第36話 絶好の機会
生徒の一斉下校時刻が迫っている。10分後には校内放送が入り、校内に居る生徒たちが玄関に向かい出すだろう。できればその前に準備室を出ておきたい。清水と二人きりでいるところをほかの生徒たちに見られたくない。
明寿と清水は視線を交わす。清水が席を立とうとしたが、明寿は手でそれを制した。
(外に居るのは荒島だろう)
清水と二人きりにしたことを心配して見に来たのか。清水から話は聞けたが、要領を得ない話だった。これ以上、この準備室に長居する必要はない。明寿は平静を装って、扉のたたく音は無視して話を続ける。
「甲斐君が警察に捕まらないなら、それで結構。ですが、あなたはきっと簡単に死ぬことができるでしょう。心優しい私が、清水さんの為に、プレゼントを用意しました」
(急だが、これはまたとない機会だ)
明寿は今の状況を利用することにした。たった今思いついて、即興で立てた計画だが、果たしてうまくいくだろうか。うまくいかなくても、彼女たちの間には大きな溝が出来るに違いない。
「プレゼント?」
清水は首をかしげているが、気にすることはない。
明寿はカバンからペンケースを取り出し、赤ペンを取り出した。そして、清水に背を向けて扉の前まで歩き、そこで立ち止まる。深呼吸して気持ちを落ち着かせる。そして、清水にばれないよう、慎重に制服のカッターシャツのボタンを胸元まで外し、襟もとに赤ペンを塗りたくる。ベルトを音が立たないように緩め、スラックスのボタンも外してチャックも外す。
扉を開けたら、この準備室は悲劇の舞台に早変わり。とはいえ、高梨を失った悲劇に比べたら、まったく心は痛まない。
「どうぞ」
「流星君!そろそろ、下校の時間だけど、話は終わった?あれ、その服はいったい……」
ここからは明寿の演技力がカギになる。扉を開けると、明寿の予想通り、荒島が立っていた。
「先生、僕……」
「ど、どうしたの、その恰好。もしかして、そこのメギツネに……。なにも言わなくてもいいわ。怖かったでしょう?先生がきたからには、もう安心だから」
荒島は明寿の乱れた服装を見て、一瞬般若のような怒りの表情を見せたが、すぐに心配そうな顔になり、明寿を心配するように顔を覗き込む。明寿は、基本的に放課後はカッターシャツの下に着ているTシャツを脱いでいる。今の明寿はカッターシャツのボタンを空けた胸元からは素肌が覗いている。ベルトを緩め、スラックスのボタンも外しているので下着が見えそうになっていた。
胸元まで開け放たれたカッターシャツにベルトが緩められ、チャックが外されたスラックス。首元の意味深な赤いシミ。清水との既成事実があっという間に完成だ。清水の化粧は薄く、襟もとに赤いシミなどつきようがない。さらには、清水の性格上、明寿を襲うなどありえないことは荒島もわかっているはずだ。それなのに。
(あまりに単純すぎる)
明寿のことになると、バカになるらしい。簡単に騙されてくれた。
前に辞めた学校でも同じようなことを繰り返しているだろうに、懲りない女だ。明寿は笑いそうになるのをぐっとこらえて、じっと荒島を見つめる。二人の会話にただならぬものを感じて、清水が準備室から会話に入ってくる。
「どうしました?ちゃんと約束通り、部活動の時間だけ白石君をお借りする予定で、そろそろ話を切り上げて、荒島先生の元に向かおうと思っていたんです。なにか問題がありましたか?」
「問題も何も、これを見なさい。流星君は魅力的だからって、すぐに手を出すなんて、最低な女!」
廊下に荒島の大声が響き渡る。今この時間に教室にいる生徒はいないのが幸いだった。廊下には誰もいない。
「おい、白石。これは、どういうことだ!」
(今日はかなりのラッキーデーだ)
廊下には誰もいなかったが、階段から新たな人物が廊下を走って準備室の前に現れた。清水が明寿と二人きりになっていることを知り、心配で見に来たのか。タイミングが良すぎる登場から、清水に盗聴器でも仕掛けていた可能性がある。
準備室の前に現れたのは、明寿のクラスメイトの甲斐だった。全速力で来たのか、息切れしている。明寿たちの会話を聞いていたのか、かなり動揺した様子だ。
甲斐は野球部のユニホーム姿だった。ということは、今まで部活はしていたのか。泥だらけの姿に笑いが込みあげる。清水が心配で部活から抜け出し、ここまで来たのだろうか。
愛しい人のためなら、なにをしていても駆けつける。なんと美しい光景だろうか!
「では、私はこれで失礼します。あとのことは、三人で仲良く話し合ってください。では」
明寿は準備室に戻り、カバンの中からスプレー缶を取り出す。荒島との関係に限界が来たら使用しようと思っていたが、思ったより早く使いどころがやってきた。カバンを肩にかけて荒島や甲斐を通り過ぎていく。ある程度の距離を取ったところで立ち止まる。
「な、なにを」
荒島と甲斐が驚いた顔をしていたが、明寿は無言で荒島と甲斐の顔にスプレーを容赦なく吹きかけた。突然の明寿の行動に、彼らは動くことが出来ず、まともにスプレーの中身を浴びてしまう。
(ただの催涙スプレーで死ぬことはない)
「目が……」
「な、涙が」
「ど、どうして……」
荒島と甲斐はそれぞれ目を抑えてその場にうずくまる。甲斐は反撃しようと明寿に詰め寄ろうとしたが、目が見えない状態なので、明寿でも簡単に倒すことができる。恨みを込めて思い切り頭を踏みつぶす。目と頭の痛さに甲斐はうめき声を出して地面に跪く。
1~2時間程度、彼らの視界は悪いままだろう。明寿は弱った彼らに更なる攻撃を開始する。
「いたっ!」
「や、やめろ!」
「どうしてこんなことを!」
「さっきも言ったでしょう?三人で今後のことでも話し合ってくださいって」
明寿は彼らの背中を蹴りつけ、無理やり準備室に彼らを閉じ込める。荒島と甲斐が部屋に入ったことを確認して、明寿はポケットから準備室の鍵を取り出した。あとは、この教室に鍵をかけるのみ。
(これでどうにかなるとは思っていないけど)
何かしらの成果は出るだろう。とりあえず、荒島と清水が自分を争って口論になるはずだ。さらには、そこに甲斐がいることで、甲斐は明寿と清水の関係を疑うだろう。そして嫉妬するに違いない。だとしたら、とても面白い構図になる。
「われながら悪趣味な人間になったものだ」
昔の自分なら絶対にこんなバカげた行動をとらなかった。鍵だけでは中から開けられてしまうかもしれない。明寿は彼らが出られないように、更なる措置を施していく。カバンにたまたま入っていたガムテープを取り出して、扉が開かないように、扉の境目にしっかりとガムテープを張り付けていく。
こうして、あっという間に準備室は使用禁止の開かずの教室に様変わりする。きっと、廊下を通った生徒たちは不審に思うだろう。中からの声が聞こえたら、それに対応して職員室に鍵を取りにいくはずだ。それまで、彼らは教室に閉じ込められたまま。恐らく、外部に助けを呼ぶ可能性は低いだろう。彼らには秘密が多すぎる。
「鍵を返すか」
明寿はそのまま廊下を進み、職員室に鍵を返却することにした。歩きながら、カッターシャツのボタンを留め、ベルトを締めてスラックスのチャックもはめていく。襟元の赤いシミは目立つが、何とかごまかすことにしよう。
「18時になりました。生徒の皆さんは、部活動などの活動を速やかに終了して、下校の準備を始めてください」
廊下を歩いていたら、下校を促すアナウンスが入った。どうやら、下校時刻は守れそうだ。
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