第26話 噂

 放課後、明寿は荒島と二人きりで話すために職員室に向かっていた。二人きりになる言い訳として、手には英語の教科書とノートを持参している。これで、授業で分からないところがあったので教えて欲しいと言えば、信じてもらえるだろう。


「失礼します、荒島先生はいますか?」


 職員室の扉の前で挨拶して中を見渡す。多くの教師は、放課後は部活の顧問として練習を指導するために出払っている。


「荒島先生なら、さっきまで職員室にいたんだけどな。荒島先生に何か用事か?」


 職員室の手前の席に座っていた教師が明寿に問いかける。明寿はあらかじめ用意した言い訳を答えていく。


「授業で分からないところがあったので、荒島先生に聞こうと思ったんですけど……。出直したほうがいいですか?」


 明寿がちらりと手に持った教科書とノートに目線を移すと、教師はあごに手を当てて考え込んでいた。しばらくの間、明寿と教師の間に無言の時間が流れる。


「思い出した。君と同じように、授業の分からないところを聞きに来た生徒がいたんだ。それで、荒島先生とその子は職員室を出ていった。だから」


 荒島先生は、たぶん、教科準備室に居ると思うよ。


「ありがとうございます」


 どうやら、明寿は他の生徒に先を越されてしまったようだ。純粋に授業の疑問点を聞いているのかもしれないし、明寿のように個人的な質問をしようとしているのかは分からない。とはいえ。


(教科準備室に行ってみるしかない、か)


 明寿はお礼を言って、職員室を離れる。今日はミステリー研究部の活動日である。荒島がどこにいるのかわかったので、とりあえず先に部活に顔を出すことにした。


「こんにちは」


「やあ、白石君。君は真面目に活動をしてくれるみたいでうれしいよ」

「部長と二人だけで寂しかったんです。流星君が入ってくれて嬉しいです」


 視聴覚室に入ると、いつものように部長の不破と一年生の多田が出迎えてくれる。部活に入っただけでそこまで感謝されると少し気恥ずかしい。


「エエト、今日は部活に顔を出しただけです。この後、ちょっと用事がありまして」


 とはいえ、そこに水を差すようで悪いが、明寿は今から教科準備室に荒島に会いに行かなくてはならない。別に今日でなくても構わないが、彼女の素性はなるべく早く知りたかった。


「用事?ああ、もしかして、白石君って、成績がよくないのかい?勉強で分からないところがあったら、僕でよければ教えるよ」


「そうなんですか?頭よさそうに見えるのに、どの教科ですか?科目によっては僕でも力になれるかも」


(どうしてわかったのだろうか)


 明寿の手には英語の教科書もノートもない。そして、明寿はただ用事があると言っただけだ。それなのに、部長は明寿の用事を一発で言い当てた。表向きの理由だが当たられたことには驚きを隠せない。


「どうしてわかったのって顔しているけど、これでも一応、ミステリー研究部の部長だよ。こういう、他人の行動を推理するのは得意なんだ」


「僕は部長程、観察眼とかないですけど、それなりには」


「簡単なことだよ。白石君は転校生で部活はミステリー研究部だけということは分かっている。となると、用事と言ったら限られてくる。部活ではないのなら、バイトか補習しかない。家の用事というのも考えられるけど、なんとなく今回は違う気がした。わざわざ視聴覚室までやってきて、部活を休むと断りを入れる時点で時間に余裕がある。だから、勉強を教えてもらいに先生のところを訪ねて、不在だった」


 部長のわかるような、分からないような推理に負けて、明寿は正直に用事を話すことにした。もともと、隠すようなこともなかった。


「実は、荒島先生に英語の授業で分からないことを聞きに行こうと思っていて……」


『荒島先生!』


 しかし、伝えた内容に対する反応が明寿を困惑させる。多田が大声を出して明寿に近寄ってきた。荒島は加藤という教師の代わりに来た教師であり、多田は実際に英語を教えてもらっていると思うが何事だろうか。


「あ、荒島先生の元を訪ねる、って、りゅ、流星君は、そ、その意味を理解、して」


「荒島先生って、多田が話していた加藤先生の代わりの臨時教師だっけ?何かあるのかい?」


「ああ、部長は三年生だから知らなくて当然です。今日来た新しい先生なんですけど、何でもかなりやばい噂がありまして……」


「やばい噂?」


 明寿の代わりに部長が多田に問い返す。明寿は多田の鬼気迫る様子に思わず後ずさりしてしまう。


「はい、今日来たばかりなのに、一年生はこの話題で持ちきりですよ!前に勤めていた学校で生徒に手を出したとかで、仕事をクビになってうちの高校に来たとか」


「ありえない話ではないが、そんな情報がどうして来て一日の先生の噂として広まっているのか疑問だな」


 いったい、何を言い出すのかと思えば、荒唐無稽な冗談だ。手を出すとは、つまり卑猥なことをするということだろうか。明寿が以前、施設で出会った時の彼女からは想像がつかない。誰かと勘違いしているに違いない。


(いや、あながち間違いではないのかもしれない)


 そこで、明寿は帰りのHRで甲斐に言われたことを思い出す。あれは、明寿に忠告していたのかもしれない。


「お前、荒島先生にご執心のようだが、気をつけたほうがいいぞ」


「気をつける?」


「まあ、白石には刺激が強いかもしれないってことだな。いや、そんなことは無いか。何せ、白石は俺と同じ新びゃく」


「その言葉を軽々しく人前で口にするな」


 放課後で、教室にクラスメイトが少ないからと言って油断しすぎだ。まだ数人のクラスメイトが明寿たちの近くで談笑している。明寿は彼らに自分の正体をばれるわけにはいかなかった。


「大丈夫だって。とりあえず、俺は忠告したからな。あとは白石がどう行動するかは自由だ」


 余裕ぶった態度が憎たらしい。いまだに高梨と会えていない明寿に甲斐は『生きている』の言葉しか教えてくれない。明寿のストレスは少しずつ溜まっていて、もう少しで爆発しそうだという自覚があった。何かのきっかけがあれば、すぐにでも……。



「白石君、どうしたの?」

「僕たちが荒島先生のことを悪く言ったから落ち込んで」


「い、いや、友達も似たようなことを言っていた気がして。ただ、私には先生がそんなことをするような人には見えないから、戸惑っていた」


「仕方ないよ、あの見た目でそんなことするなんて、普通は思わないだろうから」


 無言になった明寿を心配した二人の声に我に返る。甲斐が情報通なのはうすうす感じてはいたが、他にも知っている人間がいた。明寿はそのことを知らなかった。恐らく、彼ら以外にも噂は広まっているだろう。どうして、明寿だけ気づかなかったのか。いや、無意識のうちに荒島の醜い部分を避けていたのかもしれない。


「そ、それは、あ、あくまでうわさ、だよね。私が荒島先生がそんなことしないという、証明を、して、くる」


 明寿はのろのろと、視聴覚室に向かって歩きだす。それを二人の部員は黙って見送った。


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