春雷響く

 私が仕える姫様ひいさまは野に咲く花より手折るが容易い弱々しきお方でありました。


 吹けば消える蝋燭の灯が如く。

 天蓋に瞬くかすかなる星灯りが如く。


 その儚さは目が離せない危うさを孕んでおりました。

 さすれば片時も離れずにはおれません。


 今日も今日とて春雷の轟きに大層驚かれた姫様ひいさまは立ったまま気絶されました。

 私がお傍にいなければ、倒れた拍子にこうべを強か打ち付け大事に至ったやもしれません。


「……んん」


 膝枕の上で閉じられた姫様ひいさまの瞼がゆっくり開くと、空の青より澄んだ眼が私をみます。


「お目覚めになられましたか」

「喉が渇きますの」


 水を注いだグラスを姫様ひいさまに渡す。

 喉を小さく鳴らしながらゆっくりと水を飲む様は、食欲旺盛なひな鳥を思わせます。


「もう日は暮れてしまったのね」


 眉を下げ姫様ひいさまは呟きます。

 それもそのはず。

 昼にあった来客者と会うのを楽しみにされておりました。


 旦那様が得意の客とされる調香師の女。


 その調香師はすこぶる弁が立ち、暇を持て余す貴族たちは懇意とします。例に漏れず姫様ひいさまもこの調香師を大層気に入られております。


 調香師の振りまく妖艶な色香を感じさせる振る舞いが姫様ひいさまの心を掴んでいることは言うまでもない。


 気がかりが一つある。

 調香師とお会いになられる時に限って、姫様ひいさまは私を下がらせます。


 この片時に何が行われているのやら…………。


 姫様ひいさまのお世話をつかまつる者として、この預かり知れぬ片時が気がかりでなりません。


「ところでお食事はどうなさいますか」


 脳理にふとよぎった無粋な詮索心を追いやり姫様ひいさまに問う。

 時を同じくして振り子時計が鐘を幾度か鳴らして、夜の深さを告げます。


「結構よ」

御意ぎょいにございます」

「もう下がりなさいなダフネ。私に付きっきりだったのでしょう。貴女あなたこそ食事をとりなさい」

「お気遣い感謝いたします」


 あるじに気を遣われてしまいました。

 恥ずべき醜態に全身の血が駆け巡り赤面を禁じ得ません。

 たまらず私は寝室から退散します。

 猛省せねば。


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