★☆★



 十月も終わり、以前にもまして寒くなってきた。冬服のブレザーや学ランを着てるクラスメイトが増えてきて、いよいよ冬の訪れを感じる。


 この一ヶ月間、授業中に先生によく当てられつつも、話を聞くのが飽きるたびに白沢さんを観察していたわたしだったが、おかげで彼女についてかなり詳しくなった。


 例えば、白沢さんは普段あまり感情を表に出さない。

 別にコミュニケーションがおかしいというわけではないんだけど、いつもそっけないというか、業務連絡的で感情を伺うことは難しい。

 そう思っていたし、おそらく沙奈とかのわたしの友達も、なんならクラスで白沢さんに絡みがない人の多くはそんな認識だと思う。


 しかしよくよく見てみるとそんなことはない。


 小テストのときとかは結構わかりやすくて、テストが返されて点数が良かったときは小刻みに揺れるし、逆に悪かったときは少し肩が下がってしょんぼりする。


 しかも点数の良しあしを結構引きずるタイプらしくて、特に点数が悪かったときはそのあと一日中しょんぼりしていて元気がないし、休み時間はずっと勉強するようになる。


 他にも、授業中やホームルームで先生が話すときはしきりに相槌をうったり、他の生徒が黒板に書く回答が間違ってることに気づいたときはもどかしそうにしたりと、結構動いているのだ。


 それは本当に些細な動作でよくよく観察していないとわからないレベルだけど、決して白沢さんは無感情なタイプではないことがよくわかった。


 その他にも、いつも同じ結び方だと思っていた白沢さんの髪の毛だが、毎日ちょっとずつ違うことに気がついた。


 最初のうちは違いが若干すぎてただの誤差かなと思ったんだけど、どうやら曜日によって使うヘアピンやゴム、そして結ぶ位置や前髪の分け方を決めているらしい。


 そもそも髪の毛自体めちゃめちゃ手入れが行き届いてるし、ピアス開けたり派手な化粧をするほどではないにせよ、オシャレはかなり好きなんだろう。


 そんな感じで、この一ヶ月の間に白沢さんのことについていろいろなことを知ることができて、わたしは白沢さんのことが好きになった。

 今まではあまり話す機会がなかったけど、今度話しかけてみようと思う。


 さて、暇だったんでこの一か月で得られたことを振り返っているうちに、わたしの十一月の席が決まったらしい。


 わたしのクラスでは担任の福丸先生が黒板に席の枠を描き、そこに適当に数字を入れていく。

 それと同時にクラス委員が番号が書かれた小さな紙が入った袋を持って生徒の席を周り、順番が来たらくじを引いていく。

 最後にみんなで一斉にくじを開け、先生が書いた数字と一致した場所に座るというのがスタイルだ。


 わたしは自分のくじに書かれた番号を確認して、黒板を見る。えっと、二十四番はどこかな……


「……えっ!?」


 自分の数字を見つけたとき、思わず小さな声が漏れ出てしまった。


 何度か自分の番号と黒板の数字を確認するが、間違ってない。


「それじゃあさっさと移動しろよ〜。もたもたするな〜」


 福丸先生に促されて、わたしたちは席を移動する。机の大きさはどれも一緒なので、引き出しの中の荷物と机の横にかけてる鞄を持ったらすぐに移動だ。


 クラス中が移動でごった返す中、いつものように身動き一つしない白沢さんを見る。


 もうこの後ろ姿を見ることはしばらくないと思うと、少し寂しくなった。

 たった一ヶ月だったけど、面白い一ヶ月だったと思う。


「じゃあね、白沢さん」


 わたしはクラスの喧騒の中、白沢さんには絶対に聞きとれないであろう大きさで別れを告げた。




 ほかのクラスメイト達はまだ移動中でクラスがざわついているけど、わたしは席がわかりやすかったこともあってすでにお引越しを終えていた。


 一人で周りに誰がくるのか少しわくわくしながら座って待っていると、よく見知った顔がニヤニヤしながらこちらに歩いてきた。


「よっす優湖。お隣だね?」


「えっ、そうなんだ! 嬉しいけど、ベンキョーの邪魔しないでね?」


 今回の席替えで私の隣の席になったのは、なんと沙奈だった。

 それなりに仲のいい子と席が近いことはあったが、沙奈がこんなに近くに来たのは初めてだ。


「よく言うよ。優湖っていつも赤点ギリギリじゃん。そんなお勉強に不真面目な優湖チャンが、窓際の一番うしろなんていう特等席に座っちゃっていいのかにゃ〜? ますますお勉強しないんじゃない?」


 そう、今月から私の席は、窓際の一番うしろなのだ。いわゆる特等席ってやつ。


 ついさっきまで白沢さんの真後ろ、先生からかなり近いところに座っていたのに、今度は一番遠いところだ。

 たったそれだけのことなのに、クラスが全然変わって見える。


「ま、さっきまでいた席と比べればねぇ」


「なはは、それは比較対象が悪すぎるね。それにしても優湖、ちょっと思ったけど、せっかくの特等席なのにテンション低くない?」


「……そんなことないって。めっちゃ嬉しいよ」


「そうかにゃぁ」


 沙奈のくせに、意外と鋭いじゃん。


 実のところ、沙奈の指摘は正しい。1ヶ月前まではあれだけ望んでいた席のはずなのに、なんとなくテンションが上がりきらない。


 心の中に霧がかかったように、自分の気持ちがよくわからない。


 それをごまかそうと、わたしは声を気持ち明るくした。


「ま、先月厳しかったわけだし、今月は楽させてもらうとしようかな!」


「それもそうだね。とりあえず、今月はよろしく!」


 そう言って差し出された沙奈の拳に、わたしは笑顔で拳を合わせた。




 席が変わって一週間が経った。


 最初の数日は登校したときに一瞬白沢さんの後ろの席に向かってしまいそうになることもあったけど、流石に一週間も経つと慣れてそんなことは起こらない。


 なんだかんだ言って初めて座った窓際の一番うしろの席だけど、座ってみるといろいろなことがわかった。


 例えば、先生からの指名。

 わたしの想像していた以上に先生から差されることが少なくて拍子抜けした。

 こんな席だし逆に結構当たるのかと思ってたけど、明らかに指名される頻度が減ったのだ。

 まあこれに関してはわたしの周りが沙奈を始めとしてかなり仲良しな友達で固まっていて、騒がしくなる頻度も上がり、そっちが当てられることが多いっていうのがあるかもしれないけど。


 例えば、授業中。

 ふと顔を上げると、自然とクラスの全体が見える。白沢さんの後ろの席だったときは顔を上げると白沢さんが見えていたけど、今はクラスそのものが見える。

 板書をメモする人が多いけど、寝てる人とか、こっそりスマホを見てる人とか、いろんな人の姿が見える。


 そんなとき、わたしは不思議と寂しい気持ちになる。

 先生から指名されず、私だけクラス全体が見えているとき、クラスから隔絶しているような感覚になる。


 そんなときのわたしはきっと、みんなの輪の中に入れてないんだろう。


 今だってそう。

 先生の話に飽きて、前までは白沢さんを見ていたけど、今はクラス全体をボート眺めてる。その中にわたしはいないし、白沢さんはみんなの一部だ。


 ふと、何気ない気持ちで白沢さんを見る。今彼女は、何を考えているんだろうか。


 あれ、白沢さんの様子がちょっと変だ。


 いつも黒板と机の上を往復していた頭が、今は机を向いてなかなか動かない。

 動いたと思ったら、すぐに机を向いてしまう。


 一体どうしたんだろうと思った矢先、びっくりすることが起こった。


 白沢さんが、船をこいでいたのだ。


 授業は真面目に聞いてて、よく話してる友だちにあとでノートを写させてあげて感謝されていたくらい完璧だった白沢さんが。


 わたしが後ろに座っていた1ヶ月の間、白沢さんが授業中に眠そうな素振りを見せたことは一度もなかった。

 毎日毎時間観察していたんだから間違いない。


 なんだろう、白沢さんのことがすごくかわいく見えてきた。


 それは、いつも完璧だと思っていた白沢さんの気の抜けたシーンを見ることができたからだろうか。


 そして、それと同時にあることに気づいてしまった。


 それは白沢さんがあの席を狙い続けている理由だ。


 白沢さんは決して真面目一辺倒な人ではない。

 気づきにくくはあるけどオシャレだってするし、授業中に居眠りすることだってある。


 だからこそあの位置なんだ。


 先生の目の前、いや、『真下』のあの位置だ。


 灯台もと暗し。まさにそのとおりだろう。


 先生は授業中、基本的にまっすぐ前を向く。

 人間、自然体でいたら視線が前を向くのは当然だ。更に先生は教壇に立っているため視線の位置が高い。

 そんな状態の先生から見える教室は、たしかに後ろの方まで見えるかもしれないけど、真下というのは案外見えてない。


 だから、先生の話を聞き取りやすく、板書も見やすく、一方で先生の視界には入りづらい席を白沢さんは希望する。


 そう考えると、私が先月座っていた前から二番目っていう席じゃダメだっていうこともわかる。

 あそこの位置は先生の視界にぎりぎり入っていて、視界の端で余計なことをしていたら意識が向いてしまうんだろう。

 だからわたしが座ったときは、先生と目が合うことが多いって感じたんだ。


 やっぱり、白沢さんは変わってる。

 それに気付くなんて、なんて賢くて狡猾なんだろう。

 でも、普通は他の人と変わったことをしようものなら周りの目を気にしてしまうもので、実行に移せてしまうのはやっぱり変わってる。


 そんな変わってる白沢さんの考えに気づいて、白沢さんの内に秘めたものを知ることができて嬉しくなってるわたしも、変わってるのかもしれなかった。



☆★☆★☆



「お前ら、この時間で席替えするぞ〜」


 ロングホームルームの途中、先生の気の抜けた声とは裏腹に教室に緊張が走った。


 季節は秋を通り越してすっかり冬だ。

 窓際の一番うしろの席は季節の変化を如実に感じられて、そういうところも楽しかった。


 この一カ月間、わたしは特等席を堪能した。


 堪能した上で出した結論。それをいまから行動で示そうと思っている。


「目が悪いとか頭が悪いとかで、前に座りたいやつはいるか〜? あ、白沢はもうわかってるからそこでいいぞ」


「あはは、先生ひどーい」


 クラスが笑いに包まれる。

 このやり取りはもうすでに何度めかで、お約束っていうやつだ。


 まあ、ここからはお約束じゃなくなるんだけどね。


「それで、白沢の他に前に座りたいやつはいないな〜?」


 いるわけないよね、という空気が教室に充満する。

 空気を破るっていうのは、やっぱり緊張するものだ。


 きっと白沢さんも、最初に手を挙げたときは緊張したのだろう。

 その経験をわたしもできていると考えると、このドキドキも悪くはない。


 わたしは空気を求めて水面を目指すように高らかと手を挙げた。


「先生、わたしも前に行きたいです」


 瞬間、わたしの世界は大きく変わる。




「これから隣、よろしくね。白沢さん」


 わたしは笑顔で隣の席の白沢さんに声をかける。


 すると彼女はとても意外そうな顔で、そして複雑そうな顔で微笑んだ。


「……うん、よろしく」


 そのとき初めて、わたしたちという点が繋がった気がした。

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