第3話 記憶障害

 男性は、明寿が新たな名前で生活するうえでの注意事項などを話していく。


「病院で過ごした後は、【新百寿人】の方たちが住むマンションに移動してもらいます。ひとり暮らしにはなりますが、わからないことや不便なことがあれば、佐戸に連絡してください。基本はうちの病院に勤務していますが、あなた方の相談役でもありますから」


「はあ」


「うちの病院のスタッフは白石君が記憶障害だと知っていますので、優しく対応してくれると思います。ですが、ここから出たらあなたは一般の高校生。あなたが【新白寿人】と言わない限り、普通の高校生とみなされます。言動や行動にはくれぐれも気を付けてくださいね」


 明寿は男性の話を聞きながら、今までの人生を振り返る。100歳まで生きるのにたくさんのことがあった。妻と出会って結婚して子供が生まれた。家族のために仕事を定年まで勤めあげた。その後は高齢者施設に入所して妻を先に看取った。


 そういえば、妻も100歳を目前に【新百寿人】として施設から出ていった。彼女は今、どこで何をしているだろうか。明寿と同じように新たな生活を送り、第二の人生を楽しんでいるだろうか。


(私も彼らと同じように記憶を失っていればよかったのに)


そうすれば100歳を目前にして突然、16歳の高校生の身体に生まれ変わる。そんな非現実な出来事を今よりもっと素直に受け入れられたかもしれない。男性の言う通り、自分が記憶喪失と思い込めば。


「白石君、私の話、聞いていますか?」


「ええ、聞いています。そういえば、私の戸籍を新たに作るんですよね?新たな名前、ということは、以前の私の戸籍はどうなるのでしょう?私の家族たちにはどのような説明を」


 明寿は男性の説明を聞き流していたが、ひとつ疑問に思ったことを口にする。以前見たテレビの情報では戸籍の部分について詳しく触れられていなかった。家族の説明に対しても同様だ。


「今回の【新百寿人】はずいぶんと口答えしますねえ」


 男性は小さな声でぼそりとつぶやいたつもりだったのだろうが、明寿にはしっかりと聞こえてしまった。とはいえ、ここで男性の独り言を指摘して怒らせても仕方ない。ここはおとなしく質問の回答を待つことにした。男性は咳払いをして、明寿の質問に答えていく。


「その辺については、白石君が気にすることではありません。国や私たち病院がしかるべき対応を取らせていただきますので、心配は不要です。家族については、既にあなたが【新百寿人】として新たな生活を送ることを了承していますので、挨拶等は不要です」


 つまり、この男性は明寿にこれ以上、自分の過去について疑問を持つなと言いたいらしい。自分の記憶に関して気にするな、とはどこかおかしな話だ。しかし、この若返った姿を家族に見せたいとは思えない。


(もし会えたとしても、私の今の姿は孫よりも若く、下手をしたらひ孫と同じくらいの年齢だ。こんな姿を見せられるわけがない。それに妻は)


 会いたい相手は既にいない。どこにいるかもわからない。明寿が最も会いたいと願う相手は二年前に【新百寿人】として生まれ変わっている。



「そろそろ夕食の時間になりますね。白石君、ベッドから起き上れそうなら、食堂で食事をとりましょう。ひとりで考えむより、仲間と一緒に居たほうが、不安が紛れると思いますよ」


 男性は自身の右腕につけられた腕時計を見て、慌てて椅子から立ち上がる。男性が明寿の前に手を差し出す。明寿は差し出された手の意味が分からず、首をかしげる。


「私たちはこれから長い付き合いになります。よろしくお願いします」


 どうやら、明寿と握手をして親交を深めたいらしい。


「ワカリマシタ。今後はヨロシクオネガイシマス」


 明寿は男性の手を握ることはせず、ベッドから下りて部屋の外に向かって歩きだす。男性と握手するなど、久しくしていない。まして、信用できるかわからない人間に無防備に手を差し出す気にはなれない。


「つれないですねえ」


「失礼します」

「イタッ」


 そこに、明寿の目が覚めた直後にいた女性、佐戸がやってきた。明寿がドアを開けたタイミングで彼女が部屋の外に立っていたため、ぶつかってしまう。


「おや、ずいぶんと積極的ですね。とはいえ、私には心に決めた相手がいるので、いくら年若い男性に詰め寄られても」


 明寿の顔に当たったのは女性にしては固い胸板だった。女性だと思っていたのに、この感触はおかしい。とはいえ、他人の胸元に顔をぶつけてしまったのだ。男女関係なく失礼な行為であることは間違いない。女性だと勘違いしていたが、本当は。


「す、すみま」


「佐戸さん。丁度良いところに。彼を食堂に案内してくれるかな?」


「もちろんです。行きますよ、流星君」


 佐戸に無理やり手を引かれ、明寿は病院の食堂と呼ばれる場所に向かうのだった。

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