第12話 彼女の正体
「ねえ、顔色が悪いけど、大丈夫?もしかして、本当は体調が悪いのに私に会いにきたとか?」
「っ!」
明寿の額に高梨の手が触れた。すべすべした若い女性の手の感触に、思わず明寿から声にならない悲鳴が上がる。施設にいたころは、職員に高齢の身体を世話してもらったが、今の明寿は健康な男子高校生だ。この身体になってから、病院以外で誰かに無防備に触れられた記憶はない。
「そんなに驚くことは無いでしょ」
高梨は明寿の驚いた様子に慌てて手を引っ込める。そして、明寿から少し距離を取って昔を懐かしむかのように目を閉じる。その様子は本当に妻の若いころに瓜二つだ。さらには、明寿の苦手なことを教えてもいないのに話し出す。
「まったく、昔から君は他人に触れられるのが苦手だよね。よくそれで私と結婚して、子供を」
「どうしてそれを!」
つい、大声を上げてしまう。妻の若いころに似た容姿や仕草にも驚かされたが、それ以上に彼女から語られる言葉は衝撃的だった。明寿のことをあまりに知りすぎる彼女が恐ろしい。それ以上聞いていられず、途中で遮ってしまう。突然、大声を出された高梨は、びくっと身体を震わせたが、すぐに笑顔で謝罪する。
「ご、ごめんなさい。白石君があまりにも夢の中に出てくる男の子と似ているから、つい夢と現実がごっちゃになっちゃった。会って二日の先輩にこんなこと言われて気持ちが悪いよね。きょ、今日はもう、お開きに」
「いえ、このままお昼を食べましょう。私、いえ、僕は高梨さんの夢の内容に興味があります」
明寿は開き直って、高梨の近くに椅子を準備して、どさりと座り込む。堂々と空き教室に居座る気満々の後輩に高梨は、はあと大きな溜息をつく。しかし、高梨は明寿のことを突き放すことは無く、自分が準備した椅子に改めて深く座りなおす。
「夢の内容を話す前に、一つ、白石君には話しておかなくてはいけないことがあるの」
明寿はお弁当箱を空けようとした手を止めて、高梨を見つめる。先ほどまでの明るい表情が一変、暗い表情で机を睨んでいる。
「はい」
高梨は明寿の返事を聞いて、顔を上げて明寿を見つめる。明寿の真剣な瞳を見て、高梨は一度深呼吸して話し始めた。
「この話は、病院の人から誰にも言ってはいけないと言われているんだけど」
(やっぱり、高梨先輩は【新百寿人】になった文江さんだ)
出だしの言葉で、明寿は自分の考えていたことが当たっていると確信した。同時に辺りを見渡して誰もいないか確認してしまう。【新百寿人】という情報を他人には知られたら、困るのは高梨だ。幸い、昼休みに四階までやってくる生徒は明寿たち以外いなかった。とはいえ、いつ生徒がやってくるかわからない。
「すいません。その話はこちらでしませんか。口で話すよりもわかりやすい、かも、です?」
明寿はカバンの中にたまたま入っていたメモ帳を取り出して、ボールペンと一緒に高梨に渡した。
【白石君は面白いね】
高梨は明寿の筆談の提案に興味を示したようだ。特に拒否されることなく、明寿が渡したノートに自分の夢の内容を書き込んでいく。その間、明寿は手持ち無沙汰になるので、お弁当を食べることにした。今日のお弁当は冷凍食品の唐揚げがメインだ。
「今日も昼食を持ってきていないんですか?」
【筆談で会話しないの?】
「昼休みなのに、お昼を持ってきていないのは気になります。昨日と同じように、今日も、私のおかずを分けてもらおうと思ったんですか?」
高梨は今日もまた、スマホしか所持していない。ダイエットでもしているのだろうか。そのままでも十分細いように見えるが、女性の気持ちはわからない。
(妻もたまにダイエットと称して、昼食を抜いていたなあ)
【今、私以外のこと考えた】
「自分から筆談しようと提案しましたが、字を書くのが面倒ではないですか?時間もかかるし」
まるで心を読まれたかのような言葉に明寿は驚くが、平静を装って話題を変える。
【図星だ。筆談、面白いから続けよう!】
【お弁当は、昨日みたいにあーんして!】
【からあげほしい】
ノートにはどんどん高梨の言葉が羅列されていく。ノートが埋まるたびに明寿は、高梨との思い出が増えるような気がして心が高鳴る。少し変わった先輩に、明寿は出会って二日で惹かれていた。記憶はないが、まぎれもなく隣に座るのは明寿の妻、文江だった。
「昼食を抜くのは良くないと思うので、仕方ないので、今日も私のおかずをあげます。明日はちゃんと、食べるものを持ってきて下さいね」
高梨がノートに懸命に書いている中、明寿は彼女の要望通りに、自分のお弁当のおかずを高梨の口に運んだ。
(まあ、自分だけがお弁当を食べているのは気が引けるから)
高梨はノートの記入に夢中に見えたが、明寿の差し出したおかずはぱくりと食べる。先輩であるのに、餌付けしているような変な気分になったが、それでも何も昼食を取らないよりはましだ。明寿はそんなことを言い聞かせて高梨におかずを与えながら、自分もお弁当を食べていく。
「私の夢はこんな感じかな。あと、これは病院の人しか知らないんだけど……」
夢の内容を書き終えた高梨が、大きく伸びをして明寿にノートを手渡す。明寿が受け取ろうと手を伸ばすと、耳元でコッソリささやかれる。
「私、実は【新百寿人】なの。記憶がないから、自分がそんなのなんて実感ないんだけど」
「そ、そう、です、か」
耳元でささやかれたことに驚いたが、それ以上に衝撃的な内容に、明寿は何とか言葉を絞りだして返事する。まさか、相手から自らの正体を暴露するとは思わなかった。高梨は辺りを見渡して誰もいないことを確認して、さらに明寿に驚きの情報を伝えていく。
「記憶がないのって、怖いよね。自分が今まで生きてきた過去が思い出せないんだもの。赤ちゃんからの記憶の積み重ねで人間って形成されると思うんだよね。だとしたら、私はいったい、何者だろうって考えてしまって……」
「わ、私は」
「今の話は気にしないでいいよ。記憶がないことは、今更嘆いてもどうしようもないもんね。白石君にはむしろ感謝しているの。だから、もっと自信をもっていいよ」
いったい、明寿の何に感謝しているというのか。明寿は高梨の言葉に首をかしげる。感謝されるようなことをしたつもりはない。いや、お弁当のおかずを上げたことを言っているのだとしたら、それは明寿の勝手なエゴでそこまで感謝される筋合いはない。
「そろそろ昼休みが終わるね。先にいっておくけど、白石君だから夢の内容とか、私の秘密を語るんだからね。他の人にこのノートの内容とか、私の正体とか」
高梨は明寿から離れて、スマホをもって席を立つ。その顔はどこかすっきりした表情をしていた。
「もちろん、話すつもりも、渡すつもりもありません!」
「よろしい」
昼休みが終わる五分前には明寿と高梨は空き教室から出て、各自の教室に向かった。高梨に書いてもらったノートはカバンにしっかりと入っている。放課後、自分の部屋でゆっくりと読むことに決めた。
二人は仲良く廊下を歩いていく。明寿は無意識に高梨の手に自分の手を合わせる。隣を歩いていた高梨は、不意に触れられた明寿の手の感触に驚き、身体をびくりと震わせる。
「まったく、そういうのは周りに人の目を気にしなくちゃ、変な噂が立つよ」
そういいながらも、高梨は明寿の手を振り払うことは無く、しばらくの間、二人は手をつないで廊下を歩いた。
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