第10話 高梨先輩

「ええと、この教室はあなたが使う予定だったん、ですか?」


 まさか、そんなことは無いと思ったが、明寿は念のため空き教室に現れた女子生徒に問いかける。見たところ、その女子生徒は明寿とは違う学年のようだ。学年ごとに違うスリッパの色が明寿と異なっていた。


 新寿学園の制服は男女ともに紺色のブレザーで、男女ともにスカートとスラックスを選択できるようになっていた。しかし、女子生徒の大半はスカートを履き、男子生徒もまた大半はスラックスを着用していた。その生徒は背中まである黒髪をそのまま伸ばし、ひざ下までのスカートを履いていた。声から考えても女性だと思われた。


「使う予定、というかここを【最期】の場所にしたかったんだけどね。まあいいや、これも何かの縁だと思うし、今日はやめておくよ」


「はあ」


 何やら不穏な言葉が聞こえたが、とりあえず明寿のことを追い返すことはしないようだ。女生徒は明寿の近くに椅子を持ってくると、隣に座った。女生徒の髪からかすかに香るシャンプーのにおいに、明寿は胸が高鳴る。


(このにおい、どこかで)


「君の名前は?私と学年色が違うから後輩かな?」


「エエト、一年生のすずきあき……。いや、白石流星、です」


 実際に生きてきた年数は明寿の方が圧倒的長いのに、隣に座る女子生徒に対して、明寿は緊張してしまう。そして、自分の本当の名前を伝えてしまいそうになる。自分の名前をいい直すのは珍しいだろう。女子生徒は、最初はぽかんとした表情をしていたが、言い直したことが面白かったのか、口を押えて笑い出す。


(妻も笑うときは口を押えていたな)


 妻とはひ孫ほど違う年齢なのに、そんなことが頭に浮かんできた。


「君にだけ名乗らせるのは悪いね。私は三年の高梨恵美里(たかなしえみり)」


 女子生徒は明寿より二つ上の高校三年生だった。明寿だけに名乗らせるのはおかしいと思ったのか、明寿が問いかけるより前に自ら名乗ってくれた。


「高梨、先輩……」


「先輩なんて呼ばれるのって、なんか照れるね。私は帰宅部だったから、先輩、後輩とかってなかったから」


 急に暗い顔になる高梨に明寿は胸が苦しくなる。先ほどから高梨の行動一つ一つに心が動かされている。


(妻の若いころにそっくりだからだ)


 似ているというレベルではない。高梨という先輩は、妻の若いころそのままの姿をしていた。髪型や高校の制服こそ違うが、高梨に妻に当時の制服を着せたら。


「文江(ふみえ)さん」


 明寿が無意識に妻の名前を呟く。妻は二年前に明寿の前からいなくなった。目の前の女性が妻のはずがない。でも、もし可能性があるとしたら。


(100歳の誕生日を迎える前にいなくなった)


 明寿と同じように【新百寿人】に生まれ変わっている。彼女が別人として高校生活を送っていて、それが目の前の彼女だったら。


「どうして、その名前を知っているの?もしかして、あなたは」


思考の海に沈んだ明寿は、小さな声でつぶやかれた高梨の言葉で我に返る。


「すいません。先輩とよく似た知り合いがいて、つい」


「私と似ているっていう子は、君とどういう関係!」


 高梨は急に明寿の胸倉をつかんできた。そして、先ほどの明寿のつぶやいた妻の名前について問い詰めてくる。急に近づいてきた高梨の顔に、明寿は驚いて椅子ごと距離を取るため後ろに移動する。


「家族?親せき?恋人?正直に答えて!」


 しかし、高梨も後ろに移動した明寿に合わせてくる。距離が近いまま、二人は見つめあう。しばらく見つめあっていたが、高梨が自分の大胆な行動に気づき、慌てて明寿から手を放し、距離を取る。


「ごめんなさい。【文江】という名前の女性が出てくる夢をよく見るの。初対面の君の口からその名前が出たから、つい興奮してしまって」


「いえ、こちらこそ、いきなり他人の名前を出してしまってすみません」


 お互い、いったん、自分の発言を謝罪した。



「そういえば、ここで昼食を取ろうとしていたんだよね。邪魔してごめんね」


「いえ、大丈夫です。ええと、先輩は、お昼は取らないんですか?」


「私?ううん、そうだねえ。今からお昼を購買で買うのは、時間がないしなあ」


 明寿と高梨は隣同士で椅子に座って話をしていた。明寿は高梨の言葉を聞いてポケットからスマホを取り出して時刻を確認する。昼休みは残り15分程だった。


「ぐうう」


 お昼を準備していないらしい高梨の身体が空腹を訴える。静かな空き教室に響く間抜けな音に、高梨は赤くしてうつむく。そんな様子が可愛らしくてつい、明寿は笑ってしまう。そして、机に広げたお弁当を見てあることを思いつく。


「先輩、もしよろしければ、私の弁当を少し、食べますか?」


 お昼を取らずに午後の授業を受けるのはきついだろう。明寿は自分で作った卵焼きを箸でつかんで高梨の口の前に差し出す。施設で食べさせてもらったことを思い出すが、今は逆の立場だ。しかし、相手は介護など必要のない高校生。施設のころとは訳が違う。この時の明寿はそこまで頭が回っていなかった。


「ず、随分と積極的だね。あーんなんて、親が子どもにするか、恋人同士とかでやること、だよね?」


「そ、そうですか?」


 箸は一膳しかないので、おかずを上げるとなると、この方法しか思いつかなかった。しかし、よく考えると、出会ってすぐの女性にとるべき行動ではない。明寿は高梨の指摘でようやく自分のおかしな行動に気づき、箸を引っ込めようとしたが。


「ど、どうしても食べて欲しいというのなら、た、食べてあげる」


 パクリ。高梨は明寿が差し出した卵焼きを口にした。箸から卵焼きがなくなり、目の前の先輩の口の中に消えていく。もぐもぐと咀嚼している様子が直視できずに、明寿もまたお弁当箱に入っている卵焼きを口に入れる。


「おいしいわね。なんだか懐かしい味がする。私、この卵焼き、好きかも」


「あ、ありがとうございます。他のおかずも、食べますか?」


 高梨は卵焼きを飲み込むと、幸せそうにほおを緩めて明寿を見つめる。その表情にどきりとしたが、その感情を隠すためにほかのおかずを進めると、こくりと頷かれる。明寿は自分も食べながら、高梨にもおかずを与えていく。


 しばらく、二人はお弁当を食べるのに夢中になり、無言の時間が続いた。しかし、明寿にはその無言の時間が不快ではなく、むしろ心地良い時間だった。

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