第3話 落日の王の神殿

 エルオーロは、東へ広がるメーザ大陸の北西にある大きな半島部分に位置する国である。西に大きく伸びる半島の先端には黄金王をまつる神殿がある。半島といってもその土地の広さは広大で、森林のすき間に農地や牧草地が点在し、時々、小屋が集まったような村落がある。


 ヒラクたちは町に野菜を売りに来た農夫の帰りの荷馬車の荷台に乗って、町外れまで移動した。

 さらにそこから隣の村落へ用向きのある馬車を探しては、交渉し、移動する。その繰り返しだった。


 季節は冬を迎えようとしている。収穫を終えた畑の土が木枯らしにさらされている。野ウサギが枯草をつついている。今にも雪が降りそうな鉛色の空を渡り鳥の大群が南へ向かって飛んでいく。

 

 荷馬車に揺られ、ヒラクは冷たい風を頬でぴりぴりと感じながら、立ち枯れた木々が目につく寒々しい大地を眺めていた。


 村落から村落へ移動し、また違う農夫の家で一夜を明かすと、翌日は馬を借り、ジークとハンスはそれぞれヒラクとユピを乗せ、そこからさらに西に向かった。目的地は近い。


 その日は早朝には出発した。

 なるべく一夜を越さないようジークは急いでいるようだった。

 

 そして日も傾いてきたころ、ようやく西の半島の先端にたどり着こうとしていた。


 やっとたどり着いた場所は、切り立った崖の上だった。


 ヒラクは馬から降り立つと、強い海風にあおられた。

 視線の先には壮大な海の眺望を背景にした大きな石の建造物がある。


「あれが黄金王の神殿でさぁ」ハンスが言った。


 ヒラクは神殿まで近づくと、正面入り口の屋根を支えるようにして立ち並ぶ巨大な円柱に圧倒され、息をのんだ。

 中へ入ると前庭が広がっており、両側の建物の庭に面した廊下の細い柱がずらりと並んでいる。その整然とした柱の列は、秩序や完全性を主張しているかのようで、ヒラクはどこか居心地の悪さを覚えたが、その豪華さと技術の巧みさには驚嘆するものがあった。

 前庭を抜けると、低い石段を前に構えた神殿の入り口がある。

 神殿の内部の床は長方形に伸びていて、両長辺の側廊部を区切る列柱が、中心部の身廊に沿って奥の祭壇まで連なっている。ヒラクの目は、その祭壇に引きつけられ、その上に安置されている神像を捉えた。


 奥の祭壇は半円形の張り出しにあり、その上に大理石の神像がある。

 半円部の天井から壁にかけてガラス窓が埋め込まれ、降り注ぐ光を浴びて、神像は濡れたように輝いている。その美しさと神秘性にヒラクは心が震える感覚に襲われた。それは美への共鳴か神への畏怖か、ヒラクにはよくわからなかった。

 窓の外には海と空が広がっている。その景色は心に静けさと平和をもたらす。


 しかしヒラクは神像が正面を向いていないことを不思議に思った。


 神像は正面に背を向けて、海に向かって前足を大きく踏み出して、駆け出すような格好だ。

 向きが逆なのではないかとヒラクは思ったが、神像の後ろ姿を前にして、その足元にひざまずく老人がいる。

 ヒラクは視線を落とすと、初めてその老人の存在に気が付いた。


「落日の王の一族よ」


 ジークは腰まで伸びた白髪のやせこけた老人に向かって声を掛けた。

 祭壇の前でひざまずく老人は、ジークの声を背で受け、少し間を置いて、静かにその場に立ち上がる。


「そのように呼ばれることはもはやないものと思っておりました」


 老人はゆっくりと振り返った。灰色がかったあごひげが白のローブの胸のあたりまで伸びている。


「黄金王の意志を受け継ぐ者がみつかったのですな」


 そう言って老人は目を細めてユピを見た。


「いえ、彼は……」 


「ジーク、しゃべっていいの? 神語使っていいの?」


 老人の視線がユピを捕らえているのを見て、ジークは何か言おうとしたがヒラクにさえぎられてしまった。


「これが神殿? あの石の柱、誰がどうやって立てたの? この像は何? 何で後ろに走ろうとしてるの? 黄金王はどこ?」


 それまで押しとどめていた言葉を一気に吐き出すようにまくしたてるヒラクを見て老人はあ然とした。


「この者は……?」


勾玉主まがたまぬしですよ」


 ハンスはにやにや笑って言った。


「いや、だが、しかし……」


 老人は戸惑いを隠せない。


「ねえ、なんでここでは神語使っていいの? 黄金王とも神語で話していいの?」


 ヒラクは今度はジークではなくハンスに聞いた。


「神に関わる場所では神語が使われていても不自然じゃないんですよ。それに俺たちはここに勾玉主を連れてきたら神官には神語で話すように言われているんです。それから……」


 ハンスは神像を指差した。


「あれが黄金王でさぁ。神語で話そうと何語だろうと、死んだ人間と言葉なんてかわせやしません」


「なーんだ、黄金王って死んじゃったのか。でも黄金王は太陽神なんでしょう? 太陽神には会えるの?」


 ヒラクは無邪気に尋ねた。

 老神官は手であごひげをのばしながら言う。


「太陽神に会う? 神に会おうなどとはおもしろいことを言いなさる。そのようなことを思いつく者など……」


 そう言いかけて、老神官は長いひげをつかんだまま、あごに手をあて、何やら考え込むような表情で、ヒラクのそばに歩み寄ってきた。そして今初めて見るような目でヒラクの顔をじっと見た。


「……過去に一人だけ、あなたと同じことを言った若者がおりました。若者は、不思議な勾玉に導かれ、太陽神に会うためにこの神殿から東へと旅立ちました。その若者こそ後に黄金王と呼ばれた人物です」


「黄金王も勾玉を持っていたの?」


 ヒラクは好奇心いっぱいの目で老神官を見た。その琥珀色の瞳以上の輝きがヒラクの手の中からあふれ出た。


「あれ? これって……」


 ヒラクはこぶしを開き、握りしめていた物を見た。

 ヒラクの広げた手のひらに水晶の勾玉が乗っている。透明な光に包まれるように発光し、水晶はまぶしく輝いた。

 ヒラクは光の粒のような水晶をしげしげと眺めた。このようにじっくりと観察するのは初めてのことだ。


「僕にも見せてくれる?」


 ユピはヒラクの手のひらにある勾玉をのぞき込んだ。


「きれいだね。だけど、僕が触れたらまた消えてしまうのだろうね」


 ユピはさびしそうに笑った。


「ユピ、これ……」


 ヒラクはユピの前に勾玉を差し出した。ユピが欲しがるならあげてもいいと思った。

 ユピはヒラクに微笑みかけるが、その手で勾玉に触れようとはしない。


「触れればはかなく壊れてしまう」


「壊れたりなんてするもんか」 


 ヒラクはまっすぐユピを見て、勾玉を強く握りしめた。

 しかし再び開いた手のひらにはもう勾玉はなかった。


「こいつぁたまげた。まるで手品だ。もちろんタネも仕掛けもねぇんだよな?」


 ハンスは目を瞬かせてジークに尋ねた。


「あたりまえだ」


 ジークはそっけなく答えて老神官に目をやった。


「神官殿、あれこそまさしく勾玉主の勾玉です」


「……あれが勾玉……だが、しかし……」


 老神官は釈然としない様子だ。


「何か問題でも?」


「いや……私とて本物は見たことがない……。だが今見た勾玉は無色透明の光だった」


「黄金王の勾玉はちがうの?」


 ヒラクの問いに老神官は深くうなずく。


「教えてよ。勾玉のこと、黄金王のこと」 


 ヒラクは老神官に話をせがんだ。


「……夕刻の礼拝までまだ少し間があります。どうぞこちらへ」


 老神官は神像がまつられた神殿を出て、庭に面した廊下へと案内した。


 ヒラクの心は、黄金王と勾玉の伝説への期待と興奮でいっぱいだった。

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