第34話 彼らの関係

「あ、荒島先生、エエト、教頭先生が探していましたよ。職員室は部活などで出払っている先生が多くて、私が伝言をた、頼まれました」


 ずいぶんと気弱そうな女性である。改めて新たな事務員、清水の様子を観察するが、明寿の女性の好みとは正反対だ。


 妻だった文江はとても明るく、明寿にとって太陽のような存在だった。目の前の女性は自分に自信がなさそうで、視線が明寿たちに定まらず、辺りをきょろきょろとせわしなくさ迷っている。病的なまでに白い肌にクマのひどい顔と合わせて、精神病患者に見えてしまう。


「ワカリマシタ。教頭先生が呼んでいるのなら仕方ありません。白石君、今日の補習はここまでにしましょう。また明日、続きをしましょうね」


「はい、荒島先生」


 教頭が平教師を呼ぶなどあまりないので、清水がついた嘘かもしれない。とはいえ、わざわざ嘘を言って、明寿と荒島を離れさせる理由がわからない。とりあえず、明寿も荒島も清水の話に乗っかることにした。



「白石君、だよね」

「どうして私の名前を」


 準備室を出た明寿たちは、その場で解散した。職員室に向かう荒島と清水と別れて玄関に向かおうとした明寿に、清水が駆け寄り耳元でささやく。荒島の視線が気になり、明寿も小声で対応する。


「こ、この学校の生徒に知り合いが、いてね。そ、その子が白石君のことを話題にしていたから、知っていたの。私の名前は清水巴菜(しみずはな)。これから、よろしくね」


 清水は言いたいことを言えて満足したのか、にっこりと明寿に微笑んで荒島の元に向かう。荒島に何か言われていたが、そのまま二人仲良く廊下を歩いていく。明寿もその姿を見送ると、彼女たちとは反対方向に歩みを進めた。


(甲斐の友人、という手があった)


 あまり深く考える必要はなかった。明寿が職員室で彼女を見つけたように、甲斐もまた職員室で彼女を見かけたのだろう。もしくは、清水の方から甲斐の高校で事務員として働くことを伝えたかもしれない。


 接点ができたなら、あとは簡単だ。甲斐は明寿を自分の友人だと清水に紹介した。他の教師の目が気になるが、清水自身に警戒されなければ問題はない。高梨を失った今、明寿が高校に居る意味は、甲斐への復讐のためだけだ。そもそも、教師のことを気にしていたのがおかしかった。最初から清水へ接近しても良かったのだ。


 次の日から、明寿が職員室に行くたびに、事務員の清水と目が合うようになった。とはいえ、教師と生徒という関係ではないので、目が合っても清水は明寿に話しかけてこない。


「荒島先生、清水さんにこれを渡してください」

「中身は見てもいいかしら?」


「いいですよ」


 明寿も直接、清水に話し掛けることはしなかった。代わりに荒島に清水への伝言を書いた紙を渡してもらうことにした。



「白石さあ、事務員の清水さんと仲いいのか?」


 昼休み、明寿は教室でひとり昼食をとっていた。クラスにはなじんできたが、特段親しい友人はいないため、昼食はひとりで取ることが多かった。甲斐も高梨の自殺の件以降、昼休みを明寿と過ごすことはなく、クラスメイト数人とつるんでいた。そんな甲斐が久しぶりに明寿に話し掛けてきた。


「突然どうしたの?事務員の人と接点なんてないけど」


 明寿が清水と接触したことは、彼女を通して知られているかもしれない。しかし、あえて明寿は知らないふりをする。


「そ、そうか。新しくきた事務員に、清水さん、っていう人がいるんだけど、オレ、その人と知り合いでさ。清水さんがお前の事、心配していたんだ」


 甲斐は明寿の目の前の席に座って、声を潜めて明寿に話かける。


(自分が私のことを紹介したのに、私が彼女を横取りされることを危惧しているのか)


 無駄なことを考える奴だ。明寿が清水になびくことなど絶対にありえない。とはいえ、甲斐は明寿と清水の関係を疑っている。復讐のために彼女を利用しようとしていることは、ばれてはならない。


「心配?見ず知らずの人に心配されるようなこと、私にはないけどね。それで、清水さんはなんて言っていたの?」


「エエト、それは」


「甲斐君が事務員の人と知り合いなんて知らなかったよ。もしかして、甲斐君の年上の恋人って」


「いや、俺も別に親しいわけじゃない。ただ、この前、たくさん書類をもって廊下を歩いていたから手伝っただけで」


「それだけで、私を心配する話が出るものかな。そもそも、一度会っただけで知り合い?ずいぶんと親しく見えるけど」


「ま、まあな」


 どうやら、本当に甲斐の恋人は清水で間違いないようだ。彼女のことを聞かれ、顔を赤くして誤魔化そうとしている様子は、年相応の高校生に見える。


(この男は【新百寿人】じゃない。ただの偽善者だ)


 目の前の男はあまりに普通の高校生だ。記憶がないにしても、【新百寿人】ならこんなバカそうな表情はしないだろう。


「そうなんだ。でも残念だけど、清水さんには好きな人がいるよ」


「白石、お前、清水に会っていないって言ったのは、ヤッパリ嘘」


「おやおや、お二人さん。二人で楽しくコイバナですか?そろそろ授業が始まりますけど」


 明寿の言葉は途中で遮られた。明寿は声の主を確認して、大げさにため息を吐く。教室にかけられた壁時計で時刻を確認すると、確かに昼休み終わりの時間だ。とはいえ、まだチャイムも鳴っていないのに、お早いご到着だ。


「生徒たちの様子を見るのも先生の役目でしょう?先生がいたらだめな話でもしていたの?」


 5時間目の授業は、荒島の英語の授業だった。話が途中になってしまったが、これは良い機会だ。明寿は心の中でにんまりと笑う。


 最近、荒島からの執着が煩わしいと思っていたのだ。うまくいけば、明寿の前から目障りな人間を自らの手を下すことなく消せる。明寿のひ孫とはいえ、あまりにも親密な関係になり過ぎた。ここら辺で関係を清算するのもよいだろう。


「先生がもし、年上の異性を落としたかったら、どうしますか?」


「い、いきなりどうしたの?そもそも、私には……。ま、まあ、とりあえず、あなたたちより年上の私からすれば、まじめに授業を受けて居る生徒は、、魅力的に見えるわよ」


 荒島は明寿に執着している。そして、清水の方も明寿に何らかの興味を示している。それがどのような感情かまではわからないが、これを利用しない手はない。本来ならもっと清水との仲を深めてからにした方がよかった気がするが、明寿の我慢の限界だった。


「真面目に授業を受けるだけでいいなんて、荒島先生は、ずいぶんと異性に対して甘めの採点ですね」


 とりあえず、今この場で荒島と明寿の秘密の関係がばれるのはまずい。荒島の表情から勘の良い甲斐は気づくかもしれないが、明寿が口を閉ざせば隠せるだろう。


「変に悪ぶって不良化した生徒より、私は好きっていうだけよ。ああ、もうチャイムが鳴りますね。では、皆さん、席について教科書やノートの準備をしてください」


 明寿の言葉に無難に回答した荒島に、甲斐は何か言いたそうな顔をしていたが、タイミングよく始業のチャイムが鳴った。荒島は授業を行うために明寿たちから離れて教壇に立つ。生徒たちは荒島の指示に素直に従い、自分たちの席に戻り授業の準備を始めた。

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